こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

坂本龍一のサウンドストリート 1981年5月19日

2005-06-21 07:12:00 | 坂本龍一のサウンドストリート
ゲストは、なんと一風堂の土屋昌巳師。

1.The forgotten language of light アンディ・パートリッジ
2.早い話が スパンダーバレエ
3.二人のシーズン 一風堂 「radio fantasy」
4.イミテーション・チャ・チャ 一風堂
5.LISTEN TO ME 一風堂
6.ダブリング・レディオ 一風堂
7.チャイナ・ステップ 一風堂
8.アヴァンチュリエール 大貫妙子

思えば、この後、7/21に、この一風堂の「radio fantasy」は発売され、同時に、日本初めてのMTV「コズミック・サイクル」がイギリスで放映されました。これが、きっかけとなって、イギリス他ヨーロッパでも、どうも「日本」のオンガクは面白そうだぞ、という盛り上がりが出て、一風堂も向こうの雑誌の紙面を飾るなんてことにもなる前夜の時期の放送でした。とにかく、僕のように当時中学3年の少年にとっては、夢のような日々。僕にとって、テクノ、そしてオンガクの黄金時代であったと想います。当時の少年には、2800円のレコードはポンポン買えるなんて夢のようなこと。純粋にオンガクが好きでいられた少年は、必死に夜な夜なエアチェックをしていました。そんなことで、実はこの「radio fantasy」も手に入れたのはつい最近のこと。苦節、10数年、神保町でやっとのこと発掘しました。一風堂のレコードはBESTしかCDにもなっておらず、また今では、LPもなかなか中古屋さんでも発見出来ない代物です。

放送当時、土屋は、矢野顕子の「ただいま」ツアーで、ギターとして参加している最中。この「radio fantasy」もそのツアーの間を縫って創っているという土屋に、「どうもすみません」と教授が恐縮する場面も。制作途中のテープを持ってきてくれて、発売2ヶ月も前というのに、5曲も聴くことが出来ました。「REAL」で初めて一風堂を聞いた僕でしたが、かなりPOPで、また1つ良いものが出たなあという感じで聞いていました。

また、楽器が重要な1つのキーでもあった当時のシンセの機能・技術に関する話しの当たりも、興味深い。「LISTEN TO ME」では“キカッ”という音が入っており、土屋が「これはコルグの、そう17万円位するデルタというやつで創った」というのに対し、教授は「僕が、プロフィットで創った音と同じだ。いいですよねえ、ホワイトノイズのレズノンスあげてね・・“キカッ”って(笑い)」という話がある。この音は、「左うでの夢」の“ヴェネチア“やNeuMuzikの”while you wait“という曲(サンストでは6/16にかかりました)にも使用されているカッコイイ音で、当時のNewWaveの流行だったのです。また、面白いことに、「チャイナ・ステップ」はトラックダウン前のものをかけてくれて、これはLPに収録された曲とは趣を異にしています。(ということがLPを入手してわかったのですが、、、。)LPでは、仙波清彦さんの雅楽器が入り、ユキヒロのFlashbackのような中華っぽさというかオリエントっぽさがあります。また、シンセのフレーズも若干違う。僕個人は、ラジオでかかったモノのほうがステキです。今で言えば、リミックス・バージョンですね。

土屋昌巳は、外国の色んな音楽を、教授を通じて、教えてもらったということを、当時のFMレコパルでも語っていた。彼にとっては、非常に大きい影響を坂本から受けていたのだと思う。番組の初めには2人とも好きなのであろうアンディパートリッジもかかり、どちらかといえば、この類は土屋のほうが好きなのだろうと思える当時のムーブメント・ニューロマンティックよりスパンダーバレエがかかり、Visageのスティーブ・ストレンジの化粧が「メチャ濃くて」冬になるとヒビ割れるという笑い話をされていました。

この当時は、矢野顕子ツアーにも参加し、教授とも師弟関係かのような関係は、実はこの後ねじれて行きます。僕も、正直その根元的な所は判らないのですが、土屋昌巳のミーハーですぐパクる病が気に入らなくなったのか(彼のそこがいいと僕は想うのですが)、外国に対して東洋への誤解をさせる方法論が気にいらなかったのか、YMO・坂本の利用の仕方が気に入らなかったのか、多分そういった当たりだと想うのですが、この2人は、たもとを分かつことになります。このサンストにも、以後、ちらっちらっと、土屋昌巳を批判するセリフが出てきます。


ロッキンオン‘84年1月号に掲載のイギリスNME誌に答えたインタビューで、教授はこういっています。
<Q>POPスターとして知られたいですか?
<A>「答えにくい質問ですね。坂本龍一のコメントやルックスの方が、坂本の音楽よりも重要になるか、ということでしょう?やってみますよ。もし。もし、自分のパーソナリティというものを装うのが化粧するのと同じ位カンタンならそれは一風堂の土屋昌巳にまかせますけど。」

僕は、いわんとする通り彼の批判が判りながらも、非常に下世話で人間的なこの土屋昌巳というヒトは、今でも何故か好きなのです。非常に屈折していますが、やりかたがあさはかだなあと想いながらも、コドモのように、すぐヒトのモノを欲しがり、手に入れて、すぐ表現する彼には、同じニンゲンとしての興味が沸いて、逆に何かやってくれるんじゃないかという期待もありました。

しかし、この頃のシャイで寡黙なロマンティストと、それに内心憧れる青年という感じのこの番組は、いい感じの時代の空気が流れていて好きでした。僕は、今でもたまに聞くことがあります。音楽にわくわくしていたキモチを思い出すために。
(2000年12月記す)
コメント (4)
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