こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

音盤日誌:ティナ「シャイニング・スカイ」(ラジオ「ミュージック・スカイホリデー」テーマ)

2021-08-25 22:00:00 | 音楽帳


ラジオ番組「ミュージック・スカイホリデー」のパーソナリティーだった滝良子さんが亡くなってしまった。
日曜の夜、よくこの番組を聴いていた。
調べてみるとこの「ミュージック・スカイホリデー」は、1976年(昭和51年)10月~1984年(昭和59年)4月まで7年半放送していたらしい。

日曜夜は、全部のラジオ番組が深夜に終わっていく心細い夜だった。
当時の夜は今より深い夜。町全体が眠っていく夜だった。
寝床に入っても、考えれば考えるほどに眠れぬ方向に行ってしまう性格のじぶんは、翌日から一週間が始まる憂鬱を抱え、よく眠れぬ夜を過ごした。

小さな灯だけ付けて暗くした寝室で、まくらの耳の位置にポケットラジオを置いて、ラジオ番組に耳を傾けた。
そんな夜に「ミュージック・スカイホリデー」の滝さんはやさしく語りかけてくれた。そんなことをよく記憶している。

***

じぶんがラジオに猛烈に夢中になっていくきっかけは、小島一慶さんの番組「夜はともだち」(TBSラジオ)だった。
明るくにこやかな声ですらすらと次々出てくる言葉は、夜のひそやかな楽しみであり、イヤなことがあった日の救いでもあった。

そんな、小学生時代あこがれたディスクジョッキー=一慶さん。その一慶さんも昨年75歳で亡くなってしまった。
多くを言わずに来たが、昨年小さな記事で知った際、かなりうろたえた。そして、当時の番組を聴き直した。
根強いラジオファンがyoutubeに上げてくれている当時の番組が、なんとも言えない懐かしさをまとって聴こえた。

それは単純なレトロ・懐古主義という意味ではなく、今のじぶんと周囲の世界が失ってしまったやさしい色合いを感じさせた。
技術面で現代よりもつたないとしても、そんなことより伝える側にも聴く側にも存在のありかや魂が感じられた。
ラジオという道具を介して、お互いの場を形成し、想像力を膨らませ、羽が無いのに広い世界を飛ぶようなことさえ可能にさせていたのが、わたしにとっての深夜ラジオだった。

うまく言えないのだが、例えばこれをドラマ脚本に置き換えてみたら、向田邦子さんという存在にたどり着く。
向田さんのドラマ作品と他を並べれば、言葉で語らずとも伝わってくるなにがしか。
それと同じようなものが、当時聴いていたラジオ番組と今との距離のあいだに存在している。

今もラジオは大好きだし、Radikoやyoutubeとの連動など新しい手法を試みるなど、今もラジオは面白い。
そして、エネルギーをもらうのだけれど、その一方で、あの頃に置き去りにされた何か。。。それが未だにあると思うのも確かだ。

***

「夜はともだち」も「ミュージック・スカイホリデー」も、同じ1976年に放送を開始している。
一慶さん(&林美雄さん)の「夜とも」が4月に始まり、滝良子さんの「ミュージック・スカイホリデー」が10月開始。
どちらも生放送でやっていた。「今」という時空を共にしている、それが聴く側であるじぶんの心を動かす一つになっていた。

「ミュージック・スカイホリデー」はスポンサーが全日空で、四季折々の空の旅をテーマにしたCMに惹かれた。
番組テーマ曲であるティナの「シャイニング・スカイ」のメロディとコーラスは、今聴いても美しい色合いで、色あせていない。
聴くたびに空を飛ぶような空気感に包まれる。




■ティナ「シャイニング・スカイ」1979■



滝良子さん、お世話になりました。
コメント
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