ある授業で取り上げる日本語のテキストのなかに「興味・関心」と併記してあり、それぞれの語に異なった意味が与えられているかどうかは文脈からは判断しかねた。もし授業で学生からこの両語の違いについて質問があったらどう答えようかと考えた。
一番無難かついい加減な解答は、「ほぼ同義である」と一言で済ますことである。当該の文章の中では実際そうなのだから、これはこれで間違った解答ではない。しかし、文脈を離れた両語の一般的な用法については、これでは答えたことにならない。実際、用法の違いがあるからである。「無関心」とは言うが「無興味」とは言わない。だが、「興味がない」とは言える。「興味津々」とは言えても、「関心津々」とは言わない。読みからして「カンシンシンシン」と「シン」が三つも重なって笑ってしまう。
手元にある国語辞典四冊『角川必携国語辞典』『三省堂国語辞典』『明鏡国語辞典』『新明解国語辞典』を引いてみた。最初の三冊は、いずれも語釈がそっけなくて両語の違いを明解に説明する手がかりがない。『新明解』だけ、「関心」の語釈が目立って詳しい。
その事について自分自身に直接かかわりがあるかどうかに関係なく、無視するわけにはいかないと感じ、△より深く知ろう(今後の成行きに注目しよう)とする気持ちを持つこと。〔心理学・教育学では「興味」と同義に用いることもある〕
「興味」の方はわりとそっけない。
その物事について、おもしろいと思うこと。
これらの語釈によると、例えば、「政治に関心がない」と「政治に興味がない」とではどう違うのか。
「関心がない」と言えば、「(自分には)関係がないから、より深く知ろうとは思わないし、成行きがどうなろうと知ったことではない」という意になるだろう。「興味がない」と言えば、「面白くないから、知りたいとも思わない」という意になるだろう。
「知的関心」と「知的興味」とではどう違うか。前者には、関心の対象に対する情報に敏感になり、情報を収集するという継続的な態度が予想されるが、後者は、対象に対する知的好奇心が引き起こされた状態である。こう違いが言えそうな気がする。前者は、その関心が何らかのより大きな理由によって引き起こされるのに対して、後者は、対象そのもの魅力によって引き起こされるという違いもあるだろうか。
「関心」と「興味」の用法の違いという問題とは別に、対象に対する二つの異なった心的状態という問題もあるだろう。
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