一週間の仕事を(終えてはいなくとも)終えて、都市部を離れてしまえば、へろへろであっても自由にはなれる。親友MZ師は「そんな、仕事をしている場を離れたときが、一番しあわせかもね」と、よく言う。
眼も頭も痛いので、音楽を聴くことも・読書もしないで、ぼーっとしているうちに島に付いてしまうが、”無為”つまり「何もしない」ことが心に平和を運ぶときがある。
40年余前も今夜も変わらないのは、昼は都市部に居て、夜は周辺の離れた場所に居ること。全く異なる世界を行きかう二股生活。それは、ある意味幸福であり、体内にセットされた記憶がこの場所にいざなったのだろう。
島の道をとろとろ歩いていると、お月様がきれいな夜である。
歩くと、路地から住まう人の明かり、見ている映画や聴いている音楽の音が聴こえてくる。
都市部は、そんなこと全部にうるさい、と線引きをして、関係の無い第三者に訴えて済ませようとするのだが、どうもその加減は行き過ぎている。
反面、ここにはそういう線引きがまだゆるい空気が流れている。だからネコたちが住まう。
かと言って、ガキがうるさければうるさい、と言うが、そんなことは当たり前である。
おぼろ月夜、なのだ。空にカメラを向けてシャッターを切ったけど、あんまりよくは映らない。
写真など撮らずに、現物を見ているほうが、美しさを味わえるのかもしれない。
そういえば、今朝の空の美しさは、まさに芸術的な青と雲で、空が高い、秋ならではの絶品だった。
こんな日に、室内で仕事をしている場合じゃなかったかもしれない。
入院しているヒトが今居るとしても、もし窓があるならばラッキーだ。
無くても、周囲のヒトを最大限利用してでも、空を見る場所に連れて行ってもらったほうが良い。
去年の今頃、お袋の入院した部屋で、ひたすら空の話をしていたことがあった。月や星が窓を時間をかけながら動いていた。それは、一つには嘆く言葉から解放させる意味で、他に意識をそらすため、だったが、そんな誘導のみではなくて、個人的経験からもおススメしたかった。
お袋の居た部屋は窓が大きくて、それを「まぶしいから」とカーテンが覆ってしまうし、周りが閑散として立たないと何も見えなかった。身動きが出来ないから、視界は何一つ動かない。静寂こそが栄養になるときも多いが、あまりに不動状態になると煮詰まる。次第に悪いほうに転がってしまう。そんな悪循環になるならば、カーテンを開けて空を見たほうが良い。
どんな日だって、空模様は変わっていく。鳥が現れるかもしれない。
あるいは、UFOならずとも飛行機や月や星が見えるかもしれない。
見えない日でも、色は変わり、雲が文様を変えて行ったりということがある。
何も区切る明確な線や形状が無くても、そこに何かがあるのだ。
お月様をめぐる曲はたくさんあるが、あまり脳が回らない夜。
エコー&ザ・バニーメンの「キリングムーン」は少し先鋭的だし、プリンスの「アンダー・ザ・チェリー・ムーン」も名曲だけれども妖しい夜の気配を表現しているし。
そういえば、と脱線すると、プリンスの新譜がついに発表された。みんなが元気になれる前進の座標。
9月からプリンスの新曲がインターFMで掛かっていて、良いなあ、と思っていたが、今日はそれを含む新譜から3曲聴けた。
そうして、なんだかんだと迷った挙げ句、この曲を選んだ。
■イエロー・マジック・オーケストラ 「シムーン」1978■
自分が中学生の頃、この曲を聴いた印象から、春ぼらけの夏に向かう時期の桜の咲く樹の下を歩く夜のシーンが浮かんでしまう。
そんな千鳥ヶ淵近くの誰も居ない、日本の幸せな風景なのだが、このテンポのゆったりさが、今夜伝われば良いと思う。焦る必要は無いです。