こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

12月4日 月曜日 中森明菜 「禁区」 '83

2006-12-04 19:04:00 | 音楽帳
なぜか、中森明菜の「禁区」を聞いている夕暮れどき。



今日は、振り替え休日で、会社を休んだが、洗い物、コメとぎ、掃除、洗濯、それに、こたつを引いたり・・・・そうしていた。
昼ごはんを食べて、昼からお酒を飲んでいたら、こたつで寝てしまい、1日が終わってしまった。
そして、中森明菜、である。

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「禁区」は、松本隆&細野さんコンビ。
音は全て打ち込みです。

聞いていると、YMOの「過激な淑女」に似ている箇所があって興味深い。
まあ、元々、「過激な淑女」は、YMOとして、中森明菜の新曲のコンペのプレゼンに出して、落ちてしまった曲で、それを自らでやったものだから、雰囲気が似ていても仕方が無い。

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80年代初頭、自分は、突っ張っていながらも、ぽちゃぽちゃした中森明菜が、可愛くて好きだった。
明らかに山口百恵を意識した流れであったが、歌が良く、本人もなかなか表現力があったし、そのへんのアイドルには無い雰囲気を持っていた。

しかし、驚くのは、かたや、1983年、イギリスの音楽、それに、YMOの活動、それを思うと、そこから大きく乖離したところで、日本の社会には、こういう「歌謡曲」が蔓延し、中心を占めていたのである。

細野さんが当時よく言っていた「メジャーとマイナーが乖離した、亀裂を生じた不自然な状況」だった。
まあ、その二重性・仮面的なこと事態が、80年代そのもののあり方だったのだが。

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中森明菜の系譜を見ていると、面白い。
時代との重なりあいとか、自分との重なりあいとか・・・。

自分よりもおねいさんで、1965年ー昭和40年生まれ。

デビュー曲の「スローモーション」は、1982年5月1日発売。
同時期、自分は、高校の男同士で海に行き、この曲をラジカセで聴いた記憶がある。ひどく切なく・憂いを持ったおももちの歌で、好きだった。

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花の82年組のアイドルは、小泉今日子・早見優・堀ちえみ・松本伊代などがいるが、存在感は中森明菜が、卓越している。

また、興味深いのは、デビューのキャッチフレーズ「ちょっとエッチな美新人娘(み・ルーキー・っこ→ミルキーっこ)」!!!。

すごいです。
ナンなんでしょう、ミルキーっ子って。

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シングル盤を並べてみる。

1st 1982年5月1日 スローモーション EP
2nd 1982年7月28日 少女A EP
3rd 1982年11月10日 セカンド・ラブ EP
4th 1983年2月23日 1/2の神話 EP
5th 1983年6月1日 トワイライト -夕暮れ便り- EP
6th 1983年9月7日 禁区 EP
7th 1984年1月1日 北ウイング EP
8th 1984年4月11日 サザン・ウインド EP
9th 1984年7月25日 十戒 (1984) EP
10th 1984年11月14日 飾りじゃないのよ涙は EP
11th 1985年3月8日 ミ・アモーレ〔Meu amor e…〕 EP
12th 1985年6月19日 SAND BEIGE -砂漠へ- EP
13th 1985年10月9日 SOLITUDE EP

やっぱり可愛かったのは、最初の1・2年で、ぽっちゃりの好きなかたちんばには、あの暗く冷たい感じなのに、ほっぺがぽちゃぽちゃしていたのが好きだった。

1983年のブロマイド売上実績が女性部門でNo.1になったそうである。
ブロマイドは、今も浅草のマルベル堂などで手に入るが、この頃は、アイドルがよりどりみどり並んでいたんだろうな。

***

1983年、中森明菜 18歳、かたちんば 17歳の頃の、この「禁区」、今では懐かしさからもあるが、それ抜きでも、聴ける。
それはやっぱり細野さんファンであり、マニアだからだろうか。
コメント
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