こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

New Order 「Regret」'93

2011-02-11 01:59:36 | 音楽帳
かつて、このブログでも取り上げたニュー・オーダーの「リグレット」を、今夜も再び聴きたくなり、繰り返し聴いている。



「Regret」とは「後悔」というネガティヴなことを意味するのにも関わらず、この曲には、なぜかポジティヴで、ほの明るく見える一筋の希望を感じてしまう。

あれほど下手くそだったバーナード・サムナーのヴォーカルが、なめらかで説得力ある流麗さに変化していたことに、初めて聴いたときに驚いた記憶がある・・・。
そして、流れるようなメロディ。
下手の塊だったそれぞれのパートもチカラ強い演奏に変わっていた。

デヴィッド・ボウイ&ブライアン・イーノの「ロウ」に収められた重く深い名曲「ワルシャワ」をバンド名にしたところからスタートした彼らが、ジョイ・ディヴィジョンという哲学的暗きバンドを経て、ツアー直前にヴォーカルのイアン・カーティスを首吊り自殺で失うと同時に唐突に切断されたジョイ・ディヴィジョン。
そんな解散という目に会いながら、ニューオーダー(新しい秩序・配列)という名で再出発し、その中でもがくようにして、ジョイ・ディヴィジョンでは無い新しい音楽を・・・と。
大抵の凡庸な「集まってバンド始めました」という、実にありきたりな成り立ちとは全く異なるスタート地点から、構成主義的に音を配置する実験と試行錯誤を取りながら、最終的に、彼らにしか手に入れられなかったプロセスで、ニューオーダー(新しい秩序・配列)という稀有な音楽を確立した。

さらに、その後も変遷を辿りつつ、全く元居た地点からはるか彼方の地点で、この「リグレット」は穏やかに鳴っている。



彼岸から此岸へ
死から生へ

全身全霊で、この大きな距離を跳躍した、このニューオーダーという、実にまれなるバンドの跳躍距離のすさまじさに驚く。

死の淵という血の凍るようなマイナス温度のところからスタートしたバンド。
ジャケットにバンド名さえ表記しない、誰が聴こうが知ったことかというバーナード・サムナーの発言に見えたルサンチマンとあらがい。

そんなバンドに、生命の赤い血が流れ出し・人との「関係」への視線が生まれ・・・
そこに生まれた人間のエネルギーの強さ。
・・・長きプロセスの果てでの血の色(青→赤へ)の変化がもたらした優しさが、この「リグレット」をほの明るくしているのかもしれない。

ニューオーダーとは、本当に長い付き合いで、ほとんどを聴いてきたし、好きなアルバム・曲はたくさんあるが、その一連の曲の中でも、私個人はこの曲に非常に想い入れ強い。

ニューオーダーに勇気付けられるなんて日があるなどゆめゆめ思わなかったが、この曲に込められた、繰り返し繰り返し聴くごとに「意志」「強い意志」に勇気付けられるのである。

音楽が持つ力。

それは、上っ面の愚集社会とは隣り合わせで居ながらも、高貴な輝きを持って、光を放ちながら我々を支えている。

***

■ニューオーダー 「リグレット」■

たぶん、ボクは住所も名前も忘れてしまったんだ
今まで知り合った人までも

別に「後悔」はしていないよ

それは今日じゃなくっていい

今日は学校のテスト・・そして、子供たちは逃げ去っていった


ボクが「自分自身の居場所」って言えるところ
電話で話すこと
毎日起きて始まり、それでかまわない
傷ついたことに異論はないよ


ボクは、キミを見るたびにいらいらしてた
ほとんどいつも

たしかにキミは、かつて知らない人だったけど
今では、キミはボクのものなんだよ


ボクはキミに信頼さえ持っていなかった
ボクはあげるものなんて、そんなに持ってない
ボクたちは、限り在る中での親しき関係
誰とだかなんてわかんないけど
キミは、ボクがナイーヴで手におえないと思っているだろうね
それは、よくわかっている
馬鹿かもしれないし・・


でも今回は違う
ボクを見てくれよ
ボクはキミじゃないんだ

たしかにキミは、かつて知らない人だったけど
今では、キミはボクのものなんだよ


ボクは気が短くて、絶えずキレていたし
たしかにキミは、かつて知らない人だったけど
今では、キミはボクのものなんだよ


ボクが「自分自身の居場所」って言えるところ
電話で話すこと
毎日起きて始まり、それでかまわない
傷ついたことに異論はないよ


ただ明日が来るのを待つ
みんなが言うように
なにもかもが駄目になってしまう前に


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7 コメント

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音楽の力 (さくりん)
2011-02-13 00:24:05
ネガティヴな言葉でポジティヴを歌ったり、
一方では
悲惨な場所からワンダフルな世界を夢見る…

共感したり、薬や示唆であったり、転機になったり
何年も変わらず響くもの、
「私」とともに変化するもの、
「私」を繋ぐもの。

これだけの数と変化と幅があって
食べることと同様、
必要な人と必要としない人とが居て。

そしてお互い、自慢でも何でもなく
それだけのことを経てなお前を向ける
(ふと思いました、)ヤジロベーの軸のような…ぶれる「私」を保つもの。
返信する
やじろべえ (かたちんば→さくりんさんへ)
2011-02-13 01:49:40
「やじろべえ」

うなずくこと大です。
「喜怒哀楽」などというコトバがありますが、「喜」や「楽」の1日は少ない自分。

本当に振幅大きい「自分」というのは制御が効かないものです。

一瞬・一瞬を生きている「自分」は、その「時」が棒状に繋がったものとは思えないほど、それは分裂症の如きですね。

***

「時」というもののもたらす不思議さから、今日、名言を集めてみました。

「未来がどうなるか、あれこれと詮索するのをやめよ。
そして、時がもたらすものが何であれ、贈り物として受けよ。」(ホラティウス)

「過去と未来は最高によく思える。
現在の事柄は最高に悪い。」(シェイクスピア)

「遅くなっても全然行かないよりはマシだ。」(リヴィ)

「時間が過ぎ去って行くのではない。
われわれが過ぎ去っていくのだ。」(西洋のことわざ)

「時を短くするものはなにか――活動。
時を絶えがたくするものはなにか――怠惰。」(ゲーテ)

「過去のことは過去のことだといって片付けてしまえば、 それによって、我々は未来をも放棄してしまうことになる。」(チャーチル)
返信する
一瞬の時・永遠の時 (さくりん)
2011-02-14 02:36:01
「現在の事柄は最高に悪い」と言う人もいれば、
「その日その日が1年中の最善の日である」(エマソン)と言う人も。

「怒」「哀」は薄れはしても消すことはできないし
「喜」「楽」の記憶は保たなければ希望を持つことはできない。
一瞬一瞬を生きても、生き続けるにはその時々を切り離せず、「棒状に」繋ぐ中継にならなければならない自分。
中継の度に流れる混沌に覆われる自分。
希望とともに、痛みもバランスの要素かもしれません。

「永遠は一瞬のなかにある」
と言った人もいましたね。

どの言葉も響くものがありますが、
かたちんばさんがいつか言って下さった
「たった1枚のレコード盤を顕微鏡のように眺めて1日を費やす、そういうのが、しあわせの発見だったりする」
が、私には大切な一言になっています。
返信する
鎮痛夜1 (かたちんば→さくりんさんへ)
2011-02-14 23:32:21
昨夜2時間半しか(不眠症で)眠れず。

土曜日パソコン持って上司のマンション近くで資料を見てもらい、最終の相談・アドバイス…というより結論に導引して頂いたお陰で、期限の今日なんとか昼に仕上げたプレゼンを提出出来ました。
今朝は、午前の2時間を頂き、今回のプロセス整理と今後への助言を頂きました。

プレゼンの受け手各々の指向性格を描きつつ「なるほど」と思わせねばならないと重々練ったつもりが、ネックとなる想定内だった「或る1名」への視点が不足していました。
また、今日一旦提出したものの、また再提出とも言い兼ねないので、「喜」も「楽」も、今は感じないようにしています。

10月後半から倦怠感から起き上がれなくなり、11月の肝臓イカレている事判明と断酒禁欲生活が始まり、師走から約3ヶ月もこのプレゼンに費やす事になってしまった鬱屈抑圧が、被害妄想怨念と化し、周囲へのルサンチマンの形となって現れた事。
それが、今覚醒したかのような別人格になり・解り、穴に入りたいようなチタイを演じていた事に恥じています。

上司は(実は上司の上司)直接的に言わなかったが、自分が周囲の有様に敏感にキレていた事をやんわり匂わせてくれた…。
「お姉ちゃん相手に怒ってもしゃあないやろ」と、もっと大人に、と促してくれた。

狂気走って正気を見失っていた自分の姿を自覚しました。

そんな意味では、さくりんさんの言う「現在の事柄は最高に悪い」状態でもあるし「1年中の最善の日である」とも言えます。

何か、感覚としては、犯罪後に警察の別室で次の何かを待つ心境。
もしくは、人を亡くし失ってしまった後の通夜の呆然な心境。

なぜかそんな感覚に似ているようです。
例えが変でも、一番近い感じです。

「怒」「哀」が膨張→破裂しまくった後の感覚。
気が付けば、また仲間に噛み付き失い、放置される。
闘わないと気が済まない気性の荒さが、結果、孤立無援に至らせるというループを断ち切れ無いプリズナー。
返信する
鎮痛夜2 (かたちんば→さくりんさんへ)
2011-02-14 23:36:34
今は淡い希望も抱かない。
元々無神論者だが、神などは居ない事をカラダで理解します。

さくりんさんの名言「棒状に繋ぐ中継にならなければならない自分・と・中継の度に流れる混沌に覆われる自分」に頷きます。

同じ無神論者で他人を信じないジョン・ライドンのコトバ。
「20年間風邪を引きっぱなしだけど、それでも、ショーは明日も続くんだヨ」
という痛いコトバが今の心境であり、自分に響きます。

「たった1枚のレコード盤を顕微鏡のように眺めて1日を費やす、そういうのが、しあわせの発見だったりする」
それとほぼ同義語ですが、安部公房の小説『箱男』にあっただろう…(記憶上では)「小さい物を眺めていると生きていても良いと思える。大きな物を見ると死にたくなる。」

そんな気分です。
酒には逃げられないので、お風呂に浸かって痛みを鎮めます。
返信する
鎮痛夜3 (さくりん)
2011-02-15 00:49:44
かたちんばさんの、痛みの中からの気づきにそっと、
静かに雪が降っていますね。


「淡い希望も抱かない」
「神などは居ない事をカラダで理解します」
「20年間風邪を引きっぱなしだけど、それでも、ショーは明日も続くんだヨ」

数年前に観た「ドッグヴィル」という映画と重なりました。
レコード(のジャケット)も映画も、聴かなければ・観なければ「ならない」衝動に駆られてのことが多いのですが、
この映画もその一作。それはそれはひどい話。
それでも、「100年の頭痛が、想像を絶する副作用と引き換えに一発で消える」シーンが、吐き気とともに痛快です。

そんな「一撃」くらい、望んでもいいのではないでしょうか。
返信する
鎮痛夜4 (かたちんば→さくりんさんへ)
2011-02-15 23:43:09
さくりんさんへ

今日、疲れからうなだれていた自分のところに、そっと近づいてきて「マル」と囁きました。

「喜」も「楽」も無いですが、とりあえず1つのミッションがやっと終了しました。

まだまだ3月迄に大きなミッションが幾つも待った無しですが、3ヶ月費やした今回の件からは多くの事は学びました。

さっき迄レベッカを聴いていましたが、今は大貫妙子さんの愛する曲「アムール・ルブァン~若き日の望楼~」、ホール&オーツの「ワン・オン・ワン」を聴き、ノンアルコールビールを呑んでいます。

「100年の頭痛が、想像を絶する副作用と引き換えに一発で消える」くらいのしなやかなチカラが欲しいものですが。。。

まずはひとまずミッション終了という事で、カラダじゅうのコリと首痛を取る為に湯に浸かります。
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