くたくたになって23時に寝て、9時半に寝覚めた朝。
起きて、いっぱいに両手を伸ばす。いつの間にか寝ていて、睡眠薬無しで眠っていた。
かなり良い感じ。とはいえ、ヘルニアマンによる左首から肩・背中への痛みがキツイ。
【コーヒーの苗】
4月5日の、仕事場からの帰り道。橋を渡ったら、渡りきったところに、クマのお嬢様がポツンと居た。
誰かが落としてしまったものを、誰が拾い上げて置いたのだろう。
夜のしじまに、鮮やかな色彩で独りぼっちのクマのお嬢様の光景。
風が吹いたら川に落ちてしまうし、雨が降ったら濡れてしまう。と言い訳をしながら、お嬢様を家で保護することにした。
今では、みんなの仲間入りしている。
今週前半は暑いくらいに温度が上がったが、後半は急激に寒くなった。
地球の動向は、過去データをいくら分析しても「想定」「未来予測」など出来ない。それに対して「お前が立てた予測は、当たらなかったじゃないか」とクレームを付けるキチガイども。
じぶんは、4月から仕事の内容が増えて、この「未来予測」をやるハメになった。過去からさまざまな本を読み・研究してきたが、結論としては「クレームつけるヒマがあったら、目の前の事態に対して、さっさと動け」ということになろう。
いつでも動ける準備をせい、としかじぶんには言いようが無い。
「未来予測」は仮想値なので、そこから大きく逸脱し始めたら、それに対して・それぞれが補正をしていくこと。これに尽きる。
昔の人たちは、良いことわざを残したきた。この事象を表現するなら「天にツバを吐く」となるだろう。
オレは占い師でも無ければ、超能力があると断言する幸福の科学の大川隆法でもない(なぜ?超能力がある彼が3・11を超能力で予言出来なかったのか?。それがじぶんにはナゾだが。)
今朝、寝起きに頭に浮かんだ、ラジオで聴いた実話。
わたしにとっての80年代には1988年は含まれないが、その年にヒットしたフラワーロックというおもちゃ。
音が鳴ると、それに反応して、からだをくねくねさせて動き出す。
とある家でおじいちゃんが亡くなった。その家の中で(今のような葬儀場という場ではなく)、お坊さんを呼んでお葬式をした。
すすり泣く人たちが、お坊さんの背後で喪服姿の中、静寂が包む空間の中で、お坊さんの木魚を叩く音に従って、その畳の部屋に置いてあったサングラスをしたフラワーロックたちが、うれしそうにガンガンからだをくねらせてロックンロールをしてしまう。
まだ生と死が隔離されていない地域での出来事。笑うに笑えない中、フラワーロックはからだを躍動的にくねらせている。
じぶんは、「ロック」というコトバ自体が嫌いなのもあり、フラワーロックは買わなかったが、家には「ひだまりの民」はいつも光に反応してうっつらうっつらしている。
同じように、光に反応して動く花も、いつもの場所でゆらりゆらりしている。
今週、鶴見済さんの「脱資本主義宣言」を読みながら、「われわれ」と「彼ら」の距離を思っていた。
「われわれ」側には仲間の動植物が居て、「彼ら」というより「ヤツら」と呼ぶべきだが・そこには残りの殺すべきニンゲンがいる。
「彼ら」は別段政治家や上層部のみでは無い。身近にいる連中も含まれる。それは、あなたの横に住んでいる人も含まれるかもしれない。
■Ulrich Schnauss 「Between Us And Them」2001(From Album「Far Away Trains Passing By」)■