
歩いているうち、産まれて初めての地に足を踏み入れた。
旧中川は荒川の内側に分かれた川。すみだの端っこ。
ずっと、気になっていた煙突みたいな塔が墨田清掃工場なんだと、今日知る。
間近に見る煙突の圧倒的なかっこよさにシャッターを切り続けた。
昔、武蔵野線沿いの鉄塔を制覇しよう、と冒険に出た少年たちの切ない映画を思い出した。
寺島村の鎮守様にも白鬚神社があるのだが、もう一つの白鬚神社に参る。
人っ子一人居ない境内。

この辺りは、まだ昭和の匂いが残っている。おきざりにされた辺境にこそ、古き東京が残っている。
廃屋と化した家が多く存在し、路地に入ると、ウンコと腐った匂いがする。
それが妙に懐かしい。
その家の前に、ネコたちがまどろんでいる。

思いだけで突き進んでしまったときの帰路は遠い。
闇は早々に迫ってくる。
といって普段の苦しさは遠く、迷い道の楽しさがある。
誰も待ち人は居ないから、全てはココにあり、何一つ気にすることは無い自由。
幼少の頃の小旅みたいな、夕飯の時間に間に合わず怒られる、ということもない。
あらゆるものから放たれている。

帰路、八広まで入った暗い道で、迷って困った黒人さんに声を掛けられる。
駅はどっちなのか?という彼に、片言の英語とボディランゲージで説明する。
少し安心してもらえたらしく、顔が明るくなる。
かなり時間を食ってしまったので「Sorry」というと、「No,No、、、OK!」と、親指をグイッと笑顔を自分に向けた。
「アリガト」と言う彼に、夜道で別れた。
■デペッシュ・モード 「変わりゆく風景(The Landscape Is Changing)」1983■
サードアルバム『コンストラクション・タイム・アゲイン』より
愛聴盤からの愛曲。
この曲名をタイトルにして、高校の卒業文集の文を綴った記憶がよみがえる。
発売当時のLPレビューで、今野雄二先生がこの曲の歌い方は明らかに、ブライアン・フェリーを意識している、とそういえば言っていた。






結局2週間、薬を飲ませたのですが、その後、あの子は近所のお金持ちの広いお庭で黄色い目をした黒と黄色の柄の恋人と暮らしておりました。
そこのお家の方は薬を飲ませられなかったらしく(私は肉や魚の手作り食でした)「よかったです~」とお互いよい仲間が出来たといった雰囲気でお話できましたが、首の怪我はまだ治っておらず、私の所にも不定期に来るので、タイミングが合えばご飯をあげて様子をみようと思っています。
コージーさんにもアドバイスをいただいて、ありがとうございました。
ところで、デペッシュモードとか懐かしいですね。
昔、ロッキングオンとか宝島を買っていました。
音楽に詳しくないのですが、ピーター・バラカンの選曲が大好きで、ピーターさんのラジオはよく聴いています。
ご存知の通り、ネコも生きていくために(場合によっては)2つも3つものおうちとコミットします。
家々で、それぞれ違う名前で呼ばれていたり(笑)。
たぶん、ネコさんのほうは、お金持ちのおうちという宿場町を見つけたものの、momojellyさんも頼りにしているのだと思います。
あまり気負わずに、こそっとでも彼(彼女?)が好きな食べ物を上げてください。
自分も過去、内臓で入院していた患者の頃(ちょうどこのデペッシュモードのアルバムの年)、食糧制限令を受けながら、夜な夜な依頼した物資を外から運び入れてくれたモノを、隠れて食べていたように。。。。
与えてくれない、でも食べたい何かが一番おいしく、一番ありがたく、実はそれが一番心身に良い、と今では思っています。
とある映画みたいに、医者から止められているのに、外に行って酒やたばこをやったり。。。
ネコもヒトもおんなじですね。
自分は、過去、愛するネコたちと暮らしながら・悔やまれる送り方をしてしまったために、その後一緒に暮らした伴侶2人のネコとは最後まで付き合いました。
果たしてそれが彼らにとってどうだったのか、自分の一方的なエゴだったようにも思いますが、それは誰にも分りません。
音楽に詳しさは必要ないのかもしれません。
聴こえてきた音に、その時その数分酔うことができれば、それは幸せなことなのでしょう。
momojellyさんと同じく、毎朝FMでピーターさんのやさしい声と選曲から、まみれる悶絶の渦から一筋の明かりを見い出す瞬間が訪れることがあります。
長々と音楽を聴いてきたせいで、むしろ音楽史に多少詳しいだけの愚者ではないか?
と思うことが自分にはあります。
そういうことは実はムダそのもので、今流れる音にウキウキする。。。それだけで良いんじゃないかと、今思っています。
ネコさんの経過、また教えてください。
100の答えは無いですが、自分程度の者の答えでも少し役に立てれば良いと思います。