お盆明けから、陽が短くなると共にかなり「キチガイ的な暑さ」も弱まって来たな、と思っていたが、それでもかなりカラダにはキツい暑さが続く。
身の回りにも、暑さで体調崩したり、やせたり、疲れが溜まっているヒトを見掛けるようになってきた。
かくいう私もその1人。
しかも、重症のちんば状況ナリ。
***
まだまだ、うれしくない程のキチガイ夏が続くなら『夏のフェイバリッツ』も終える訳には行かない。
1982年=高校1年生の夏は、デュランデュランの2枚目の成長目覚ましいアルバム「リオ」をよく聴いた。

初めて聴いたのは、やはり「クロスオーバーイレブン」で、番組最後の2曲に「セイブ・ア・プレイヤー ~ ザ・ショーファー」が掛かり、カセットテープにエアチェックした。
【埋め込み禁止になっているので、再度クリックしていただいてもらうと、YOUTUBEに行きますので、そこでこの曲は聴けます。】
それを1982年夏のテープとしてインデックス・カードにこれらの曲を丹念に記入して仕上げ、そのカセットテープの仕上がりに悦に入って、何度も何度も聴いた・・・・。
その後、LPレコード「リオ」を買い、全曲が【当時にしては】新しいカタチの新鮮なシンセサウンドでありながら・すんごくポップで・すんごくロマンティックで・すんごくメロディアスなサウンドで、聴きながらうれしくなった覚えがある。
***
ジャケットは、ちなみに当時、流行だったパトリック・ナーゲルというヒトの作品。
このヒトは、後に、エイズで亡くなるが、このヒト独自のスタイリッシュなデザインもカッコよかった。
幸宏にロンドンで会った際に、新作アルバム『リオ』を、「今まで作り貯めていた曲を全部捨て去って、全曲新たにレコーディングしたんだぜ!」とメンバーが幸宏の前で自慢していた気持ちと自信がわかる、ポジティヴで、言わばその後のエレクトロニクス・ポップの1つの形を提示した「新しいシンセポップ」を打ち出したアルバムだった。
デュランデュランのメンバーは、みんなサディスティック・ミカ・バンドがロンドン公演を行っていた当時からの幸宏のファンだったので、幸宏とは交流があったし、自分のアニキと思っても居たので、それゆえに、自分たちの力作を認めて欲しかったのだろうと思う。
***
この後、多くのNEWWAVEのミュージシャンが、美しい打ち上げ花火として、革命的な音楽を創りながらも、散っていく。
それらは、全て花火ではなく、1つ1つまたたく星になって、確実に「時代にクギを刺し」ながら散って行ったように、後世に残る偉大な仕事をした人々だったが、では、それらと生き延びたデュランデュランはどこが違ったのか?
と言えば、ポップでメロディアスに重点が置かれていた点であった。
それを指して、デュランデュランはキタナイというヒトも居た。
要は「売れ線」【=死語】jじゃないかという批判であったが、そういうヒトには、言いたい。
「じゃあ、売れ線の音楽を創り続けるチカラは、誰にでもあるんですか?」と。
決して、デュランデュランは、=小室哲也ではない。
決して、デュランデュランは、=パヒュームのバックチームではない。
決して、デュランデュランは、=電通ではない。
全ては、彼ら自身と周囲のエンジニアたちのバックアップチームが創りだした、彼ら独自のものであったし、私はそういう批判には賛同しかねる。
***
デュランデュランは、メンバーも変わり、音楽的内容も変わって行ったが、未だにヴォーカルのサイモン・ル・ボンを中心にデュランデュランとして音楽活動を続けている。
但し、ポップでメロディアスに重点が置かれていた事で、時代を超えて行ったNEWWAVEミュージシャンとしては、デペッシュ・モードという重鎮が居るが、彼らのが「孤」として閉ざされた世界に居ながら音楽世界の頂点に立ってしまった重き時代の超え方とは、確かにデュランデュランの有り方というのは全く異なる。
***
1982年のLP「リオ」。
私もデュランデュランも、そこが一番幸せだったのかもしれない。
しかし、自分が幸福の渦中に居る事など、所詮は、後になってからで無いとわからないものなのだ。
「リオ」におけるデュランデュランは、彼らの歴史の中で、一番突き抜けて輝いていた段階だったのかもしれない。
身の回りにも、暑さで体調崩したり、やせたり、疲れが溜まっているヒトを見掛けるようになってきた。
かくいう私もその1人。
しかも、重症のちんば状況ナリ。
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まだまだ、うれしくない程のキチガイ夏が続くなら『夏のフェイバリッツ』も終える訳には行かない。
1982年=高校1年生の夏は、デュランデュランの2枚目の成長目覚ましいアルバム「リオ」をよく聴いた。

初めて聴いたのは、やはり「クロスオーバーイレブン」で、番組最後の2曲に「セイブ・ア・プレイヤー ~ ザ・ショーファー」が掛かり、カセットテープにエアチェックした。
【埋め込み禁止になっているので、再度クリックしていただいてもらうと、YOUTUBEに行きますので、そこでこの曲は聴けます。】
それを1982年夏のテープとしてインデックス・カードにこれらの曲を丹念に記入して仕上げ、そのカセットテープの仕上がりに悦に入って、何度も何度も聴いた・・・・。
その後、LPレコード「リオ」を買い、全曲が【当時にしては】新しいカタチの新鮮なシンセサウンドでありながら・すんごくポップで・すんごくロマンティックで・すんごくメロディアスなサウンドで、聴きながらうれしくなった覚えがある。
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ジャケットは、ちなみに当時、流行だったパトリック・ナーゲルというヒトの作品。
このヒトは、後に、エイズで亡くなるが、このヒト独自のスタイリッシュなデザインもカッコよかった。
幸宏にロンドンで会った際に、新作アルバム『リオ』を、「今まで作り貯めていた曲を全部捨て去って、全曲新たにレコーディングしたんだぜ!」とメンバーが幸宏の前で自慢していた気持ちと自信がわかる、ポジティヴで、言わばその後のエレクトロニクス・ポップの1つの形を提示した「新しいシンセポップ」を打ち出したアルバムだった。
デュランデュランのメンバーは、みんなサディスティック・ミカ・バンドがロンドン公演を行っていた当時からの幸宏のファンだったので、幸宏とは交流があったし、自分のアニキと思っても居たので、それゆえに、自分たちの力作を認めて欲しかったのだろうと思う。
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この後、多くのNEWWAVEのミュージシャンが、美しい打ち上げ花火として、革命的な音楽を創りながらも、散っていく。
それらは、全て花火ではなく、1つ1つまたたく星になって、確実に「時代にクギを刺し」ながら散って行ったように、後世に残る偉大な仕事をした人々だったが、では、それらと生き延びたデュランデュランはどこが違ったのか?
と言えば、ポップでメロディアスに重点が置かれていた点であった。
それを指して、デュランデュランはキタナイというヒトも居た。
要は「売れ線」【=死語】jじゃないかという批判であったが、そういうヒトには、言いたい。
「じゃあ、売れ線の音楽を創り続けるチカラは、誰にでもあるんですか?」と。
決して、デュランデュランは、=小室哲也ではない。
決して、デュランデュランは、=パヒュームのバックチームではない。
決して、デュランデュランは、=電通ではない。
全ては、彼ら自身と周囲のエンジニアたちのバックアップチームが創りだした、彼ら独自のものであったし、私はそういう批判には賛同しかねる。
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デュランデュランは、メンバーも変わり、音楽的内容も変わって行ったが、未だにヴォーカルのサイモン・ル・ボンを中心にデュランデュランとして音楽活動を続けている。
但し、ポップでメロディアスに重点が置かれていた事で、時代を超えて行ったNEWWAVEミュージシャンとしては、デペッシュ・モードという重鎮が居るが、彼らのが「孤」として閉ざされた世界に居ながら音楽世界の頂点に立ってしまった重き時代の超え方とは、確かにデュランデュランの有り方というのは全く異なる。
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1982年のLP「リオ」。
私もデュランデュランも、そこが一番幸せだったのかもしれない。
しかし、自分が幸福の渦中に居る事など、所詮は、後になってからで無いとわからないものなのだ。
「リオ」におけるデュランデュランは、彼らの歴史の中で、一番突き抜けて輝いていた段階だったのかもしれない。
今日はドイツに移動しますが、街でCD探してみます。個人的にはクラフトワークのラルフが最初に出したアルバムが買いたい。ホルガ―シューカイやマウスオンマースの見たことないアルバムもきっとあるはず。バッハの楽譜も買いたい。ドイツは文房具王国なので日本にはない良質なノートを買いたい。
東京はまだまだ暑いと思います。けれどもドイツは10-15℃なんですって。お互い体調管理に気を付けましょう。どうぞご自愛ください。
ドイツに行けるんですね。
ドイツの音楽ショップ、興味そそられますねえ。
ラルフ&フローリアンとか、カンの初期のCDとか、ドイツのプログレなど、興味深深です。
クラフトワークの初期の実験音楽は、中学の頃聴いた事ありますが、すごく「B-2UNIT」的で興味ありました。
掘り出し物がありそうですね!
***
文房具は、今、ステッドラーの高いボールペンを使っていますが、これもまた小学生の頃、文房具マニアだった自分には興味あります。
東京は今日も暑いですよ。
本当は、浅草のサンバカーニバル行きたいけど、この暑さの中出て行く気力ないです。
早く、大好きな秋が来ないかな・・・・
そう祈る日々です。
今年の夏の暑さは異常ですよ。
正気では居られません。
ここフランクフルトはもう秋です。みんなコートやセーターを着ています。9℃から15℃程度しかないんです。僕はガーゼ生地のシャツに薄いコットンジャケットだったので、もってきていたストールを巻いてなんとか寒さを防ぎました。
夕方、広島を走っているのと同じ路面電車で移動してショッピングに出かけましたが、CDショップは見つからなかったです。後でネットで調べたら、ドイツにはHMVみたいなショップはないようです。みんな大型デパートのCDショップで買うようですね。
文具店も土日は早く閉まるか、おやすみのようで、困ったものです。ドイツ人の友人が使っていた固い表紙のノートが欲しいんです。まだ滞在は続くので次回に期待します。
フランクフルトの街はどこか日本の東京のにおいがします。駅前を歩いていると、日本橋あたりを歩いているような錯覚に陥りました。でもビルの数からすると、はるかに東京のほうが都会です。おそらく東京は鉄道も含めて世界一便利な街だと思います。
高速道路の標示は、クラフトワークのアウトバーンのデジタルリマスタリング版のジャケットのイラスト(青バックに白の道路の絵)でした。
ホテルのラジオをつけたら、ものすごいチャンネル数で、エレクトロニカ専門の局なのか、聞いたことない結構いい曲を流すのがありました。
一つ驚いたのは、ドイツは鉄道がとても安いということです。指定席でドイツ版新幹線を4時間も乗っても、40ユーロしません。今日は昨日買ったその切符で鉄道の旅。そこで仕事です。北に向かうのでもっと寒くなるでしょう。この温度差についていけるかなあ。
でも8月ももうすぐ終わりですね。東京もちょっとは涼しくなるかな。
何らかわらず空気が淀んで汗が止まりません。
今日は、それでも盛夏のキチガイ暑さは無く、雲ってもいますし、どんよりした、じめじめした暑さです。
何か、すごく色んな発見がある旅で、まさしく「世界の車窓から」の世界ですね。
チロルの世界かあ~
いいなあ~
自分もこんなにも暑いと、どこかカプセルに入るか、海外脱出をしたくなります。
と言いながら、エアコンを軽くかけ、パンツ1枚でパスタを作り、さっき汗だくで食べ、今、ビールを飲んでます。
今日は「グッドデザインショー」で仕事柄、行きたいところなのですが、暑くて行く気がしません。
さっきからYOUTUBE三昧してだらだらしてます。
仕事で行ったので、仕事以外のことで満足いかなくても文句は言えないです。
結局CDショップは見つけたのに、時間がなくていけなかったんです。代わりにと思って、フランクフルトの大型家電量販店に行って調べたが、クラフトワークくらいしか置いてなくてがっかり。
文房具は買いましたけど。。。
今回は鉄道乗りまくったのでそれで良しとするしかないです。
DAFとかホルガーヒラーとかアタタックレーベルのヘンな音楽たちも、もう僕らだけの幻想で、既にベルリンの壁崩壊後20年、既に洗練されて、ユーロの世界のように、今の人たちも「ドイツらしさ」を失っているのかなあ?
ヨーロッパは、15の頃から憧れてきたけど、僕らが抱くイマージュは既になかったりして・・・・・。
ドイツ独特のギクシャク感も無いのかなあ。
是非、また時間とって行けるといいですねえ。
僕は長時間の飛行機は、閉所恐怖症だからアジア周辺が限界かなあ。
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