幸宏と鈴木慶一の「出口主義」が出たのは、1981年12月だったと思う。
YMOの「テクノデリック」が出たのが、1981年11月だったので、ほぼ同時期の発売だった。
しかし、自分が始めて聴いたのは、1982年2月23日の「サウンドストリート」でのビートニクスのゲスト出演のときだった。
1 Le Sang du Poete 詩人の血
2 No Way Out 出口なし
3 Ark Diamant ダイヤモンドの箱舟
4 Now And Then… 時々
5 Loopy ルーピィ
6 Une Femme N'est Pas Un Homme オンナは男じゃない
7 Mirrors 鏡
8 Le Robinet 蛇口
9 L'Etoile de Mar ひとで
10 Inevitable 来たるべき世界
11 River In The Ocean 洋の中の川
「出口主義」は、当時、出口が無く、複雑な袋小路の中に入っていく社会から抜け出たいという願望から「出口」というコトバにこだわっていた幸宏が作った言葉である。
「出口なし」とはサルトルの言葉だが、実は幸宏と慶一のことだから、そんなに重たい意味では使っていない。根は実はロマンティックでいたいから、そのロマンの象徴として出口という言葉を使っている。
「ロマン神経症」の長期録音でのロンドン滞在が影響している。
何かをやりたいという気運が高まっていた幸宏は、東京に帰ってきたが、案外東京は面白くなく、YMO周辺以外に取り立てて面白いことをやっているヒトがいないことに不満を感じ、そのときに慶一と盛り上がったことが、この録音に至るきっかけになっている。
最初は、発売時期を全く考えない遊びの世界から、2人での実験から始まっている。
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録音のそこいらじゅうに、「テープループ」が登場する。
当時、別の意味で「リピート・ミュージック」の重要性と可能性に着目していた坂本龍一とは全く別の意味で。
教授が、元々出生としている現代音楽では手法としてあったテープループの手法を、ポップ・ミュージックの領域に持って来ようと思っていた発想とは幸宏は違って、長期滞在のロンドンで出会ったフライングリザーツ経由で、幸宏は影響を受けて、テープループをビートニクスにて開花させようと思っていた。
この教授・幸宏2人が同時期で、この同じリピート・ミュージックに影響受けていたことが、YMOの「テクノデリック」に持ち込まれたともいえる。
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しかし、確か、「出口主義」は、「ロマン神経症」の後から始まっているので、「テクノデリック」よりも早い段階から録音は始まっている。
「テクノデリック」よりもかかっている時間は長期に渡る。
この「出口主義」「テクノデリック」の2枚は発売も同時期、録音も同時期でオーバーラップしているように、微妙な相関関係があり、姉妹関係にある。
坂本龍一も高橋幸宏も、元は、YMOで出来切れないことをソロでやる、という発想はあったが、2人のスタンスは明らかに違っていた。
坂本龍一は、YMOが余りに重くなり、化け物のようにデカくなっていくことへの不安・不満化しまったことに戸惑い、ホントウの神経症にかかってしまった。<まあ3人とも大なり小なりそうであったが>
また、YMO「BGM」において、もっとさらに「YMOの病気」は深化していくことから距離を置くために、ソロアルバムをYMOの対極に位置するものとして認識し、制作していた。
シングル「フロントライン」での戸惑いの表明、YMOには無くなりつつあった「生(なま)音」への接近が「左うでの夢」に繋がっていく。
それによって、自分のバランスを取ろうとしていた。
一方、幸宏は、YMOとソロを平行線で、同じ流れで作っている。
「ロマン神経症」も元々は、YMO「BGM」の1曲目の「バレエ」というタイトルになるはずであった。
その通り、「BGM」と「ロマン神経症」はジャケットデザインの方向性の酷似に始まり、姉妹関係的である。同じように、「テクノデリック」と「出口主義」は酷似している。工場ノイズ・川崎の工場地帯の写真・テープループ・ヨーロッパ的な暗さ・世紀末的な匂い・・・・。
しかし、作品それぞれの匂いは違いますがね。
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世界にサンプラーというものが無い時に試作品で松武秀樹が作ったLMD-649の1作目が「テクノデリック」、そして、2作目が「出口主義」。
「詩人の血」は2人が好きなジャン・コクトーの映画のタイトルより。
「NOW AND THEN」はその後のソロのコンサートでもやっているように、どうも幸宏のお気に入りらしい。
「蛇口」というコトバは幸宏の曲にはよく登場するテーマ。よく詩にこの「蛇口」というコトバが出てくる。そういえば、YMOの「過激な淑女」にも「蛇口から~まぼろしが~漏れてるぅぅ~」っていう詩もありましたな。幸宏のロマンを語るときに必要なコトバの1つかもしれません。
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CDはなぜか、ジャケットがオリジナルでは無い。【写真】
個人的には、あのオリジナルLPのジャケットが大好きなので、是非、復刻盤で実現して欲しいものだ。2人が川崎の工場をバックに、電飾のついたパネル板を背中に背負い、黒で固めた衣装で佇んでいるのが、このレコードを象徴している。
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1982年2月23日のサウンドストリートのテープ起こしも間もなくしたいと思っている。
VIDEO
■ザ・ビート二クス 「Le Sang du Poete (詩人の血)」1981■