こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2011年10月10日 月曜日・祝日 まみちゃんのお墓参り

2011-10-10 08:21:25 | 想い出かたちんば

2009年10月12日 月曜日 「体育の日」祝日の秋晴れの雲一つ無い日に、相棒まみちゃんが亡くなってから2年が経つ。
今日は、これからまみちゃんのお墓参りに行く。


***

大阪から東京に戻った1996年4月。
実家には、自分が大阪時代で知らなかった、コチャコと呼ばれるネコが居た。
いわば、自分はコチャコにとってはよそ者。
お盆・正月にだけ現れる他人感覚。
当然、敵視されて近づけなかった。

コチャコは幼い頃に捨てられたらしく、ある日、実家の庭に現れたのを両親が餌付けしながら、やっとのことで家に呼び込んだそうである。
コチャコが、おびえ症というか、とにかく、なかなか人にはなつかず、両親でさえ手に負えないところがあるネコだった。
ネコは、あるときには気まぐれに人に近づいたり甘えたりする時もあるものだが、コチャコにはそういうものが一切無かった。

そんな戻ってきたら浦島太郎な状況の、とある夜。。。。
4月8日のお釈迦様の誕生日。
コチャコが居間のソファの上で、クッションの陰で視線を隠すように丸くなっていた。
しかし、いつも鳴いてばかりいるのにやけに静か・いつも動いてじっとしていないのに動かない。

おかしいな?
とみんなで上から覗き込むと、破水が既に始まっていて「こりゃ、えらいこっちゃ!」と、至急ダンボールを準備、タオルを引いて物陰の場所に置いて、そこに両親がコチャコを移した。

途中、盗み見るように、そっと中を覗くと、ヌルッと体内から太いウンコのように、コドモが産まれる瞬間を見た。
自分はネコが産まれる瞬間を見るのは、これが初めてだった。

1匹1匹産まれて行き、結果、4匹の子ネコが産まれた。
コチャコは、全員を舐めて上げて抱いていた夜だった。

***

この後、毎日、帰ってから子ネコたちの成長を見るのが楽しみだった。
拾い上げようとすると、当然コチャコは睨みつけ牽制するのだが、それでもなかなか動けないので、スキを狙って手に取ると、手の上に乗る位の小ささ。

みんな可愛かったが、その中でも特に、目が大きくてキラキラしたまみちゃんが一番自分を惹きつけた。
小さい自分の手を自分で噛むまみちゃんを、手に乗せながら微笑み顔がゆるくなった。

日々、4匹はすくすく育った。
遊びたい盛りに入ると、手に負えない状態。
誰かがトイレに入った後、ドアを完全に締めないでいたら、その隙間から入り込んだらしく、トイレに入ったら、4匹はトイレの便器の中で水浴びしながら遊んでいたり。
レースのカーテンに、みんな登り競争していたり。

ある程度まで育った段階で「4匹全部は飼えない」ということになった。
その中で、自分が頑として譲らなかったのは、まみちゃんだけは人に譲れないということだった。
瓜のようなシマ模様のウリちゃん、白い面積が多かったシロちゃんの2匹は「まあ、かわいい」と喜んで飼ってくれる人が近所に居て、譲ることになった。

***

残ったのは、三毛猫の正(しょう)ちゃん、そして、まみちゃんの2匹。
飼った当初、正(しょう)ちゃんをオスと思い、まみちゃんをメスだと思っていた。
それくらいに2匹は見た目も行動も逆転していた。

【1996年7月15日。生後3箇月のまみちゃんと正ちゃん。】

正(しょう)ちゃんは(三毛猫というのはそういうものらしいが)活発で頭の回転が良く、いっときもじっとせずに遊び、手を器用に使ってドアを開けてしまったり・ジャンプして換気扇の引っ張る紐を引っ張ったり・ネズミをくわえて帰ってきたり・・。
当初、正太郎と名付けていた。
外に遊びに行くときは、常に先頭を正(しょう)ちゃんが歩き、そのあとをまみちゃんが付いて行く、という構図だった。

一方、まみちゃんは、ぽわーんとした雰囲気を湛えていて、のんびりした穏やかな性格。
たまにドジをする。
(まるで自分が幼い頃、大好きで人形をいつも抱いていた「オバケのQちゃん」そのもの。)
目が大きくて女の子のような可愛い顔をしていて、すっかりメスだと信じていた。

この2匹の性別が逆だと分かったのは、実は獣医に見てもらった際に分かった。
先生「まみちゃんはいいですけど、あなた、このネコ、オスですよ。」
自分「ええーっ!?」

名前を変えるか?否か?の審議もあったが、名前も生まれ育った時の「縁」ということで、変えないことにした。(「正子」と「まみ男」という安易な案もあった)
そこから「まみやん」だの「まみころ」だの呼ぶようになった。

まみちゃんには、産まれた当時「シャカちゃん」という候補があったが、自分が当時好きだった(今でも好きだが)山瀬まみちゃんの目にそっくりで・キュートな感じもウリ2つだったので、名前をそのまま使って名付け親となった。
不思議なもので、名は体を表す、というが、その通りに2匹の有様は、その名前以外考えようも無い風に育っていく。

***

つねに活動的だった正(しょう)ちゃんは、かなり遠くまで遊びに行っていた。
そこで交通事故に会い、生き急ぐ形で、唐突に正(しょう)ちゃんを失う。
この子を特に可愛がっていた親父がひどい落胆し、泣いた。


いっつも金魚のふんのように、後について外でも行動を共にしていたまみちゃんも含めて2匹危うく一緒に・・・と思えば、そら恐ろしいことだった。

その後、まみちゃんが残り、その後もユーモラスで人なつっこい性格が顕著になり出し、みんなに愛され、日々の潤いでもあった。

とにかく食いしん坊で、最大6kgの大きさまで大きくなった。
エサを上げているのに、それより人が食べているものの方が美味しいはずだ、と思っては、食卓の上に巨体で上がり込んではそこを占拠しながら、少しでも美味しいものをもらおうとして粘った。
本当はネコにイカはダメなのだが、まみちゃんはイカが大好物だった。
仕方なく出来るだけ塩分を除き・ほぐして上げていたが、とにかくイカらしきものを見ると察知して興奮して「くれくれ」とねだる。
またケーキを食べていたりしたら、すっ飛んできて身じろぎせずに「じーっ」と見ては鳴き続ける。
「まみちゃんが食べるものじゃないんだよ」と何度も言うが、言うことを聞かない。
「みんなが食べているから美味しいに違いない」と思い込んでいるので少し上げると、甘いものでも食べる、そんなネコだった。

大きいカラダで、かつ毛の固まりのよう。
まるで、ケサランパサラン。
ふわふわした毛が尋常では無いくらいに伸びていて、外をパトロールに出掛けても、近所の人々は巨大ネコが塀の上を歩いている様に「ギョッ」としたという。
毛が多いので、ようく遊んで外から帰ってきたら、ウンコをぶら下げて帰って来たり。
仕方なく、鳴きわめく中、お風呂で2人がかりでウンコをシャワーで落としたり。
カラダが大きいので、よく何かにもたれているポーズがお得意だった。

晩年、不思議なおじさんがたまに現れた。
「このまみちゃんは、100万円くらいするんですか?
今日もまみちゃんを見させてもらいます。」と軍隊の敬礼のポーズを取っては、よく見にやってきていた。
こころの中では「100万円でも、渡せないですよ。」そう言いながら。
そんなこともあったっけ。











***


13年半という一番長い付き合いだったので、居なくなったのは淋しいことだし、自分のカラダの一部をもぎ取られてしまった欠落感は続くが、多くの事件や想い出がまみちゃんにはある。
今まで何度かの代変わりをしつつネコを飼ってきて、みんなそれぞれへの想い出と愛があるが、何かまみちゃんへの思い入れには特別なものがある。
まさに「相棒」という感覚で、いつも近くにまみちゃんが居てくれた。
思えば「オバケのQ太郎」の正ちゃんとQちゃんのような関係だったのかもしれない。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする