この連休から暑い日が続いている。
まるで夏のような日差し・・・。
しかし、日陰に入れば、まだ涼しい湿度の低い風の吹くだけ、5月なんだなと思う。
こんな暑い日が続くと、ふいに1982年のこの5月・6月頃を思い出す。
文武両道の巣鴨学園のアウシュツビッツ的世界に僕は4月から入った中、男だけのむさ苦し
くも草の匂いのする蒼い青春の日々を過ごしていた。
僕は、当然、今の自堕落な高校生では無く、更に、右翼的高校でもあり、童貞(みうらじゅん兄貴の言う「DT」)丸出しの救いの無い日々であり、通う行き来に乗る山の手線で女子高生に「あの子、巣鴨だわよ」と遠巻きに避けられながら、実にやるせない日々を過ごしていた。
そんな中、救いは、夜のラジオとFMのエア・チェック、そして聴いていた音楽たちだった。
***
暑い夏に向かう中、当時、FM東京で「貿易風のかなたから」という番組が4月から16:00~30分番組で始まって、当時よく聴いていた。
素敵な番組名の素敵な番組で、聴きながら、南方へのパラダイス志向を抱いていた。
本場のレゲエ、サルサ、ラテンの音楽に混じって、新たに「ニューロマンティックス」に続けてロンドンで始まったムーヴメント「ファンカラティーナ」の音楽が心地よい涼しさを僕の中に運んでくれた。
今日、紹介するヘアカット100もそんな中、1982年に出てきたバンドだった。
「ファンカラティーナ」は、ファンク、ラップ、サルサ、ラテン、レゲエのエッセンスをうまく取り込んで、ポップに仕上げたムーブメントで、主たるメンツは。。。
・カルチャークラブ
・ヘアカット100
・モダンロマンス
・ファンカポリタン
・キッド・クレオール&ザ・ココナッツ
・ブルーロンド・ア・ラ・ターク
ファンク寄りでは
・ア・サーテン・レイシオ
・ラウンジ・リザーツ
といった感じだった。
ヘアカット100は、当時、ヒット曲をたて続けに出した。
「渚のラヴ・プラス・ワン」「フェイバリット・シャツ」そして、この「ファンタスティック・デイ」。
当時、パイド・パイパー・ハウスというレコード屋さんが青山にあって、長門さんという店長が最新のレコードを輸入して販売していたが、そこには、YMOの3人、鈴木慶一さんなど業界のトッポイ音楽を求める人たちが行く、最先端のアンテナ・ショップになっていた。
このヘアカット100については、幸宏と慶一さんが「イイ、イイ」と盛んにラジオで言っていた記憶がある。
自分もよく、男だけのむさ苦しくも、お金も無く、切ない青春ノイローゼしていた蒼き時代に、このヘアカット100が好きで毎日聴いていた日々を思い出す。
まるで夏のような日差し・・・。
しかし、日陰に入れば、まだ涼しい湿度の低い風の吹くだけ、5月なんだなと思う。
こんな暑い日が続くと、ふいに1982年のこの5月・6月頃を思い出す。
文武両道の巣鴨学園のアウシュツビッツ的世界に僕は4月から入った中、男だけのむさ苦し
くも草の匂いのする蒼い青春の日々を過ごしていた。
僕は、当然、今の自堕落な高校生では無く、更に、右翼的高校でもあり、童貞(みうらじゅん兄貴の言う「DT」)丸出しの救いの無い日々であり、通う行き来に乗る山の手線で女子高生に「あの子、巣鴨だわよ」と遠巻きに避けられながら、実にやるせない日々を過ごしていた。
そんな中、救いは、夜のラジオとFMのエア・チェック、そして聴いていた音楽たちだった。
***
暑い夏に向かう中、当時、FM東京で「貿易風のかなたから」という番組が4月から16:00~30分番組で始まって、当時よく聴いていた。
素敵な番組名の素敵な番組で、聴きながら、南方へのパラダイス志向を抱いていた。
本場のレゲエ、サルサ、ラテンの音楽に混じって、新たに「ニューロマンティックス」に続けてロンドンで始まったムーヴメント「ファンカラティーナ」の音楽が心地よい涼しさを僕の中に運んでくれた。
今日、紹介するヘアカット100もそんな中、1982年に出てきたバンドだった。
「ファンカラティーナ」は、ファンク、ラップ、サルサ、ラテン、レゲエのエッセンスをうまく取り込んで、ポップに仕上げたムーブメントで、主たるメンツは。。。
・カルチャークラブ
・ヘアカット100
・モダンロマンス
・ファンカポリタン
・キッド・クレオール&ザ・ココナッツ
・ブルーロンド・ア・ラ・ターク
ファンク寄りでは
・ア・サーテン・レイシオ
・ラウンジ・リザーツ
といった感じだった。
ヘアカット100は、当時、ヒット曲をたて続けに出した。
「渚のラヴ・プラス・ワン」「フェイバリット・シャツ」そして、この「ファンタスティック・デイ」。
当時、パイド・パイパー・ハウスというレコード屋さんが青山にあって、長門さんという店長が最新のレコードを輸入して販売していたが、そこには、YMOの3人、鈴木慶一さんなど業界のトッポイ音楽を求める人たちが行く、最先端のアンテナ・ショップになっていた。
このヘアカット100については、幸宏と慶一さんが「イイ、イイ」と盛んにラジオで言っていた記憶がある。
自分もよく、男だけのむさ苦しくも、お金も無く、切ない青春ノイローゼしていた蒼き時代に、このヘアカット100が好きで毎日聴いていた日々を思い出す。
僕は春に社会人デビューしましたが、早くも社会に厳しさを痛感しています。それでもこの不況の中で職があり、給料を貰えることだけでも幸せだと思っています。
同期と飲みに行くことと、帰宅して80年代イギリスのカッコイイ音楽を聞く時間が今の自分にはとても幸せです。
まだまだこれからですよ。
自分も20年近くたっても、いまだに日々悲喜こもごも「山を越え谷を越え…」というリアルな世界で、なんとかやっています。
生きて行く事、これすなわち戦い。
「ライフ・イズ・ウォー」です。
ですからこそ、たくさんの素晴らしい音楽を、共に聴いて、脳に栄養つけて頑張りましょう。