こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2013年4月10日 水曜日 「わたしの青空」

2013-04-10 20:43:15 | 雑記帳

2005年・荒川区西尾久の家に決めた頃、ちょうどメディアでは「欠陥住宅」や耐震構造偽装問題がクローズアップされていた。
まさか、じぶんがそんな目に遭うとは思わなかったが、結果からさかのぼれば、今になって見えるものがある。

***

じぶんが実家を出るきっかけは、兄から「親とお前が、お互い弱さを補完し合って住んでいるのも、もうやめたらどうだ。これから、お前は、どうやって生きて行こうとしているんだ?」
親よりも兄からの言葉の方が、幼い頃から重みを持つじぶんなので、ずしんと胸に響いた。
その発火点から訳もなく、焦りに焦り、街を放浪しては不動産屋のドアに張られた住まいの見取り図を見て回った。

***

1996年4月に大阪から戻るに際して、時間も無い中だし、一旦実家に戻ろう・・・荷物を実家に送る。
実家での生活が長引くにつれ、世の中では流行語「パラサイト・シングル」なる寄生虫呼ばわりされる状態の中に、じぶんもまぎれもなく居た。
それを兄に突かれた形だった。

しかし、イイ歳をしていながら、どうやって住むところを買うか・・・その糸口がよく分からなかった(建築の末端に関わりながらも)。
迷いに迷った末「とりあえず、入ってしまえ」と、不動産屋に入った。
すると、営業の方が車の横に乗せてくれて、さまざまな物件を紹介してくれた。
それは、大阪でマンションを借りた際と同じだった。

しかし、糸口が分からない、という本心は、このときには、実は「借りる」=家賃を捨てるだけ・・・→「買う」に心が傾いていたこと。
普段と異なるおももちだった。
仮住まいではないのだ・・・と。
一方では「まさか、23区で住める価格の場所などありはしない」とも思っていた。

当初は、狭いマンションの一室でも買えれば良いな・・・という程度だったが、ふんふんふん・・・と広さや作りを見ていくと、マンションも家も大して値段的には変わらないな、と気づいていく。
そこから、マンションで多数の知らない者との不気味な同居をしつつ、管理されるよりも、いくら狭くてもじぶんの土地を持てる方にあこがれと欲が出て行った。

そんな中で、いくつかの不動産屋さんと接するうちに、恐ろしく色んな会社からの売り込みに巻き込まれる。
また、カラフルなジャケットをまとった某に「家を買わせる・落とすテクニック」なる、営業の常套手段・幼稚なガキの詐欺のような手法を見せてもらい、大笑いする事件もあった。

***

話しが逸脱したので戻る。
じぶんがそうだったように、家を探している方がおちいる心理。
それは、多く見ることで・情報過多になり、比較と迷いにおちいり、そして、決断に踏み切れない・・・でも決めねば永遠に脱出出来ない、というジレンマ。

そして、もう1つの心理。
床面積がより広く・価格とのバランスが良い物件に飛び付く。

しかし、同時期に発覚した耐震構造偽装問題の根幹は、そこにあった。
「広くて・安い」などというモノには、必ずウラがある、ということ。特にデフレスパイラルさなかで、そこには大きなリスクが潜んでいる。

***

結果、欠陥住宅と判明して、ヘタりこんだ。どないしよ・・・と。

そこから移転先への、もう一苦労が待っていた。
・・・そして、結果的には、前よりも極めて狭い狭小住宅に住むことと相成った。
最初は、風呂に入れば「ああ、浴槽で足が前は伸ばせたのに」、トイレに入れば「えらい天井が低いな」・・・さまざまな比較が再度産まれて、後悔半分といった感じだった。

しかし、今はそんな想いが全くない。小さい家はむしろコックピットのようで楽しい。
5年過ぎて、今思うのは、おばあちゃんの居たタバコ屋と斜め向かいのボクの生家が、いかに狭くても、狭いからこそ産まれる・住む幸福感。今、その感覚にじぶんが近づいていること。
バカボンパパなら「これでいいのだ」と言うだろう。
病気をわずらい・歳をとったのもあろうが。

***

今は解散した劇団「カクスコ」がダイスキで、ハブ噛み師匠・MZ師と3人で、毎回公演を楽しみにしていた。
そこで演じられるは、男数人だけの小さな「○○荘」なる下宿的世界で繰り広げられる、些細な日常の些細な出来事に一喜一憂する様。
廊下の床のある板の部分が踏むと「キィーキィー」と鳴るのを発見したことをきっかけにして、長々とそれを巡って仲間たちが大騒ぎする様だったり。。。
(大学時代、国分寺に居たのもあり、椎名誠さんの描く世界にハマっていたのも想い出す。)

想えば、小劇場という空間そのものだけでも、その手狭感が愛おしい。
戦時中の「我慢」としてのプロパガンダではない、素直な気持ちで「贅沢は敵」。
カクスコのお芝居でも、よく掛かり・みんなで歌う様がダイスキだった、この曲を今日は贈りたい。
■高田渡 「私の青空」■

じぶんが初めて聴いた「私の青空」はエノケン(榎本健一)だったが、高田渡さんのカバーも独特の味がある。

夕暮れに 仰ぎ見る 輝く青空
日が暮れて たどるは 我が家の細みち
せまいながらも 楽しい我が家
愛の日影の さすところ

恋しい 家こそ 私の青空











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2013年4月8日 月曜日 「卯月(うづき)」

2013-04-08 22:42:03 | 想い出かたちんば
4月8日というのは、じぶんにとっては奇妙な日である。
4月8日は、1986年の某少女の亡くなった日であるが(2年前の4月7日に、その断片を記載)、今夜はそこに触れない。
また、1996年4月8日は、大阪から東京に戻って間もない日であり、コチャコがまみちゃん・正(しょう)ちゃん・瓜(うり)ちゃん・シロちゃんを産んだ日であり、お釈迦様の誕生日である。

今日は、タイムワープして、2004年4月の瞬間瞬間を記した写真より、9年前のコチャコちゃん・まみちゃんコンビと御茶ノ水・神保町のショットを、細野さんの憶い出深い曲に乗せて掲載す。

■細野晴臣さん 「ノルマンディア」1984(1985年発表「コインシデンタル・ミュージック」より)■



まみちゃん

コチャコちゃん

明治大学の外の椅子に座った、髪と後ろ見の美しい女性。



すずらん通りの一角。

文房堂となりの薬局のサトちゃん。

永遠に撮り続ける聖橋の姿。

駿河台下。

神保町交差点より学士会館方面へ1枚。

珍しく爆睡しているコチャコちゃん。

珍しくまじめな顔のまみちゃん。

当時映画化された佐藤江梨子演じたキューティーハニー。

スナイパー・コチャコ。

古本屋街。

雑誌棚。

庭の向こうとこちら。
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2013年4月7日 日曜日 「嵐ふりやまぬ中」

2013-04-07 21:36:07 | 写真日和

大きな暴風雨だった。強い雨、強い風は家を揺らすくらいの夜だった。
今日の朝には、雨は止んでいたが、強風は続いていた。その中、歩きに向かう。
雨が空中にある汚れを全て落としてしまったために、空の青さと光の差し込む度合いは強い。

写真日和である。しかし、喜ぶ訳にはいかない。歩くたびに、昨夜の傷跡にであう。ハゲ頭にかぶった帽子が飛んで行きそうな強風。

とてもではないが、今日撮影した全容は伝え切れないので、今夜はその一部を。
戻る道で、スコールに会い、雨宿りをした。
■Robert Wyatt 「At Last I Am Free(邦題:生きる歓び)」1981■

【14~15歳、録音した「教授のサウンドストリート」のカセットをヘッドフォンで聴いて安息していた夜。
それ以来、死ぬまでの宝物の中の1曲。ボクの中での鎮魂歌。】







































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2013年4月6日 土曜日 「本当の下町にこそあるべき姿がある」

2013-04-06 14:40:46 | 雑記帳

13時。爆弾低気圧で台風のようになるという予報。
窓を開けると、確かに空模様は怪しいし、風は不気味に吹いている。
最低限に絞り込んだゴミを袋に詰めて、ゴミ収集の方が来られるのを待っている。食材が何もないので、買い物に出かける。
すると人の渦。土曜でもあり、昼でもあるから、そーいうものだが、爆弾低気圧を予見して買い物に来られた方も多いのだろう。

カラダが欲しいというまで、食を必要としないじぶん。数年前肝臓を壊して以降、15kg近く体重が減ったが、ここ数週間で更に減ったようである。
スラックスがブカブカ。別にガンでも無い。
じぶんは、一応戸籍をもつ人間として生きている限り、それだけで、さまざまな迷惑を自然界に掛けている中、必要最低限(=当たり前)で生きていく。

近時、ゴミ収集において、缶の回収の日に「ゴミを持っていくのも盗みだ」と勝手な判断をされているが、そんな中、ジプシーの方々が缶集めに自転車に乗ってやってくる。なにが悪いのか?理解できない。
その缶をある所に持っていけば、ジプシーたちのお金になる。そして循環の軌道にも乗る一石二鳥であり、良いことである。
我々は、いったい区分ゴミが回収された後に、それがどこをどう伝って、どうなっていくかを、想像して生きているか?
かつて、プラスチック系ゴミを分けていたのに、あるときから燃えるゴミで一緒にして良いとなった。
要は、勝手なエコ情報に騙されて区分していたが、結局意味が無いことが明らかになった実態の一旦としての事件である。

缶の回収においては、末端で働く回収の人々に出すよりも、ジプシーの方々が、集めて・それがカネに換金されうる業者の手に渡る方が正しいと思っている。

新築として迷った挙句に決めた荒川区西尾久。かつて阿部定事件が起きた現場から100m程度の場所だったが、住むとクルマが通っても家が揺れる欠陥住宅と判明。そこから転居地をえらい苦労を掛けて、最終的に東向島に決めたものの、これで良かったのだろうか?という違和感はしばらく去らなかった。
しかし、2013年今、なんてしあわせなボーリンゲンの塔に住めるのか、それをここ数年覚えている。
古くから住む人にとってはジャマそのものかもしれない。しかし、移転して良かったと思っている。

三ノ輪生まれのじぶんが、その産まれた家に戻りたいと願いながら、おばあちゃんが亡くなった2004年の親族どうしの揉め事と、全員が理不尽な遺産分割に伴って、じぶんが産まれた家を買いたいと思うことへの嫌がらせもあり、その家は他の者の財産として奪われた。
親族は全て、過去の憎しみも含みつつ、全て親族解散した。

それでも東京下町へのノスタルジアが去らない中、荒川区西尾久に住んだ数年。
しかし、住んで分かったのが、暴力老人が多いこと。老人率が多い中、都電で仕事場に通っていたのだが、都電では優先席でも無い席に座っていようものなら「お前は、何を偉そうに座っているんだ」ということを言われる。
それは都電に限らない。
東京大空襲を逃れたという意味では、三ノ輪も西尾久も東向島も同じだが、もはや三ノ輪ではヨソ者・西尾久は暴力老人・・・
そんな中、東向島に住む人たちは優しい。そこにはくねくねした大好きな路地もあいまり。

お花や古い家や通りを写真撮影していても、そこから会話が始まったりする。おだやかな人たち。そのささやかな生活にはナミダが出るような愛おしさとぬくもりが宿っている。
同じような感情を谷中にかつて抱き、リハビリとして通い続けた。しかし、もはやじぶんが愛した谷中の色は薄れてしまった。
森まゆみのせいで観光地化してしまい、ヨソ者だらけと化した谷中は、路地にたくさん居たネコさんも辟易として、避難を始めた。

今、ここに住めるしあわせを感じている。病院でもなく、地方でもなく、東京下町でじぶんは、土へと戻っていきたい。世間から変わり者呼ばわりされた永井荷風先生に、敬意を抱きつつ、彼が愛したこの地で、じぶんは生涯をまっとうしたい。

■China Crisis 「Here Comes a Raincloud」1983■


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2013年4月4日 木曜日 「視点・死角・無意識の逸脱」

2013-04-04 23:59:59 | 雑記帳

左腕に続いて右腕を骨折したお袋さんに、先日会いに行った。
じぶんであれば、へこむであろうこと。ところが会えば、いつもの突き抜けるようなヴォルテージでの笑いと・無理のない素(す)の明るさ。
いまさらながら、この人に、何かとてつもない偉大さと癒しを、逆にもらってしまった。
「たかが、チンケなことで、ああだのこうだの言ってんじゃないよ」
それを常に態度で示し、貫く様。

話していると骨折どころか、6月に行くヴァン・ヘイレンのライヴのこと、それに、右腕を骨折する前に、銀座の松屋で開かれたというネコの「ダヤン」の展示会に行った話を楽しそうに話され、話は一向に骨折の方向には行かない。

かつて、NHKの朝のドラマ「ゲゲゲの女房」にはまって、毎日3回見ては、水木しげるさんの展示会に行き・グッズを買いまくっていたが、今のお袋さんのマイブームは「ダヤン」らしい。
前に、電話で話した際に、向こうはダヤンと言っているのだが、こちらは「ええっ・・・ダイアン?」と何度も聞き返すが、話が一致しなかった。

松屋の展示会で買ってきたというダヤンのぬいぐるみとバッグを見て、やっと、「ああ、これか・・・」と分かる。
お袋さん「この表情がなんとも言えないよねえ。」
かたちんば「この人の絵本は知っているよ。素敵な絵本を描いている有名な人だよ。」

じぶんは、話をするうち、ネコのまみちゃんが亡くなり・ついにコチャコまでもが亡くなり・・・数十年経って、ついに家からネコが消えたことが、この人をダヤンに向かわせている、と思った。
しかし、一方では、毎日、ノラクロちゃん・鼻ピンクちゃんは現れて、エサを上げているのは続いている。

親父・兄・そしてじぶんと、DNAは繋がり、全員「人嫌い」の中、お袋さんもそういった部分は強烈にあるが、どこに行っても・とてつも無いインパクトと社交性で持って・いきなり知らないヒトたちとの関係性を作り上げる。
天性の才能とも言える。ただ嫌いなヤツは徹底的に嫌う。
もし、彼女が営業だったら、スーパー営業マンだろうか?。
しかし、金銭感覚や駆け引きは全く抜きで生きているので、売上=経済とは合わないので、スーパー営業マンにはなれないだろう。
しかし、それで良い。
ヒトは、カネだけのために生きているわけじゃないから。

そんなことを、つらつらと想いながら、再度、2013年今のじぶんを振り返ると、それはそれなりに、かつてのじぶんからは少しポイントがズレ始めているようにも思う。
絵は描かなくなってしまった分、写真に埋没し、動植物・街への没入は社会人になって以降突き進んではきたものの、どうも30代のじぶんとは異なる。
ベースは変わらないのだろうし、音楽・ラジオ・本などへの傾倒は今も昔も変わりないのだが。
3・11の影響は少なからずあるとは思うが、それだけでもない。

先日、仕事上関わりの強い先輩社長Sさんにお付き合いして、久しぶりに外でのお酒のお供をした。
Sさんは、疲労のせいでビールを2杯呑んだ程度で珍しく酔いが回る。
昨年、2人で緊急事情あり、札幌に一緒に出張した際の、彼の内包された本音が吐露された。
前泊で札幌に入ったが、夜「せっかくだから」と街を歩いた。
じぶんは興奮して、夜の街にシャッターを切り続け、時計台を見て、その後、テレビ塔に上り、ガンガンに写真を撮りまくり、時計台とテレビ塔のゆるキャラのコラボレーションがあまりに素晴らしいので、グッズを買いまくった。

【2年前・2011年の間違えでした。訂正。】
Sさん「こいつは、相変わらず変な奴だなあ、とつくづく思った。
でも、一緒に『付き合いで』買ったグッズを持って帰ったら、コドモがえらい大喜びしてねえ。。。へー、そうなんだ、と思った。」
かたちんば「いつまでも、コドモということでしょうかねえ(笑)。」
Sさん「いや、そうじゃなくて・・・・・(省略)」
これ以上言うとウソくさいので、話しの続きは述べない。

YMOに「CUE」という記念碑的曲があるが、そんなものもよぎる。
いつまでもだらだら書いていてもいけないので、結論めいたことを言えば。。。
どうやら、じぶんは相変わらず「人嫌い」だが、今の「日本世間」は『人間関係』にしか視野が無く、その背景に20年以上というひたすら落ちていく異常世界の中、多くのヒトがその『人間関係』に絡め取られて・ココロを病み・自殺していく。
ナイフという見えやすい凶器では無い形で、ヒトがヒトにやいばを剥き、殺していく世界。

その今の「ほとんど、ビョーキ」を加速させた根源は資本主義と某広告代理店DTであるが、3・11という有事も含み、洗脳から覚めつつある段階に差し掛かっている。構造は、既に白日の下にさらされ・天日干しされている。
今まで「在った」こと全てへの疑問符と否定と、その外側で生きようという無意識下の芽生え。

ニセモノのエコとは無縁で居たい中、お袋さんの「ダヤン」にも、じぶんのそれまで以上の、動植物や空や雲などへの接近も、何か言い得ない「人間と人間関係だけがすべてではない」という解放区を思わせる。

有線式の犬から、無線式のネコへ、と、今まで以上に、社会に属しながらも「反○○」では無い形で、その首輪を外せる自由度が高まっている。
ユングの影響ではないが、何かマグマのようなものが、無意識下でうごめいているように思う。
■David Sylvian 「Blemish」(live)■

【2004年4月24日 昭和女子大・人見記念講堂の最前列で見た「ブレミッシュ・ツアー」より】




【池澤夏樹さんの1988年のデビュー作「スティル・ライフ」冒頭。】


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2013年4月2日 火曜日 「春雨の夜」

2013-04-02 22:57:17 | 音楽帳

昨日、4月1日は早く家を出たものの、想定内ではあったが、電車も駅もゴミ人の渦。
北千住のホームは人にあふれかえり、電車が走り出せば、いつものちんたら運転。東京メトロは「東武の遅れのせいで・・・」と放送。

昨日は、ばたばたする周囲も目に入らずに、冷静淡々と仕事を終え、大事故もなく帰った。
夜に、パスタを茹でて食べると満腹で、23時前には、睡眠薬を服用・消灯して寝床に就いたのだが、夜中3時半には起きてしまう。
窓の外を見ると、すでに雨が降っている。窓ガラスに水滴が散っている。

どうやら、パスタに入れた刻みにんにくの量が多めだったのかな?そう暗闇で思い込む。再度、眠ろうと思うが眠れない。
とはいえ、ここでお酒を飲むと・朝に残ってしまうので、飲んではいけない。そこで、白湯を呑む。

暗闇のパソコンでYOUTUBEに行き、ラジオドラマなどは無いものか・・・と探すと、山田太一さんの小説「飛ぶ夢をしばらく見ない」をラジオドラマ化したものを発見。
眠れないまま、横になって、耳をそばだてて聞く。
まさに、ラジオの醍醐味。耳だけで味わい・想像する世界に安堵。
かつてはNHK-FM「ふたりの部屋」、最近好きなのが文化放送「青山二丁目劇場」。。。

寝たのか?寝てないのか?そんなハザマのよく分からない中を漂って、6:40に起きる。雨は、じゃんじゃん降っている。
これで、桜もみんな散ってしまうのだろう。

先週で終わってしまった吉田照美さんのラジオ番組に変わって、文化放送でスタートした番組を聞きながら支度をするが、照美さんの居ないラジオは味気ない。
昨夜の帰り道に買った新しい歯ブラシで、歯を磨きつつ・お湯を沸かし・くつ下をはき・・・。
じゃんじゃん雨が降る中、駅に向かうと、使い古したくつに水が染み込み出して、つべたい。

今日の電車は、昨日のようなキチガイ混みはしていない。
その替わりに、今日も「ええっ~、雨の影響により、東武線は遅れておりやす」。

雨は、1日降り止まず。桜が雨に打たれて散っていくはかなさ。

帰り道も、じゃんじゃん雨が降り、足はびしょびしょ。この雨は、明日も続くらしい。高速道路の下では、ジプシーの人たちが、すやすやと眠っていた。



1986年をもって、音楽シーンを捨てたじぶん。
1987年、大学に入って以降、精神を病み切って廃人と化し・クスリ漬けだったじぶん。
体制側からはキチガイ扱いされる類の、変わった人々との出会いが始まった。
そんな中の1人。先輩のKさん。顔は、土屋昌巳さんに似ていて、しかし、眼(まなこ)の座り具合に狂気を漂わせた彼。
1988年、まるで中世の貴族のような佇まいの彼の車に乗せてもらい、家まで送ってもらった。
途中彼が決めたレストランで、2人向かい合わせで・ナイフとフォークで食事をしながら、座った眼(まなこ)でニヒルな笑顔を浮かべる表情。彼の眼には、既に手にしたナイフで、相当人数を殺してきたことを思わせるものがあった。
そんな彼の魔性の魅力に惹かれていた。彼の優しさとジェントルマンな態度が、逆に不気味な魅力を放っていた。
軽やかに、夜の灯りが、窓の外を後方に流れ飛ぶ中、彼の車のFMから流れた曲。

それまで生理的拒否反応で避けていたのに、「ポイズン」という素晴らしいアルバムに出会い、聴きまくった。その後に発表されたシングル盤「ワン・モア・キッス」。
レベッカが、バンドとして・実質最高潮に達して、最後に残した・いまだに美しく愛おしい1曲。

■REBECCA 「ONE MORE KISS」 1988■








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