さくりんさんへ
こちらは22:42日本橋から銀座線に乗り、帰る。
仕事場の納会に元々参加すること自体にうんざりして18:00脱出。
過去一緒に仕事していた女史とお酒~お茶を飲み、長話をして別れました。
ちなみに、このクレバーな女史との何ら疑惑の関係は1%も無し。
長年働いてきた同志として、様々な話を久々に。。。
気が付けば4時間半も経ってしてしまいました。
帰り道、うろうろ酒を買い・雑貨を買い・・・23:35帰宅。
さくりんさんには悪いですが、これにて今年の「お勤め」は終了させて頂きます。
これにて閉店です。
***
ネコに関して。
まみちゃんを失ってから、私は明らかに堕ちていた。
そんなところに、2011年は、コチャコさんの3・11後の不思議な変態に出会った年でした。
「彼女=コチャコ」との不思議な付き合いが15年目にして生まれた年。
コチャコも自分も、お互い淋しい中、何かがそこに生じたような感覚。
かつては思わなかったコチャコへの愛情が今はあり、コチャコの自由なありさまに癒された年でもありました。

***
申し訳ないですが、一足先に「一時休戦」に入った自分。
23:35家にとぼとぼたどり着く。
ようけえらいことあった年も、残り三日。
崩壊寸前のマイVAIOちゃんは、立ち上げから安定するのに1時間を要する。
やっと軌道に乗る。
内心には、未だしょせん日々は365分の1日。
明日も、しょせんは365分の1日。
クリスマスは別として、年末を向かえたという気はしない。
***
「お勤め」を終えた夜中、聴くは怒りに近い表現のキング・クリムソンの「レッド」。

2011年12月。
キング・クリムソンを聴いているうちに、自分が固執していた70年代終わりから80年代中盤とは一体何だったのだろうかという沈黙に、近時至る。
1969年から1974年、各々のアルバム・ジャケットはお馴染みのデザインだったが、当時避難轟々だった「ディシプリン」でキング・クリムソンのリスナーデビューをした自分がちゃんと向き合ったものはファーストの「クリムソンキングの宮殿」のみだった。
あとは、クリムソンの様々な経緯を知らぬままに聴いた、渋谷陽一のサウンドストリートで組まれた80年代のクリムソン特集。
渋谷陽一が過去のキング・クリムソンを掛けること自体、それは番組の終焉を意味していた。
(ちなみに最終回は、レッドツェッペリンだった。)
その中で掛かり、好きになった曲「レッド」。
それを2011年12月、改めて聴いて伝わって来る響き、そして意味合い。
■King Crimson 「Red」■
常に目指すものに諦めや妥協を許さず、メンバーという「人間関係」などというくだらないものも無視し、音楽内容を常に変化させ・前進させつつ、突き進んだロバート・フリップ先生がたどり着いた最終地点。
「決して許さない」という意志が音と化した曲。
相手が人か?神か?世間か?事象か?
いずれにしても、内心の芯を貫く「決して許さない」。
持つ内包された心情が、単なる怒りの単純表現では無い形で、この世(此岸<こがん>)に裂け目(キャズム)という形で表出するクリエイティヴな表現。
目指すべきは、こんな偉大な「レッド」のようでありたい。
こちらは22:42日本橋から銀座線に乗り、帰る。
仕事場の納会に元々参加すること自体にうんざりして18:00脱出。
過去一緒に仕事していた女史とお酒~お茶を飲み、長話をして別れました。
ちなみに、このクレバーな女史との何ら疑惑の関係は1%も無し。
長年働いてきた同志として、様々な話を久々に。。。
気が付けば4時間半も経ってしてしまいました。
帰り道、うろうろ酒を買い・雑貨を買い・・・23:35帰宅。
さくりんさんには悪いですが、これにて今年の「お勤め」は終了させて頂きます。
これにて閉店です。
***
ネコに関して。
まみちゃんを失ってから、私は明らかに堕ちていた。
そんなところに、2011年は、コチャコさんの3・11後の不思議な変態に出会った年でした。
「彼女=コチャコ」との不思議な付き合いが15年目にして生まれた年。
コチャコも自分も、お互い淋しい中、何かがそこに生じたような感覚。
かつては思わなかったコチャコへの愛情が今はあり、コチャコの自由なありさまに癒された年でもありました。

***
申し訳ないですが、一足先に「一時休戦」に入った自分。
23:35家にとぼとぼたどり着く。
ようけえらいことあった年も、残り三日。
崩壊寸前のマイVAIOちゃんは、立ち上げから安定するのに1時間を要する。
やっと軌道に乗る。
内心には、未だしょせん日々は365分の1日。
明日も、しょせんは365分の1日。
クリスマスは別として、年末を向かえたという気はしない。
***
「お勤め」を終えた夜中、聴くは怒りに近い表現のキング・クリムソンの「レッド」。

2011年12月。
キング・クリムソンを聴いているうちに、自分が固執していた70年代終わりから80年代中盤とは一体何だったのだろうかという沈黙に、近時至る。
1969年から1974年、各々のアルバム・ジャケットはお馴染みのデザインだったが、当時避難轟々だった「ディシプリン」でキング・クリムソンのリスナーデビューをした自分がちゃんと向き合ったものはファーストの「クリムソンキングの宮殿」のみだった。
あとは、クリムソンの様々な経緯を知らぬままに聴いた、渋谷陽一のサウンドストリートで組まれた80年代のクリムソン特集。
渋谷陽一が過去のキング・クリムソンを掛けること自体、それは番組の終焉を意味していた。
(ちなみに最終回は、レッドツェッペリンだった。)
その中で掛かり、好きになった曲「レッド」。
それを2011年12月、改めて聴いて伝わって来る響き、そして意味合い。
■King Crimson 「Red」■
常に目指すものに諦めや妥協を許さず、メンバーという「人間関係」などというくだらないものも無視し、音楽内容を常に変化させ・前進させつつ、突き進んだロバート・フリップ先生がたどり着いた最終地点。
「決して許さない」という意志が音と化した曲。
相手が人か?神か?世間か?事象か?
いずれにしても、内心の芯を貫く「決して許さない」。
持つ内包された心情が、単なる怒りの単純表現では無い形で、この世(此岸<こがん>)に裂け目(キャズム)という形で表出するクリエイティヴな表現。
目指すべきは、こんな偉大な「レッド」のようでありたい。
18:00、店を閉店。
20:30、私も閉店。
今年もお疲れ様でした。
そして、今年もたくさんお世話になり、ありがとうございました。
見上げた空にはまたうっすらと幾重にも雲が、
その合間には真っ赤な上弦の月が浮かぶ夜。
「Tomorrow Never Knows」の話題で始まった今年が
漠然とあった「明日をも知れない不安」をはっきり体感せざるを得ない事態になるとは。
職場でもそれは同様で、3.11が各人のタガを外したのか、時期が来たのか、「想定」の及ばない異次元へと迷走・転落しています。
しかし、私も一時休戦。
いつまでも同じ次元で構っている暇はありません。
私はキング・クリムソンについては無知に等しいですが、
今日の日に「Red」を改めて聴き、
『目指すべきは、こんな偉大な「レッド」のようでありたい。』とおっしゃるのは分かる気がします。
レッドそのもののエナジーでありながら、それがクールにコントロールされているのを感じます。
(ああ、また片仮名だらけになってしまいました)
私には、闘い方を見直せという示唆にも取れる曲です。
* * * * *
ご実家は猫さんの集いの場ですね。
うちもたま~にママが居ない隙に(笑)「黒いおっさん」「トラのおっさん」が登場してご飯を食べていきます。
ネコ・カフェ、浅草にもあるのですね。行ってみたいですが、名残惜しくなって延長の連続になってしまうかな…
福ちゃんで焼きそばを食べたことがあります。
よく、ショッピング・モールの中などに昭和の街並みを再現したエリアを見かけますが、
寂れた雰囲気においては、本物にはかなわない。
浅草地下道は、通路の陰からペガッサが覗いていそうな妄想を抱きます。
入ってしまえば平気なのですが、下りるあの階段は…閉所恐怖症を助長させてちょっと怖いです。
その怖さも、昭和の匂いの一部かもしれませんが。
* * * * *
30日。
身の引き締まる寒さは、頭は冴えるかもしれませんが体には堪えますね。
まずは首をお大事になさってください。
ぴたりとした服よりも、マフラーのように空気の層を何層か作ると温まりやすいようです。
休みに入ってやっと、藤田医院のHPを拝見することができました。
優しさに満ちたイラストと『お大事にしてください。』の一言で、すでにじんわり癒されています。
先生の、真剣に向き合うがゆえに受けるダメージのお話からも、尊敬と信頼がおける方。
教えてくださってありがとうございます。
私も「続ける」ために、残された時間の中で、遺された機能のリペアを考えていきたいと思います。
自分はこれから文京・本郷の古旅館で一泊。
MZ師・ハブ噛み師匠と慰労会。
たくさん、街の写真を撮るつもりです。
こちらこそ、日々お世話になりまして、感謝しています。
ありがとうございました。
***
「いつまでも同じ次元で構っている暇はありません」
そうですね。
確実に時間は不可逆。
いくら世界がデッドゾーンに入っても、生きている限りは生きねばならない。
キング・クリムソンのアルバム「レッド」には、メーターが振り切った写真が載っています。
それは、クリムソンが「これにて終了」という意味と、そういう最後の場面での爆発を意味しています。
渋谷さんのラジオで出会ったこの曲「レッド」はとても好きな曲です。
単に好き嫌いでは済まないチューン。
さくりんさんは、いつもながら表現力がある。
「レッドそのもののエナジーでありながら、それがクールにコントロールされている」
その通りですね。
やはりこれは、この時期に、あえて2011年の終わりに聴いているというのも、何か胎内の示唆だと思っています。
***
「黒いおっさん」「トラのおっさん」
大笑いしました。
うちの実家では、お袋さんが「人はしゃべれるが、ネコのしゃべり言葉は人にはわからない。生き物はかわいそうだよ。」と言っては、鬼畜親父が居ない庭で、毎朝、味をしめたノラネコちゃんが、定時に順繰りにやってきては、三食食べ物を上げています。
「ネコ・カフェ」。
谷中のねんねこ屋の畳で、静かに片目のネコちゃんを抱いてなでながらネコ・クッキーと緑茶をすするのも愛していますが、浅草のカフェにも一度行きたい。
浅草は、台東区三ノ輪生まれとしては複雑な心境です。
過去の浅草ではありません。しかし、まだそういう匂いが残っているだけ救い。
80年代以降、超資本主義経済が東京を壊してきた惨状は見た目だけでは無くて、見えない部分も。
何でも商売・観光も如何に稼ぐかしか生まれないのは当然の帰結。
よって、深いところで街は壊れ・変化した。
見た目だけ、昔のままのようなフリをしている。
そんなところが多くなりました。
浅草もそうなってしまった部分もありますが、そうでは無いものも残っています。
「浅草地下道は、通路の陰からペガッサが覗いていそうな妄想を抱きます」
ははははっ(@^▽^@)。
なにせ銀座線は東京最古の地下鉄。上野ー浅草間は、今でも昭和初期の亡霊が漂っています。
お袋さんが昭和5年生まれの三ノ輪育ちもあって、ようく昔の下町の話しを聴けるのは大事です。
彼女は、そういう世界を嫌っていますが、自分にはリアルに長老の話しを聴けて、非常に興味深い。
アメリカ軍のBー29が東京を襲う日々のこともよく聴きました。低空飛行で自分の上をかすっていくのが怖かった話などなども含めて。
***
今日は、えりまき=死語?でも買うかなあ。
首を温めると全身も温まるらしいですし。
藤田医院のHPは、是非いろいろ読んでください。
医者と患者の合意形成を大事にする藤田先生は、本当に素晴らしい理念を持った、現代の赤ひげ先生。
メンタルクリニックでも無いのに、行って1時間も先生と話すだけで、すっきりします。
とても知的であり、人を納得させるだけのディシプリンを自らに課した結果出てくるコトバは、実に深いです。
是非、今度一回お会いすることをオススメします(笑)。
本郷の古旅館というのがまた、粋ですね。
男の人っていいものだなと思います。
女3人ではそうはいかない。
それでもこの年の変更線には、思い立って
友人に年賀状を出すことにしました。
ここ数年はグリーティング・カードとして、クリスマスと新年のあいさつを兼用していたので
久しぶりの年賀状です。
しかし、さて…何を書けばよいのか、正直迷いました。
今までも忘れてはならない出来事は数多くあったけれど、負のスパイラルはいい加減断ち切りたい。
多くを変えてしまった2011。
しかし、変わることのない核の宿りを信じて、一言「2011→2012」と書きました。
かたちんばさんの年賀状のお話を伺って、偶然とは思えない糸の繋がりもまた、信じられる灯です。
そんなことを考えているうちに、気のせいかと思っていた微かな振動が、次第に大揺れに。
「新年」といえどもやはり「昨日」からの続き、昨日を忘れさせてはくれませんね。
目が、覚めました。
改めて、今年もよろしくお願いします。
癒しの写真と、深い言葉と、音楽への気づきと…かたちんばさんにいただいてばかりですね。
私には一つ覚えの伴走あるのみですが、つまづき・転びつつ、今年もお邪魔させていただきます。
追伸
死語とは、遣う人によるのでは。
かたちんばさんが「えりまき」と放つと、言葉が息吹くのを感じますよ。
情けない。
30日16000歩
31日18000歩
この程度でカラダが痛いというのもね。
今日はさっき家に戻りましたが、朝からヘルニアがひどく痛み・酒を飲んでも痛みが消えず、正直しんどいです。
***
3人での年末の集まりは、毎年出来る時もあり・出来ない時もありますが、今年は2回目の旅館宿泊。
本郷の旅館は2つ目。
大正からの旅館で、おもむきがあって良かったです。
あまりに写真枚数が膨大なので、チカラ無く・整理して紹介出来る状況では今は無いですが、実り多き30・31・1日でした。
***
年賀状が嫌いなのは、年が終わっても居ないのに、如何にも「今年は〇〇でしたね」というウソ。
近時は、ゆえに年明け年賀にしています。
また、とてもでは無いですが、1日1日が必死な師走の中、そんなものを書く余裕はない。
しかし、実家に着いて、5人でおせちを囲んで笑っている中に来た地震には瞬時に、自分の奥底にある本能が目覚めました。
よろこばしいことでは無いですが2011→2012というのも、いきなりそのままの初日の迎え方。
まあ、震度4くらいで大騒ぎをするつもりは無いですが。
***
「改めて、今年もよろしくお願いします」
こちらこそです。
是非、邪魔してください。
大歓迎です。
まあ自分のXデイがいつかは分かりませんが、時々刻々を生きます。
首がやっぱり痛い。
マッサージは一時的な開放に過ぎないですが、自分でもんでも埒があかないので、明日はちょっと人の手でマッサージしてもらおうかと思っています。
また、しばし忘れていたアロマテラピーの道具でも買おうか・・・。
実は、職場の大掃除で首をひねり、いわば覚醒したまま寝違えた自分。
かたちんばさんのそれとはまったく違う、お間抜けな状況ですが(+_+)痛い痛い。
手当てというだけあって、人(上手かつ相性もありますが)に触ってもらうと本当に楽になりますね。
ただ、人の手はいつもある訳ではないのがまた辛い。
アロマテラピー、いいですね。
私も、少しだけ勉強したことがあります。
残念ながら、最も多く利用されるラベンダーの香りが苦手なので、仕事にすることは断念しましたが…
痛みにはそのラベンダーが定番ですが、首や肩にはローズマリー、ジュニパー、マージョラムなどがいいようですね。
キャリアオイルはセントジョンズワートが鎮痛作用に優れているそうです。
久しぶりにテキストを引っ張り出して、あんちょこ(笑)
今回、色々調べてみて、イランイランがモルヒネの代用になるというのも初めて知りました。
いずれにしても、お大事になさってくださいね。
昨夜も実家で呑んだ後、家に戻って更に暗闇で写真を整理しながら、夜中3時まで2リットルのビールを呑めば・・・こんな具合。
外に出るのをあきらめて、ラジオと音楽を聴いています。
2日は引きこもりで過ごします。
寝た御陰で、首は少しラクに。
人にしてもらうマッサージは、お金が当然掛かるのもありますが、名残惜しく外に出ると、1時間も経つと元に・・・。
気持ちをそらす・・・という意味では、良い匂いで空間を満たすのは効き目ありますね。
個人的には、幼い頃から嗅いできたお線香やたたみの匂いでも良いのですが、色んな植物的匂いが欲しい。
イランイランがモルヒネですか?
えらいこっちゃですね。既に現代の馬鹿学生がヤってますね、確実に。
モルヒネは、胃潰瘍で入院した際に、数時間置きに注射をして鎮痛してもらった経験はありますが。
それはさておき、まずは、お風呂ですね。
今日は、湯布院の白桃のかおりでも入れますかねえ。
サービス業に依存しているから生きていられる、馬鹿な日本人ども・馬鹿家族の正月騒ぎを放置して。
正月くらい、てめえらの家でみんな集まってメシを食え!馬鹿家族!
外食なんか行ってんじゃねえよ!