内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「冬ながら空より花の散りくるは雲のあなたは春にやあるらむ」―『古今和歌集』より

2024-12-11 07:42:05 | 詩歌逍遥

 月曜日の「日本思想史」の授業後ほぼ毎回質問に来る女子学生がいる。成績は断然トップ、知的レベルが他の学生とは違うとさえ言ってもよい。ときどきこちらの虚をつくような質問で私を戸惑わせる。
 一昨日は、「先生、良い詩と良くない詩を見分けるにはどうしたらよいのでしょうか」と真顔で聞いてきた。「まずは自分が好きかどうかが大事で、一般的な評価は気にしなくていいよ。ただ、古典となると、何世紀にもわたって読みつがれてきたわけだから、おのずと名歌・秀歌と評価が定まっている歌はある。それらに親しむことで自分のセンスも養われてくるものです。そのためには名歌・秀歌を集めたアンソロジーを読むといいですよ」と言って、丸谷才一、大岡信、塚本邦雄の名を挙げておいた。彼らが編んだアンソロジーのなかには電子書籍版で入手できるものもあり、その分アクセスしやすく、何よりも、この三人が名歌・秀歌として挙げる歌なら、まず間違いはないからである。
 ここまでは即座に答えられたのだが、その次の質問は想定外。「先生、良い詩人になるには才能以外に何が必要なのでしょうか」。これにはまいった。「何の才能さえない私にはそもそも答えようがないよ」と笑って済ませた。彼女もさすがにこれは無茶な質問だったと思ったようだ。
 昨日の記事で清原深養父の歌を取り上げた際、塚本邦雄の『新撰 小倉百人一首』(講談社文芸文庫、2016年)を開いてみた。塚本が撰んでいるのは「滿つ潮のながれひる間を逢ひがたみみるめの浦に夜をこそ待て」なのだが、その評釈を読めばなるほど納得はできるものの、私には技巧的に過ぎるように感じられ、むしろ塚本が深養父の他の秀歌として挙げている他の歌の中に気に入る歌があった。

冬ながら空より花の散りくるは雲のあなたは春にやあるらむ (古今和歌集・巻第六・三三〇)

 塚本はこの歌について「「雲のあなた」の抒情はみづみづしい」と一言評している。
 角川ソフィア文庫版『古今和歌集』の高田祐彦氏の注解は、ごく短い表現のなかに豊かな詩想がこもっている。読んでいて楽しい。「見立てによる冬の花という矛盾を、天上の春という美しい想像によって解消する。と同時に、天上の春の落花は、地上の冬へと時間を遡って訪れる、という不思議さ。」
 この歌、大岡信も『名句 歌ごよみ〔冬・新年〕』(角川文庫、2000年)で採っている。
 丸谷才一の『新々百人一首』(新潮社、1999年)では、清原深養父もその孫元輔(清少納言の父)も百人から外されている。彼のなかでは二人とも評価が低いということであろうか。

C’est l’hiver, pourtant 
Du ciel tombent des fleurs ; 
Serait-ce que là-bas 
Par-delà les nuages 
Le printemps est arrivé ?

Kokin Waka Shû. Recueil de poèmes japonais d’hier et d’aujourd’hui
traduit par Michel Vieillard-Baron, Les Belles Lettres, « Collection Japon », 2022. 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「光なき谷」―『古今和歌集』より

2024-12-10 23:59:59 | 詩歌逍遥

 「おのずから」が副詞としての用法に限られるのに対して、「みずから」は名詞/代名詞/副詞として広く用いられる。前者が上代から用例があるのに対して、後者は平安時代初期に登場する。
 このことと『古今和歌集』での「思ふ」の頻用と何か関係があるだろうか。それはわからないが、歌そのものなかに使われた例は同集にはない。仮名序と詞書(967)との二箇所に見えるだけである。前者では「自分たち」を指す名詞として、後者では歌の作者、清原深養父(生没年未詳、清少納言の曽祖父)自身のことを指す名詞として、それぞれ用いられている。

時なりける人の、にはかに時なくなりて嘆くを見て、みづからの、嘆きもなくよろこびもなきことを思ひてよめる

光なき谷には春もよそなれば咲きてとく散るもの思ひもなし

 「もともと光のささない谷には春も無縁なものですから、花が咲いてすぐに散るのを心配する、という気持ちはありません」(角川ソフィア文庫『古今和歌集』高田祐彦訳)。高田氏は四五句について「花が咲けばすぐに散ることを心配するのが世の常であるが、春が来ないので、花も咲かず、そうした心配事もない、ということ。「咲きてとく散るもの思ひ」は、もの思ひを花に喩えた表現と見ることもできる。「もの思ひの花」という表現もある」と注解している。
 昨日の記事で引用した仏訳『古今和歌集』ではこう訳されている。

Voyant quelqu’un qui déplorait la perte soudaine de son pouvoir après avoir eu son heure d’influence, Fukayabu, se disant que lui-même ne connaissait ni ces peines ni ces joies, composa ce poème. 

Dans une vallée
Sans lumière, même le printemps
Nous est étranger, 
Aussi, jamais l’on s’inquiète
Des fleurs écloses qui si tôt choient.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「ありてなければ」― 『古今和歌集』における「存在と無」

2024-12-09 23:59:59 | 読游摘録

 竹内整一氏には『ありてなければ』(角川ソフィア文庫、2015年)というタイトルの著作があるが、この「ありてなければ」は、『古今和歌集』巻十八雑歌下のなかの詠み人知らずの次の一首から取られている。

世の中は夢かうつつかうつつとも夢とも知らずありてなければ(942)

 同書のなかで竹内氏はこの一首について次のように注解している。

 この世の中、あるいは男女の仲(当時、平安女流において「世の中」は「男女の仲」という意味合いでも使われていた)というものが、今たしかに「ある」ということを自分は知っている。しかしそれは、同時に、いつか「なくなる」こと、あるいは、もともとは「なかった」ものだということも知っている。そうした、有‐無の微妙な認識です。有は有であるままに、いわば、無に足をすくわれているわけです。(30頁)

 角川ソフィア文庫版『古今和歌集』の訳注者高田祐彦氏は同歌を「世の中は夢か現実か。現実とも夢ともわからない。存在していて存在していないのだから」と現代語訳し、「存在と無は一つであるという、すぐれて哲学的な歌であり、多くの「はかなさ」を詠む古今集歌にとって、一種の思想的な支柱ともいうべき歌。天台の教理に基づくという説もあるが、限定する必要はあるまい」と注解を加えている。
 この歌が「詠み人知らず」なのも何か示唆的である。
 この一首、ミッシェル・ヴィエイヤール=バロン先生の名仏訳ではこうなっている。

Ce bas monde
Est-il songe ou réalité ?
Réalité ou songe
Je ne le saurais dire, car
Il existe sans exister.

 「ありてなければ」が「在ることなし在る」あるいは「存在することなしに存在する」と訳されている。この仏訳もまた私を瞑想へと誘ってくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「何のわけも判らない言語の中に、音楽にみるような韻律があり」― 杉本鉞子『武士の娘』より

2024-12-08 21:10:55 | 読游摘録

 明日の「日本思想史」の授業では、年度開始前の夏休み中から前期で取り上げるテーマの一つとして予定していた「おのずから」と「みずから」の関係について話す。竹内整一氏の『「おのずから」と「みずから」 日本思想の基層』(ちくま学芸文庫、2023年)を授業中にも参照するつもりでいたのだが、いざ授業で学生たちに読ませる箇所を探してみると、序など一部を除いて、学部三年生にはちと文章が難しすぎるので、引用は最小限にせざるを得なかった。相良亨の『日本人の心』(東京大学出版会、1984年、増補新装版、2009年)や『日本の思想 理・自然・道・天・心・伝統』(ぺりかん社、1989年)なども参照したが、やはり読解テキストとしてはレベルが高すぎる。仕方なく、これらの本を参照しつつも、自前の説明を準備した。それはそれで楽しかった。
 その説明のなかで挙げる「おのずから」の用例をさまざまな本から採集していて、今井むつみの『学びとは何か ―〈探究人〉になるために』(岩波新書、2016年)のなかに引用されている杉本鉞子の『武士の娘』の一節に行き当たった。まだ六歳のころに意味もわからずに読まされていた四書について先生に尋ねると、「読書百遍意おのずから通ず」という反応が返ってきたという話で、「おのずから」の用例としては典型的である。その直後の文章が美しい。

何のわけも判らない言語の中に、音楽にみるような韻律があり、易易と頁を進めてゆき、ついには、四書の大切な句をあれこれと暗誦したものでした。でも、こんなにして過ごしたときは、決して無駄ではありませんでした。この年になるまでには、あの偉大な哲学者の思想は、あけぼのの空が白むにも似て、次第にその意味がのみこめるようになりました。時折り、よく憶えている句がふと心に浮び雲間をもれた日光の閃きにも似て、その意味がうなずけることもございました。(『武士の娘』大岩美代訳、ちくま文庫、1994年)

 この本の原本は杉本鉞子自身の手によって英語で書かれた。その原文は以下の通り。

There was a certain rhythmic cadence in the meaningless words that was like music, and I learned readily page after page, until I knew perfectly all the important passages of the four books and could recite them as a child rattles off the senseless jingle of a counting-out game. Yet those busy hours were not wasted. In the years since, the splendid thoughts of the grand old philosopher have gradually dawned upon me; and sometimes when a well-remembered passage has drifted into my mind, the meaning has come flashing like a sudden ray of sunshine.

Etsu Inagaki Sugimoto, A Daughter of the Samurai, Diamond Pocket Books 2023, p. 17-18.

 ちなみに、大岩訳は「自ら」(おのずから)とし、小坂恵理訳(『[新訳]武士の娘』PHP研究所、2016年)は「自ずと」としている箇所の原文を見ると、“A hundred times reading reveals the meaning.” となっており、「おのずから」に対応する語はない。上掲の成句を前提にして補ったのだと思われる。
 ここに記述された経験は、「言葉がみずからを解きほぐす」ということと「意がおのずから通じる」ということが不二であることを示している。これが「わかる」ということなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


燃え尽きないように

2024-12-07 23:59:59 | 雑感

 毎年、燃え尽き症候群に陥ってしまう学生が一学年に一人二人いる。それらの学生は概して優秀かつ極めて真面目である。というか、この二つの条件が揃わなければそもそも燃え尽きたりしない。何事にも適当であまり真面目でない人間は、不完全燃焼で燻ることはあっても、燃え尽きたりしない。
 今日の正午から一時間あまり、この九月から日本学科修士一年に席を置きつつ、文科省の奨学生として東京の大学に一年間留学している学生とZOOMで話した。先週、本人からなかり落ち込んでいる状態を知らせるメールが届き、ZOOMで話を聴くことをこちらから提案しておいた。
 この女子学生は学部一年から三年までつねに抜群の成績で首席を貫いた。その日本語能力は奨学金応募者の面接審査にあたった審査官を驚かせたほどである。確かに、学部三年間で彼女ほどのレベルに達することは稀である。三年生になってからの私と彼女との会話はすべて日本語であった。
 今日のZOOM面談もすべて日本語。まず、事情を聴いた。彼女のいまの心理状態はおおよそ把握できた。学年トップの成績なのにいわゆる自己肯定感が低く、自分で自分を追い詰めているところが学部のときからあった。
 他者とのコミュニケーションは得意なほうではない。教室ではもう一人の優秀な女子学生といつも並んで座っていた。他の学生と一緒にいるところはほとんど見かけたことがなかった。
 今受講している日本語コースは八段階の上からニ番目の上級者コースで、クラスは、日本語レベルがとても高い中国人を中心としたアジア系が多数派で、さらには日本人とのハーフの子までいて、それらの学生と比べれば、さすがに彼女もトップレベルというわけにはいかず、本人の弁では、授業中ちょっとばかにするような眼で見られることもあるという。
 まあ、それくらいよくある話で、落ち込むほどのことではないとも思われるのだが、いつも一番だった彼女にはそれだけで耐え難く、自分を責め、落ち込むに十分な理由になる。それで孤立感も深めてしまったようだ。
 話を聴いただけで、私に何ができるわけでもない。これまでずっと十分すぎるほど頑張ってきたのだから、これ以上自分に何かを求めるのではなく、おもしろくない授業は手を抜いてもいい。成績など二の次であり、ぎりぎりセーフだっていい。せっかく一年間日本にいるのだから、この貴重な機会をもっと楽しむようにしたらいい。などなど、気休め程度のことしか言えなかった。
 現在東京に出向中の日本学科の同僚のところに話を聴いてもらいに行ったらどうかとも示唆した。一月には日本学科の他の同僚二人が短期で東京に滞在するから、そのときに会って話を聴いてもらえるように私の方から話しておくことも約束した。
 これからも彼女が燃え尽きないように、遠くからだが、見守っていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


博論審査ミッション完了!

2024-12-06 22:50:55 | 雑感

 今日の博士論文の口頭審査は途中に十分ほどの休憩を挟んで4時間を超えた。
 審査は、型通り、まず博士論文提出者の20分あまりのプレゼンテーションから始まった。このプレゼンテーションでは、通常、博論での問題意識をより広い文脈に位置づけたり、博論のテーマに至る過程や今後の展望などが語られたりする。今日のプレゼンテーションには、論文作成中の個人的な困難な事情が語られた部分があり、ちょっと意外に思ったが、その直後の指導教授からのコメントのなかでその点が補足され得心がいった。
 指導教授のコメントのあとは、事前報告書を書いたパリ・ナンテール大学の教授からの講評と質問。小休止を挟んで私の番。準備したコメントに多少その場で付加したことはあったが、20分あまりだった。私の質問に対する回答はあまり満足のいくものではなかったが、質問を重ねてさらに追求してもそれ以上の回答は引き出せそうもなかったので、それでよしとした。
 私のあとは二人。パリ政治学院の教授と審査委員長を務めたイナルコの教授。この審査委員長のコメントが40分ほどに及び、かなり批判的であった。
 全審査員の講評と質問の後、審査を受けた学生と陪席した聴衆(といっても数人だったが)は一旦席を外し、審査員たちだけが審査会場に残って審議する。審議後、審査を受けた学生と聴衆が再び会場に呼び入れられ、審査結果が発表される。
 博士号は無事授与されたが、審査で指摘された表現上の諸問題を、指導教授の監督下、今日からの1ヶ月間で修正するという条件付きで博論は受理された。この条件は、誤りを少なからず含んだ博論をそのまま公開しなくて済むということでもあるから、博論を書いた本人のためでもある。
 もう一点審査結果として審査員長から本人に告げられたのは、イナルコの内規に基づいて、今年度イナルコに提出された全博論中から選ばれる最優秀論文の審査に推薦するということであった。この推薦は、その年に提出された博論の数が多ければ、その中から選考対象に残ったことを意味するから、最優秀論文に選ばれなかったとしても、推薦だけで一つの積極的評価であることを意味する。
 今回の博論は、最上等の出来ではないが、テーマのオリジナリティその他高く評価できる点もあり、最優秀論文の審査に推薦することには私も他の審査員も異存はなかった。
 かくして今回の審査は無事終了した。
 審査後、指導教授とパリ政治学院の教授とサン=ジェルマン=デ=プレ教会近くのイタリア料理レストランで遅めの軽い昼食を取りながら歓談。昼食後レストランを出たところで二人と別れ、サン・ミッシェル大通りのジベール・ジョゼフ書店に哲学書の新刊をチェックしに行く。
 これは実は私にとって「危険な」行為なのである。この大型書店には、哲学関係で私が欲しくなるような本がこれでもかというほどいつも平積みになっているからである。今日もやはりまんまと「罠」にはまってしまった。フラマリオンから11月に出たばかりの一巻本ニーチェ全集が目に飛び込んできた。さすがにその場では買わなかったが、ストラスブールに戻ってから注文することになるだろう。それと、これは嬉しい驚きだったが、シモンドンの Du mode d’existence des objets techniques の改定増補版がフラマリオンの文庫版叢書 Champs essais の一冊として10月に刊行されていた。こちらは今後自分の研究上必要にもなるので、紙版はストラスブールで注文するとして、電子書籍版を即購入した。その場で購入した中古本が一冊ある。Bruno Latour の La religion à l’épreuve de l’écologie, La Découverte, 2024 である。この本については後日このブロブでも語る機会があるであろう。
 TGV は完璧に定刻通り。自宅に帰り着いたのは午後八時過ぎ。
 かくして今回のミッション完了!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「傷つきやすさ vulnerability」ではなく「傷つけやすさ」こそが問われる ― 村上靖彦『すき間の哲学』より

2024-12-05 23:59:59 | 読游摘録

 本日午後、明日午前中の博論審査のためにパリに移動。16時40分東駅到着。13区の国立図書館フランソワ・ミッテラン館近くのホテルに直行。このアパート・ホテルは INALCO が予約してくれた。出来て数年の新しい建物だが、おそらくは今年のパリ・オリンピックの際に様々な国の観光客にひどくよく利用されたせいなのか、すでにかなり傷みが目立つ。夕食は、このブログでも昨年の6月24日の記事で話題にしたことがあるお気に入りのレストラン Lao-Viet で。開店時刻の18時半少し前に入れたので客は私一人。いつものようにとても感じの良い接客。料理にも満足。
 昨日の修士一年の演習で最近入手したばかりの村上靖彦の『すき間の哲学 世界から存在しないことにされた人たちを掬う』(ミネルヴァ書房、2024年)の以下の箇所を読む。

私は今まで多くの人を傷つけてきたという罪悪感とうしろめたさを 持っており、このことがすき間を解消することの難しさと直結していると感じられる。つまり私自身には見えなかったさまざまなすき間があり、このことで私が多くの人を傷つけてきたが、おそらくこのことは私にさまざまな意味でマジョリティ属性を持つということ、それゆえに困難な位置にいる人の事情を感じ取ることができなかったということと関わる。(p. 241-242)

一つまちがいないのは、マジョリティ側が自分の特権性に気づくことの難しさであり、気づけていない他者の苦境がつねに残ることであり、気づかないことによって「私がつねに誰かを傷つけているのではないか」という恐れを持つ必要があるということだろう。つまり「傷つきやすさ vulnerability」ではなく「傷つけやすさ」こそが問われる。(p. 247)

 この演習ではしばしば vulnérabilité を話題にしてきただけに、村上氏がいう「傷つきやすさ」という言葉には学生たちは皆かなり強く印象づけられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


キンドルの検索機能についての感想 ― 特にその難点の一つについて

2024-12-04 07:46:23 | 雑感

 明後日に迫った博論の口頭審査の講評と質問は一応仕上がった。あとは午後にパリに移動する明日に最終的な確認をするだけである。当日その場で講評および質問を読み上げている間や、審査対象の博論提出者からの応答に応じて付け加えることは出てくるだろうが、それらはそれこそその場になってみなければわからない。
 私を含めて審査員は五人だが、審査開始直前に審査委員長を互選する。発言の順序は、審査委員長が最後と決まっている以外は、やはり審査直前に決められる。どうやって順番が決まるかというと、私のこれまでの経験からだと、その場の「阿吽の呼吸」である。
 その順番によっては準備した原稿を修正する必要も出てくる。まったく同じ講評や質問というのは考えにくいが、自分より先に発言した審査員の講評や質問と自分のそれらとの間に重複があれば、それら重複部分は省略しなくてはならないからである。
 審査員の顔ぶれからして、私はおそらくトップバッターかニ番目だろう。重複をまったく気にする必要がないトップバッターを期待している。
 講評および質疑応答は一人当たり20~30分くらいが目安だが、トップバッターだと短くても長くてもよいという気楽さもある。というのも、度外れに長いのはさすがに慎むべきだが、多少長めでも、逆に短めでも、審査時間全体が予定された時間枠に収まるようにする調整はニ番目以降の審査員と特にトリをつとめる審査委員長に任せればよいからである。
 今回、仕上げに時間がかかったヘーゲルとその同時代のドイツロマン主義との関係についての質問の準備のために文献調査をしているとき、電子書籍版や PDF・WORD 版が使える文献はほんとうに時間の節約に多大な貢献をしてくれた。
 例えば、昨年邦訳が出た Philippe Lacoue-Labarthe / Jean-Luc Nancy, L’absolu littéraire. Théorie de la littérature du romantisme allemand, Éditions du Seuil, « Poétique » の原本は留学してすぐに購入した1978年刊行の初版が手元にあるのだが、その索引は実に「大雑把」(失礼!)で、あまり使いものにならない。驚いたことに、ヘーゲルは立項されてさえいないのである。
 そこで、電子書籍版を購入して、Hegel を検索したところ45箇所ヒットした。実際、それらの箇所の中には、案の定、ヘーゲルとドイツロマン主義との間の微妙な関係に関する重要な指摘がいくつもあった。そこから今回の審査に必要な箇所をコピーするのに(そう、書き写す手間さえいらない)ものの数分もあればよかった。
 もし本文が400頁を超える紙の原本でヘーゲルへの言及箇所を探すとなれば、少なく見積もって数日はかかるであろうし(そんな時間は、ナイ)、見落としも避けがたいであろう。
 ただ、キンドル版には一つ大きな難点がある。最近気づいたのだが、検索を掛けた語の直後に注番号が振られていると、検索から漏れてしまうのである。これは注番号も含めて一語と認識されてしまうためである。その注番号をあらかじめ知ることはできないから、これが原因の検索漏れを探すとなれば、すべての注を確認しなければならない。注が多数付されている書籍の場合、これは一仕事になってしまう。ぜひ改善を望みたいところである。
 ついでに言えば、その他にも検索漏れが発生する場合があるのだが、その原因はまだよくわからない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


岐阜県観光公式サイト『岐阜の旅ガイド』のフランス語ヴァージョンの充実度

2024-12-03 10:39:57 | 講義の余白から

 応用言語学科英語・日本語併修コースの一年生向けの「日本文明入門」で、中間試験以後、日本の都道府県を北から順に紹介している。東京・京都・大阪などの大都市については彼らもいくらかの知識がすでにあるが、その他の地域となると、日本地図上の場所さえ覚束ないほど無知である。もちろんそれは彼らの落ち度ではなく、日本について彼らがこれまで触れてきた情報がそれだけ偏っていたことの反映にすぎない。
 そこで、もっと日本の国土をその全域にわたってよく知ってもらいたいと思い、前期の後半は各地方の紹介にあてることにした。昨日は、長野、山梨、岐阜、静岡、愛知の各県を紹介した。その紹介の際には、県行政の公式サイトと観光の公式サイトを必ず見せる。これらのサイトのほとんどは地方自治体の自前の制作ではなく、民間ウェッブサイト制作会社へ委託されたものであろう。
 県によって相当に出来の良し悪しに開きがある、これには予算の問題もあるだろうし、そもそも地方自治体がどこまで注力しているかにもよるだろう。
 外国からの観光客や長期滞在を目的とした外国人も飛躍的に増えている近年、それだけ多言語での紹介が求められているわけだが、英語ヴァージョンはすべてのサイトで提供されているものの、その他の言語となると自治体間でかなりのばらつきがある。あっても自動翻訳に丸投げの場合も少なからずある。
 英語以外では、中国語と韓国語は大多数のサイトで作成されており、ついでスペイン語、ポルトガル語、アラブ語などのヴァージョンが公開されている。これはその地域を観光客として訪れる外国人やそこに長期滞在しようとする外国人の国籍を反映していると思われる。フランス語ヴァージョンを作成している自治体はきわめて少数である。
 その点、昨日紹介したなかで際立っていたのは岐阜県観光公式サイト「岐阜の旅ガイド」である。フランス語ヴァージョンの充実度が他の自治体を圧倒している。これにはいくつかの理由がある。岐阜県はフランスとの直接的な経済協力を重視しており、高山市とアルザス地方のコルマールとは友好都市である。それに、現在、岐阜市には、弊日本学科修士を今年修了した卒業生がJETプログラムの国際交流コーディネイターとして勤務していることからもわかるように、今後も岐阜県はアルザス地方との友好および経済協力に注力していく方針であると思われる。
 このフランス語ヴァージョンのなかの白川郷のルポルタージュは、若干の表記の間違いと安易な文化主義的アマルガムが瑕瑾ではあるが、なかなかの出来である(その頁へのアクセスはこちらをクリックしてください)。学生たちもかなり興味をもったようである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「鴉」は「烏」でも「からす」でも「カラス」でもない!

2024-12-02 17:07:04 | 雑感

 漢字についての与太話である。
 同じ対象を指し同じ訓みでも正字か略字かで印象が随分異なることがある。常用漢字あるいは教育漢字として今日通用している漢字を「略字」と呼ぶのももはやふさわしくないだろうし、「学」の代わりに「學」とするのは、引用する原文そのままの場合以外は、さすがに衒学趣味ということになるだろう。
 昨日話題にした和辻哲郎の『ケーベル先生』には漱石の同名の名随筆からの引用がある。
 「この夕べ、その鴉のことを思い出して、あの鴉はどうなりましたかと聞いたら、あれは死にました、凍えて死にました。寒い晩に庭の木の枝に留まったまんま翌日になると死んでいましたと答えられた」という箇所である。この引用中の「鴉」が、手元にある岩波文庫版『思い出すことなど 他七篇』(1986年)では「烏」に置き換えられている。
 まったく個人的な感じ方にすぎないと思うが、ここはぜひ「鴉」であってほしい。「寒い晩に庭の木の枝に留まったまま」死んだのは「鴉」であって「烏」ではないとさえ言いたくなる。「そんなこと、どうでもいいでしょ、どちらもカラスなんだから」とお考えの方も少なくなかろうと拝察する。他方、「そうですよねぇ、ここは「鴉」じゃなくっちゃあねぇ」と共感してくださる方も少数ではあろうがいらっしゃるだろうと期待したい。
 『三省堂国語辞典』(第八版、2022年)で「からす」を引いてみて少し驚いた。「鴉」も「烏」も常用漢字表にはない漢字なのだ。つまり、新聞雑誌などの文章では「からす」か「カラス」と表記するということである。「カラスの勝手でしょ」(懐かしい!)というわけにはいかないのである。しかし、「からす」も「カラス」も「烏」も「鴉」ではないのである(ってまだ言ってる……)。