「うるはし」は、愛を表現する言葉としては「かなし」や「うつくし」ほど強い気持ちが込められていないように思える。いくつかの古語辞典の解説を読んでみよう。
上代には、風景や相手を、壮麗だ、立派だとたたえる気持ちを表した。中古以後の和文脈では、主に、外面的にきちんと正しく整っているさまをいい、美の表現としては、端正な美、整然とした美を表す。(『古典基礎語辞典』角川学芸出版)
動詞「潤ふ」の形容詞化。もともと、みずみずしく生気に満ち溢れた美しさをいった。上代では、見事で申し分のない美しさを、中古では多く、道徳・礼儀その他の理想に照らして欠点のないさまをいうようになったが、一面では親しみにくい、かたくるしいといった語感を否定しがたい。(『詳説古語辞典』三省堂)
上代では立派で壮麗なようすを表したが、平安以降は、もっぱら容姿や態度の整っているようすをいう語となった。類義語の「うつくし」が愛すべき美しさ、かわいらしさをいうのに対し、「うるはし」は端正な、整った美をいう。したがってそれは、ともすれば堅苦しい印象を伴うものでもあった。(『全訳古語辞典』角川書店)
きちんと整って欠点のない様子、をいう。上代には、賛美の気持ちを込めて美しい、端正である、の意に多く用いられ、平安時代には、きちんとして、まじめでよい、あるいは整いすぎていてとりすましている、近寄りがたい、などの気持ちを込めて用いられるようになる。(『全文全訳古語辞典』小学館)
これらの説明でおおよそ「うるはし」と形容されるものの輪郭が掴めたようにも思うのだが、それによくあてはまらない用例が万葉集には幾例かある。例えば、巻第十五の中臣朝臣宅守と狭野弟上娘子との贈答歌中の以下の二首がその例である。この二首、いずれも宅守から娘子に贈られた歌である。
愛しと我が思ふ妹を思ひつつ行けばかもとな行き悪しかるらむ(3729)
愛しと我が思ふ妹を山川を中に隔りて安けくもなし(3755)
原文はどちらも「宇流波之」であるから「うるはし」という訓みに紛れはない。愛の贈答歌群中のこの二首での「愛し」は、(整った)美しさを讃嘆するというよりは、離れ離れになった娘子へのいとしい気持ちを表明していると見るべきではなかろうか。
実際、この二首での「愛し」は、小西甚一の『基本古語辞典』(大修館書店、新装版)が「うるはし」の第二の語釈として示している「(愛情をともなった感じで)いとしい。(英語の darling に当たる)」の意に解するのが妥当ではないか。「うるはし」のこの語釈は、しかし、上掲の四つの辞書だけでなく、手元の他のいずれの辞書にも見られない。
さらに話をややこしくしているのは、小西がこの第二の語釈の用例として万葉集・巻第十七の大伴池主の歌(3974)「山吹は日に日に咲きぬ うるはしと我が思ふ君はしくしく思ほゆ」を挙げていることである。というのも、この歌が同族下僚の池主から家持に贈られた歌であることからしても、この「うるはし」は「いとしい」というよりは「すばらしい」という賛嘆の念を表していると見るべきだからである。
それはともかく、「(愛情をともなった感じで)いとしい」という小西の辞書だけに見られる語釈は注意されてしかるべきだろう。この意味があればこそ「うるはし」を「愛し」と漢字で表記することにも納得がいく。