こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

音盤日誌:ニューウェイヴ・カセットシリーズ10 1982.7 B面

2021-08-07 16:30:00 | 音楽帳


B面は、1~5が渋谷陽一さんのサウンドストリートからの録音。
6~8は夕方の番組だったと思うが、どの番組で録音したのか?記憶から引っ張り出せない。

B面
1/スティール・パルス「スマイル・ジャマイカ」(ライブ)
2/サード・ワールド「華氏96度 (96 In The Shade)」(ライブ)

・A面に引き続いて「レゲエ・サンスプラッシュ~ボブ・マーリィに捧ぐ熱い4日間~」より。




3/ヴァンゲリス「タイトルズ(チャリオッツ・オブ・ファイアー)」
4/ヴァンゲリス「アブラハムのテーマ」
5/ヴァンゲリス「エリックのテーマ」

・映画「炎のランナー」のサウンドトラック収録の3曲。
本国イギリスでは1981年3月公開された映画「炎のランナー」は、日本ではタイムラグあって1982年8月に映画が公開された。
ヴァンゲリスはシンセサイザー音楽の先駆者。その中でもポップな楽曲を創る名手であり、この作品はシンセサイザーが一般化してしまった今でも古くならない1枚。

1982年の夏、眠い目を腫らしながら、高校の同級生と銀座の映画館で「炎のランナー」を見た記憶。
アブラハムとエリック2人のランナーを巡る物語のシーンの断片は映像を観なくても脳裏によぎる。
それが実際と正確にどう食い違うのかは細かく見直していないのだが。

テーマが短距離走者だったのもあり、スローモーションのシーンが多用されていた。
トラックヤードを走る最中、震える肉体、ゴールを胸で切る苦しい顔、スタート前の競技場スタジアムの上空への視線、そのスタジアムの空気感など。
静かで永遠に止まった時空にただよう神聖さ、そういったものをヴァンゲリスの楽曲は上手く音で表現している。

日本では、21世紀に入った今ですら「日本生命をヨロシク」とCMでゆずを聴かせ、そんな安直な手法で他人に無理矢理「感動」の共鳴を要求してくる。
「炎のランナー」は、そういったものの外側にある、オリンピック走者をテーマにした映画と音楽。
このサントラはアメリカで1位となり、ヴァンゲリスはアカデミー賞オリジナル作曲賞を受賞することになる。








6/ソフト・セル「汚れなき愛」
7/ソフト・セル「トーチ」

・決して置き去りにしてきたわけではないが、じぶんの中で忘れつつあった2人組ソフト・セル。
3枚のアルバムを残して解散し、マーク・アーモンドはマーク&ザ・マンバス結成、その後ソロ活動に入っていった。
ニューウェイヴの中では、ニューロマンティックでもテクノでもファンカラティーナでもなく、独立独歩だった彼ら。

ファーストシングル「汚れなき愛」は、イギリスのみならず、アメリカのビルボードチャートでも最高位8位(7月24日)まで上り詰めた。
この2曲はデビューアルバム「ノンストップ・エロティック・キャバレー」収録。




8/ABC「ザ・ルック・オブ・ラブ」
・あまりにもあからさまなロキシーミュージックのコピーに、今野雄二せんせいもあっぱれ・お見事、と評したABCのデビュー。
当時、ロキシーをまだ深く知らない中、ダンサブルできらびやかな楽曲は魅力的で、たて続けにシングルカットされる曲にいっとき夢中になった。

この「ルック・オブ・ラブ」にはさまざまなヴァージョンがあったが、いくら聴いてもどれも大した違いがなく、理解が出来なかった。
だが、プロデューサーがトレヴァー・ホーンと知れば、これがのちにZTTレーベルで12インチシングルを使って音楽市場を撹乱させる為の前哨戦だったと気付く。戦略的で野蛮なまでに計算されているのは、いかにもトレヴァー・ホーンらしいガッツを感じる。
売れ線、あざとい、と批判を浴びた一枚だが、そんな批判を跳ね除けるだけのチカラがある。


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Somewhere In Tokyo 2021(7月)5

2021-08-02 22:00:00 | 写真日和
















































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読書日誌:「FAKEな平成史」(森達也)

2021-08-01 18:00:00 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ


少年の頃の夏に「新潮文庫の100冊」というフェアが始まった。
セミ鳴く中、本屋さんに行った切ない夏の遠いシーンを想い出す。
と同時に、伊武雅刀さんがナレーションするCMや教授が広告になったポスターなども記憶によみがえる。

その類の夏のフェアは今でもやっていて、時期が来ると本屋さんには看板やポスター、店頭にずらっと本が並ぶ。その姿は毎年夏の風物詩になっている。
エアコンの効いた本屋さん店内、紙の匂い、夏らしいデザインのオビを付けた本が勢ぞろいしている様は今でも好きだ。
夏が来たな、と季節を感じる。

時期がたまたま夏に重なっただけだが、夏休みの読書感想文の宿題を始める、ということではない。
読書日誌、なんて書いたが、単なる個人的読書にまつわるメモである。
その程度である。それを最初に記す。

***

森達也さんの著書「FAKE(フェイク)な平成史」を読んだ。
この本は、2017年9月22日に発刊されたもので、当時気になっていたのだが、やっと4年遅れで読了した。
タイトルからお察しの通り、平成が終わる、ということになって企画された本である。

表紙に「自粛と萎縮にあらがい続ける」というコピーがある。
まるでコロナを予言していたかのような錯覚を覚えるセリフだが、コロナと無縁の時期に出た本である。
なのに現時点の日本にぴったりの表現のコピーである。
つまり、それくらい、日本は構造的に変わらない空気の中に居続けているのだろう。

本書は、平成天皇の退位される日が2019年4月30日となることを受け、平成を振り返るために、各時代に森さんが制作した映像ドキュメンタリー作品を置きながら、それに関わるゲストとの対談をまとめた本である。
タイトルに「平成史」とあるし全262ページとそこそこ分厚いので、平成の歴史本と勘違いしそうだがそういった類の本ではない。

森さん本人も、自分が歴史家や評論家でもないし、平成史を正面から統括することは荷が重く、振り返るとしても半径は小さいので、
テーマに関連する人を呼んで「煩悶や考察の補助線を依頼した」と断りを入れている。
しかし、昭和の終わりの自粛に始まり、平成の約30年の間、全体を覆ってきた空気がテーマである。



本は6章立てで構成され、それぞれのテーマに合ったゲストとの対談と、その頃の森さん自身の振り返り独白が交互に織り交ざる。

第1幕 疑似的民主主義国家ニッポン ~『放送禁止歌』 ゲスト:ピーター・バラカン
第2幕 差別するぼくらニッポン人 ~『ミゼットプロレス伝説』 ゲスト:日比野和雅(NHK『バリバラ』初代プロデューサー)
第3幕 自粛と萎縮に抗って ~幻の『天皇ドキュメンタリー』 ゲスト:松元ヒロ(お笑い芸人)
第4幕 組織は圧倒的に間違える ~『A』『A2』 ゲスト:有田芳生(参議院議員)
第5幕 平壌、かつての東京との交信 ~未完の『ドキュメンタリー』ゲス ト:若林盛亮(「よど号ハイジャック事件」実行犯)
第6幕 正しさこそが危機を生む ~『FAKE』 ゲスト:長野智子(ニュースキャスター)


個人的には、やはりという感じだが、日本と日本音楽を巡るピーター・バラカンさんとの対談が興味深かった。
もともとじぶんが思うことを率直に語るピーターさんだが、彼の本音が溢れていて面白かった。
またNHK「バリバラ」を巡る2幕、オウムを巡る有田さんとの4幕なども面白い。

すべての章の対談は森さん・編集者・ゲストの3人で行われているが、会話の断片が誰の発言なのか?
発言者がよくわからないまま羅列的に列挙記載されている箇所が多い。
読み手であるじぶんは、「 」カッコ内は誰がしゃべったものなのか?識別が難しくてできない。これはゲスト?森さん?編集者?
果たして誰か?わからないのは、読み手が悪いのか?本の編集の仕方が悪いのか?あえて発言をまぜこぜにしてるのか?
わたしはたぶん、あえてまぜこぜにしているのだ、そう思う。それくらい3人が考えていることは同じに近い。

***

本の分野や種類にもよるけれど、じぶんの最近の読書は、ふせんを付けたり、アンダーラインを引いたりして読むことが多い。
「一度読んだ本は二度と繰り返し見ないから、売るか捨てましょう」という断捨離思想が持てたら良いけれど、そんなスマートな性格になれず、
読み終わった本はふせんやアンダーラインなどでキズを付けた箇所だけめくり直すことが多い。

また、幼いころから本を最初から最後のページに向けて順を追って読むことが出来ない障害を持っている。
数冊を並行して、読めそうなところから入って、読めそうなら進む。
何回もトライして読めずに積まれた本もあれば、読みだしても、あるパートしか読めないという本もある。
1冊1冊をカタを付けるように読めないじぶん。
そんなじぶんにしては、この本は比較的やすやすと読めた。けっこうインタビューや対談本なら読めるのだ。

***

話しが逸れてしまったので、元に戻す。
第1幕はピーターさんとの対談を掲載しつつ、あいだに森さん自身の「ドキュメンタリー人生の始まり」そしてそれが平成とほぼ平行して始まり進んで行った様が振り返られる。ピーターさんはこの章で、日本に40年居るのに、日本人の感性が持てない、という在日外国人の正直な吐露をする。
そんな彼の発言や視線を借りながら、この国のありようを描き出していく。
じぶんが心にとまった箇所のいくつかだけ、下記に紹介し、読みたい方は本書を取っていただきたい。

p37・・・「もしも意見が違ったら、会社で村八分になってしまうとの意識なのでしょうか。ならばそういう意味で日本は、制度は議会制民主主義だけど、民主主義国とはとても言えないと僕は思います」
「ゴルバチョフが日本に来たとき、我々の国では失敗したが、この国では社会主義に成功した、と言ったらしいです。真偽は不明。仮に言ったとしても半分はジョークでしょう。でもならば半分は本気です。」
言いながら考える。そろそろ認めねばならない。この国は疑似的民主主義国家なのだ。

p39・・・日本の場合は、全員が黙り込んだうえでのフェアネスを実践しようとしている。しかし欧米では、投票権を持つ人がみんなで意見を出し合うフェアネスだ。この差は大きい。いや差ではない。根本的に違う。
「日本人はきっと、この国は民主主義国家ですかと訊かれたら、ほとんどの人がイエスと答えると思います。でもね、それは明らかに違う。本人たちはわかっていない。この国は実のところは独裁国家です。でも日本人の多くはそれを自覚していないから、こうした風土や状況を変えようとの意識が生まれない」
相当に辛辣な(でもだからこそ本音なのだろう)バラカンの言葉を聞きながら考える。一般的な独裁国家のイメージは、強権的な独裁者が存在して人民を抑圧し、強圧的に支配するということになる。確かに日本の場合は、強権的な独裁者や強圧的な支配は(表層的には)存在しない。ところが沈黙のフェアネスが典型だが、結果として独裁国家における国民の振る舞いとほぼ変わらない。支配されていないのに自発的に隷従する。でもその自覚はない。 多くの人は自由意志で判断していると思いこみながら、その振る舞いはことごとく隷従そのものになっている。

p44・・・バラカンに不謹慎はどのように訳すべきかと訊くと、しばらく考えてから、「確かにぴったりの言葉は英語にないですね」との答えが返ってきた。
不謹慎とは何か。何に抵触しているのか。法ではない。ルールとも違う。道徳や倫理でもない。結局は空気なのだ。みんなで同じことをやっているのに、なぜおまえだけがやらないのか。
あるいは、みんなで我慢してやらないのに、なぜおまえだけがやるのか。
これが不謹慎だ。右向け右。前へ進め。全体止まれ。その動きに同調しない異物の摘発。排除するための言い訳。

p69・・・日本の原発の保有数は世界第三位。でも一位のアメリカは国土が圧倒的に大きい。二位のフランスは地震がほとんどない。なぜこれほどに国土が小さくて地震が多くて、さらには(今の状況が示すように)電力も足りていたのに、気がつけば五四基もの原発を保持していたのか。
集団への従属、言い換えれば一人称を主体とする個の消滅は、人類全般が持つDNAに由来する。ただし日本人は、この本能が少しだけ強い。つまり場や空気に従いやすい。個が弱いのた。あるいは個を出さないように抑制する。こうして疑似的独裁国家が誕生する。
駅で電車を待ちながら、少し無理やりにこじつければ平成という時代は、日本におけるこのプロセスが、より顕在化しながら加速した時代と見なすことができるのだろうと考える。


また、森さんが海外で映画『A』を上映した際のエピソード。
上映後の質疑応答時、ドイツ人の発言にはハッとさせられた。

「オウムの信者はもちろん、この作品に登場するメディアも、警察も、一般の市民も皆、リアルな存在にはどうしても見えない。まるであらかじめ台本を手渡されてロールプレイングをやっているとしか私には思えない。これが本当に実在する人たちなら、日本という国はそうとうに奇妙だと思う。要するにフェイクな国だ」

このときはドイツ人男性のこの発言を契機にして、会場はかなり沸いた。男性の意見に同調する人もいたし、メディアについてはほぼ同じだと反論する人もいた。要するに文字通りのディスカッションだ。観客たちが論争を始めている。日本の劇場では、まず見られない光景だろう。
彼らの発言を聞きながら、少しずつ気持ちが冷えていったことを覚えている。理由はわかっている。年配の男性は、「日本という国はそうとうに奇妙だと思う」と発言した。多くの人がそう思うのだろうか。


2017年の本の表紙には別でタテ書きのコピーで「終わる平成。しかし、忖度は続いている。」とある。
この本が出た後、コロナが来て、2021年夏、東京五輪は開催に突入した。

平成が終わると決まった2017年と現在2021年に起きている事象は違うが、根底に占める空気が支配する問題は変わっていない。
ではそんな国でどうすればいいのか?どう生きればいいのか?
個人的に思うものはある。しかし、そんな大きなテーマよりも「あなたの病気・心身を直してくださいな」と周囲やツレに言われる。
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