こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

想い出かたちんば:マイケル・ナイマン 「英国式庭園殺人事件」('82)にまつわる記憶

2006-06-11 00:00:03 | 想い出かたちんば
まだまだよく聞いていない音楽はあるものだ。

マイケル・ナイマンというと、有名なのは、映画「ピアノ・レッスン」のテーマでしょう。
僕自身が、マイケル・ナイマンを知ったのは、'81年のサウンド・ストリートの夏のYMO座談会で、細野さんが口にしたところだっただろうか。
イギリスで、マイケル・ナイマンの曲「モーツァルト」がベストテンに入るという奇妙な珍事態を語ったものだった。
しかし、僕はそれで、ナイマンの音楽を聴いたか?といえば、全く無く、通りすぎてしまった。

***

次に、ナイマンの事を見聞きしたのが、この「The Draughtsman's Contract」【写真】のLPレコードだった。
初め、白黒で雑誌で見たこのジャケットの不気味さだけが、強い印象に残っている。
いわゆる「通(ツウ)」のスノッブの世界では、聴かれたものだろうが、僕の見聞きする世界にはこれまた入ってこなかった。
マイナー世界が広大に広がっていた80年代初頭、多くが、「坂本龍一のサウンドストリート」に頼っていた自分だったが、教授の口からマイケル・ナイマンというコトバは出てこず、よく聴く機会を失っていた。

***

次に、このアルバムに再び出会ったのは、しばらくして、多分82年だろうか?
毎週、夕刊の新聞(朝日か読売)に、サブカルチャー的な2面構成のページが出来て、少年の私は、毎週読んで、大事に保存していた。
編集者で酒好き、無頼派のおやっさんの作るページで、当時はすごく斬新で、いつかは、あんな無頼派になりたいと憧れた。

そこには、様々な80年代の文化人や少年の胸高鳴らせるサブカルチャー人が出てきた。
一角の記事に「廃盤エレジー」というコーナーがあり、その無頼派編集者が出会った人の思い出とレコードの思い出を合わせて語るコーナーだったが、すごく影響を受けた。
その記事と同じ位の大きさで、いっとき細野さんのレコード紹介のコーナーがあったのだ。

そこで、ある回に、このマイケル・ナイマンの「The Draughtsman's Contract」のジャケットが載り、お話がされたのだった。

ローリーアンダーソンが、「オー・スーパーマン」をニューヨークでヒットさせた。
その現象を語り、「今、大衆と音楽は乖離している<つまりメジャーとマイナー>。その亀裂を、ローリーアンダーソンはいっとき繋いだかに見えたが、また再び、メジャーとマイナーは裂けた状態になってしまった」と細野さんは語っていた。
そして、このレコードを毎日、いま聴いていると言っていたような気がする。

***

80年代は、細野さんの言うように、極めて不思議な二重構造が支配している世界だった。オモテとウラというのか。
日本の音楽には、YMOという光があったが、その周辺以外に聴く音楽は無かった。局部的に、局部的な一部の人種が盛り上がっていて、それが全体に波及しなかった。
良い音楽が流通しなかった。
そもそも、「音楽」というもの自体が、産業社会に飲み込まれておらず、こんなビッグ・マーケットにもなっていなかったし。

***

細野さんが聴いているなら、自分も聴きたい、という関心はあったが、当時の82年の細野さんは、何か仙人じみていて、ちょっと、細野さんの選ぶレコードには違和感を覚えていた。
というのも、ニューウェイブに限らず、世界の音楽をことごとく聴いていた細野さんには、僕がついていけなかったのである。
若いというのは深みが無い。
だけど、感性だけが鋭い。
だから、新しいイギリス=ヨーロッパのニューウェイヴサウンドには、アンテナが利いても、それ以外のツノを持っていなかったのである。

のちに、高野 寛が、「坂本龍一のサウンドストリート」を「僕は坂本さんの通信教育講座を受講していた」という、言いえて妙な表現をしていたが、まさしく、自分の新しい音楽の道先案内人は、81年-82年段階では、明らかに坂本龍一だったのだ。

***

てなことで、細野さんを尊敬しながらも、その趣味についていけなかったかたちんば少年は、この「The Draughtsman's Contract」のジャケットの不気味さに惹かれながらも、聴く機会を失ったまま、通り過ぎていった・・・。

それから、長いことたって、2006年。
町田の大好きな中古CDショップ「DCD」で、このCDに再び出会うことになる。
なかなか、レコードですら、当時見なかったもので、
白黒の雑誌や新聞でしか知らなかったので、こんな色のついたデザインなんだ、とお店での「邂逅」に、時を止めてジャケットを鑑賞していた。

僕が、その不気味さを、ブライアン・イーノのアンビエントシリーズのイメージにおいていたが、なんとこれも初めてそのとき知ったが、「英国式庭園殺人事件」という映画のための音楽だという。

***

しばし、家のCDの渦に埋もれていたが、やっと聴く気になって、初めて2006年6月、かたちんばは、この音楽に、耳をゆだねた。

軽く「なあんだ」と思う。
表層的には、特に、驚くような要素は希薄で、やはり、これは当時聴いていたとしても、少年の私にはわからなかったであろう。
バイオリンのクラシカルな響きが続く。

だが、繰り返し聞いているうちに、いろんなものが見え出してきた。
このあと、どんな風に聴こえてくるかはわからない。
ただ、このかたちんばも、世界の様々な音を数十年聴いてきた。

その耳で、当時の細野さんの気分が理解出来るだろうか?

僕は、20数年目にして、マイケル・ナイマンの「The Draughtsman's Contract」を、いま、聴いている。
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好きな詩・セリフ: ザ・ビートニクス 「Now And Then」 '81

2006-06-10 09:43:48 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ
時々 僕はよどんた水の底へ 沈んでいるような感じがする

そんな時でも 僕は ひとずじの希望の光を見る

暗闇の中を 手探りで いるような時もある

それでも ハリの穴のような「出口」がありそうだ


それは 君のことかも しれない

それとも それは 僕のことかも しれない

感動、欲望、そして、情熱は生きること


恐怖が また どこからか やってくる

それは 僕を 孤立感の中へ 落とし入れる

時には 嵐のような 空想に入り込み

そして また にが笑いの ひとときがある


それは 君のことかも しれない

それとも それは 僕のことかも しれない

いらだち、あきらめ、そして、情熱は生きること・・・・
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写真日和:あじさいが咲いた。

2006-06-10 08:51:28 | 写真日和
庭に綺麗なあじさいが咲きました。

天気も意外に良い日だし、良い土曜日の朝です。
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ビートニクス 「出口主義」

2006-06-10 07:06:34 | 音楽帳
幸宏と鈴木慶一の「出口主義」が出たのは、1981年12月だったと思う。
YMOの「テクノデリック」が出たのが、1981年11月だったので、ほぼ同時期の発売だった。

しかし、自分が始めて聴いたのは、1982年2月23日の「サウンドストリート」でのビートニクスのゲスト出演のときだった。

1 Le Sang du Poete 詩人の血
2 No Way Out 出口なし
3 Ark Diamant ダイヤモンドの箱舟
4 Now And Then… 時々
5 Loopy ルーピィ
6 Une Femme N'est Pas Un Homme オンナは男じゃない
7 Mirrors 鏡
8 Le Robinet 蛇口
9 L'Etoile de Mar ひとで
10 Inevitable 来たるべき世界
11 River In The Ocean  洋の中の川

「出口主義」は、当時、出口が無く、複雑な袋小路の中に入っていく社会から抜け出たいという願望から「出口」というコトバにこだわっていた幸宏が作った言葉である。

「出口なし」とはサルトルの言葉だが、実は幸宏と慶一のことだから、そんなに重たい意味では使っていない。根は実はロマンティックでいたいから、そのロマンの象徴として出口という言葉を使っている。

「ロマン神経症」の長期録音でのロンドン滞在が影響している。
何かをやりたいという気運が高まっていた幸宏は、東京に帰ってきたが、案外東京は面白くなく、YMO周辺以外に取り立てて面白いことをやっているヒトがいないことに不満を感じ、そのときに慶一と盛り上がったことが、この録音に至るきっかけになっている。

最初は、発売時期を全く考えない遊びの世界から、2人での実験から始まっている。

***

録音のそこいらじゅうに、「テープループ」が登場する。

当時、別の意味で「リピート・ミュージック」の重要性と可能性に着目していた坂本龍一とは全く別の意味で。

教授が、元々出生としている現代音楽では手法としてあったテープループの手法を、ポップ・ミュージックの領域に持って来ようと思っていた発想とは幸宏は違って、長期滞在のロンドンで出会ったフライングリザーツ経由で、幸宏は影響を受けて、テープループをビートニクスにて開花させようと思っていた。

この教授・幸宏2人が同時期で、この同じリピート・ミュージックに影響受けていたことが、YMOの「テクノデリック」に持ち込まれたともいえる。

***

しかし、確か、「出口主義」は、「ロマン神経症」の後から始まっているので、「テクノデリック」よりも早い段階から録音は始まっている。
「テクノデリック」よりもかかっている時間は長期に渡る。

この「出口主義」「テクノデリック」の2枚は発売も同時期、録音も同時期でオーバーラップしているように、微妙な相関関係があり、姉妹関係にある。

坂本龍一も高橋幸宏も、元は、YMOで出来切れないことをソロでやる、という発想はあったが、2人のスタンスは明らかに違っていた。

坂本龍一は、YMOが余りに重くなり、化け物のようにデカくなっていくことへの不安・不満化しまったことに戸惑い、ホントウの神経症にかかってしまった。<まあ3人とも大なり小なりそうであったが>
また、YMO「BGM」において、もっとさらに「YMOの病気」は深化していくことから距離を置くために、ソロアルバムをYMOの対極に位置するものとして認識し、制作していた。
シングル「フロントライン」での戸惑いの表明、YMOには無くなりつつあった「生(なま)音」への接近が「左うでの夢」に繋がっていく。
それによって、自分のバランスを取ろうとしていた。

一方、幸宏は、YMOとソロを平行線で、同じ流れで作っている。
「ロマン神経症」も元々は、YMO「BGM」の1曲目の「バレエ」というタイトルになるはずであった。
その通り、「BGM」と「ロマン神経症」はジャケットデザインの方向性の酷似に始まり、姉妹関係的である。同じように、「テクノデリック」と「出口主義」は酷似している。工場ノイズ・川崎の工場地帯の写真・テープループ・ヨーロッパ的な暗さ・世紀末的な匂い・・・・。

しかし、作品それぞれの匂いは違いますがね。

***

世界にサンプラーというものが無い時に試作品で松武秀樹が作ったLMD-649の1作目が「テクノデリック」、そして、2作目が「出口主義」。

「詩人の血」は2人が好きなジャン・コクトーの映画のタイトルより。
「NOW AND THEN」はその後のソロのコンサートでもやっているように、どうも幸宏のお気に入りらしい。
「蛇口」というコトバは幸宏の曲にはよく登場するテーマ。よく詩にこの「蛇口」というコトバが出てくる。そういえば、YMOの「過激な淑女」にも「蛇口から~まぼろしが~漏れてるぅぅ~」っていう詩もありましたな。幸宏のロマンを語るときに必要なコトバの1つかもしれません。

***

CDはなぜか、ジャケットがオリジナルでは無い。【写真】
個人的には、あのオリジナルLPのジャケットが大好きなので、是非、復刻盤で実現して欲しいものだ。2人が川崎の工場をバックに、電飾のついたパネル板を背中に背負い、黒で固めた衣装で佇んでいるのが、このレコードを象徴している。

***

1982年2月23日のサウンドストリートのテープ起こしも間もなくしたいと思っている。

■ザ・ビート二クス 「Le Sang du Poete (詩人の血)」1981■
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6月9日 金曜日 日本のサッカーブームは日本の野蛮化の象徴

2006-06-09 20:54:23 | 雑記帳
どうも、日本のサッカーブームというのが、好きになれない。

実際見たら好きになれるよ、というヒトに已む無くOKし、1回だけ見に行ったが、余計につまらなさとヘタクソさを感じ、以後、日本のサッカーはみていない。

そもそも野球小僧ではあるが、あのサッカーファンのうそ臭い盛り上がり方、バカっぽい態度を見るにつけ、何だか90年代以降、没落に至る日本社会そのものを見ているようで、暗澹たる気分になってくる。

日本の野蛮化傾向と、サッカーブームは連動しているとしか思えないし。
(日本も朝鮮化しているともいえる)
やたらと殺人が日常茶飯事になってきたのも、こういう流れと無縁ではなかろう。

***

ということで、私はNHKまでが騒ぐ今夜の「ワールドカップ」大騒動を尻目に、ふたをして、何としても「タモリ倶楽部」をゆっくりと楽しみたい。

まあ、元は、ヒトのはねた首を蹴って始まったスポーツゆえ、野蛮は元々のことだが。

唯一、応援するのは、内戦に悩まされた国、アンゴラが出ること。
こういう国には是非頑張って欲しい。

***

野蛮な話にうんざりのかたちんばは、美しき清らかなる「滝川クリステル」さんの写真を見て、汚いものを洗い流したい。
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6月9日 金曜日 大阪の夢

2006-06-09 15:32:42 | 雑記帳
夢で、大阪にいた。
私「かたちんば」は5年1991年4月~1996年3月居たので、そのマンションも出てきた。
天満橋からの道を、源八橋西詰めの交差点で梅田方向に折れて10m程度行ったところが、私の住んでいた同心サワダハイツだった。

夢はこの辺が舞台。
大阪を去って10年たったこの2006年だから、あえて夢に出てきたのだろう。

案の定、静かで、住みやすかったこの地区も、今では変わり果ててしまっていた。
更なる高層階が追加され、向かい合わせのビルも増設され、1・2・3階にはショップも入っていた。立体駐車場もあり、ハイツでは無く、立派なマンションに変わっていた。

会社からその部屋に繁華街を車でくねくねした上で戻る。
戻ってしばらくしたが、急に、「そうだ、自分は今月でここを去らねばならないんだ!」と気づいてしまう。
カレンダーでは、本当にもう1週間の猶予も無い。
急にまずいと思って、荷物整理を始めた。

が、元々1Kの10畳1間の部屋だから、荷物を整理しだすと、とんでもない空間になってしまう。足の踏み場も無い。

そうすると手伝いをしてくれる女の人が居た。
よく見ると、青木さやか嬢。

ゴミだしなどをまじめに手伝ってくれているので、モノを運ぶ途中で、チューを要求するが笑って流されてしまう。

「時間が無い!」そういう血相を変えた中で、夜は暮れてきてしまう。

そして、夜やたらにぎやかに外が思えて見やると、花火が「天神祭り」のようにボンボン上がっているではないか。

*元々、天神祭りの花火は、このハイツのベランダから毎年鑑賞出来ていた。

ゆっくりした気分で、近くまで行って見られないことと、もうすぐ、この地を去らないといけないことが合いまり、急に寂しい気持ちになった。
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6月5日 月曜日 DISPOSABLE LOVE

2006-06-05 23:27:12 | 音楽帳
今回の恋はうまくいかないと思っていた面がある。
・・というのは、今になって思うことなのかもしれないが。

相手の旦那との仲が不仲で、別れたいということは、お互い既に出ていた話であったが、1歳半のコドモをお互い引っ張り合っているうちに、決着がつかず・・・。
僕は陰で、そのコドモを含めて引き取るとは言っていたが。

僕などという浮気相手とコドモとは比較にならなかったようである。

最初は、コドモを捨ててでも、どこかに行きたいなんて言っていたのに。

***

しかし、何度、この一時的なオンナのたわごとにだまされてきたことだろう。

今、また女性不信に至っている。
別れた悲しみよりも、そんなロマンティックなものよりも、今夜の僕は、憎しみの方が深い。

そう思うとなんと随分色んなウソにだまされてきたことだろうか?

罪なオンナは多いものだのう。

***

たま社長のコメントを読み、ペンギン・カフェ・オーケストラの「恋人が去っていく音がするけど、大したことじゃないよ」を聴こうとしたが、なかなかCDが出てこなくて、ユキヒロの「ぼく、だいじょうぶ」【写真】の「DISPOSABLE LOVE」(使いすてのハート)を聴いている。

「ぼく、だいじょうぶ」よりは「ロマン神経症」の方が好きだが、今、探すほどの余裕が無いのと、この曲が好きなのと・・・。

「ぼく、だいじょうぶ」はパンチある曲は今、聴きたくない。
その中でもこの「DISPOSABLE LOVE」(=ディスポザブル・ライターのような使い捨ての恋)は非常に好きだ。この曲だけを何度も繰り返し聴く。
トニー・マンスフィールドの優しいヴォーカルが大好きだ。

***

昨年末の失恋よりは、今回は、まだ、落ち込みはそれほどでも無い。
精神性が深い恋では無かったのかもしれない。

余り好きでは無かったのか?とも思う。まあ、そうでは無いのだろうが。

プラトニック性が深いほど痛手は強いが、今回は現実的な側面の方が強かったからなのだろうか?などと自己分析などしてみる。

***

「20年間風邪を引きっぱなしだけど、ショーは明日も続くんだヨ」(ジョン・ライドン)

そう、まだまだ、生きることは続くのだよ。
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6月4日 日曜日 ・・・去ってゆくヒト

2006-06-04 21:48:01 | 音楽帳
金曜日、唐突に、メールで密会相手から、お別れを言われた。

呆然とする。

金曜日から土曜日、寝て過ごした。
土曜日はほとんど、布団の中に居た。

日曜日もあっという間に来た。

昼、食欲無いので、つるつるとそうめんをゆでて食べた。

そうして、午後もすることなく、家に居たが、むしゃくしゃするので、外出した。
おねえちゃんのいる店に行った。
珍しく。

だからといって虚しさが無くなるわけは無かった。

***

その帰り道、大塚のBOOKOFFでCDを5枚買った。

・電気グルーヴ オレンジ 750円が500円にセール中でなった。
・アイスハウス マン・オブ・カラーズ も750円が500円に。
・サンディー パシフィカ 250円
・スプーキー ファウンド・サウンド 250円
・イアン・マカロク キャンドルランド 250円

***

ペンギン。カフェ・オーケストラの曲に「恋人が去っていく音がするけど、大したことじゃないよ」という曲がある。そんなサイモン・ジェフスのようなセリフは吐けないが、事実、去っていってしまった。

さてさて、どうするかな。



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