こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

冬の100曲:フィリップ・グラス「天の伽藍(がらん)」1982

2025-01-11 21:20:00 | 音楽帳

□音楽と無縁な話し□一月上旬□

元旦からの炎症は粘っこいが、やっと下り坂に入った。6日(月曜日)には熱は消えていた。一日中の鼻水もやっと粘質からサラサラの水っ鼻に変わった。しかし、その一方で6日以降、家の人が逆に38度熱を出し始めた。彼女は家で寝て休んで治すやり方をとっていたが、一向に熱が引かないので、数日後やっと医者に行った。

症状の様相からして、私が伝染(うつ)したとはどうも言い難い。しかし、最近は私が外から何かを家に持ち込んでるパターンが多く、一年中こんなことばかりやっていることに今更絶望する。5年前休職して以降、どうもこんな免疫性の病気ばかりで、それは医者から言わせると抵抗力の低下が要因とのこと。コロナ前にはこんなことはなかったのだが、コロナ明け以降ウイルスが暴れている社会状況と自分の減退する身体状況がぶつかりあっていて、戸惑っている。

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昔からそうだったのかもしれないが、正月などは明けてしまえば普通の平日。昔みたいな正月の高揚感は無い。リハビリが仕事みたいな今の自分には、前年から続く日々が繰り返されているだけだ。そんな三箇日、もう1月3日にはBSテレビはそれまでの平日放送に戻っていた。朝は「はぐれ刑事」やっているし、昼前後からは2時間サスペンスをやっている。

1月3日は、熱で寝込む中、この2時間ドラマを観た。偶然観たそれは「湯の町コンサルタント」というもの。角野卓造と坂東三津五郎の2人のコンビが活躍するもので、以前も一・二度観た気がするのだが、何より惹きつけられたのはバックに流れていたフィリップ・グラスの音楽。どうしてこれが掛かるのか?わからずじまいだったが、すごく思い入れある大好きな曲「天の伽藍(がらん)」が繰り返しかかっていた。

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「天の伽藍」は、1982年発表のアルバム「グラスワークス」に収録された曲。私は1982年5月(今は亡き放送局?)“FM東京”夜の「サントリー・サウンド・マーケット」で初めて聴いた。

当時マンハッタンに住んでいたブライアン・イーノを立川直樹さんが訪ねてロングインタビューに成功。そのインタビューと音楽を織り交ぜた番組が一週間通して放送され、「天の伽藍」はその中で掛かった。この放送を編集したカセットテープで、「天の伽藍」を何百回も聴いた。憂いを帯びたしらべに、世紀末的な不安を重ねてしまう自分がいた。微妙な淡い色調の曲に「なんて美しい曲なんだろうか」と当時も今もうっとりする。

1982年という年は、実に不思議で面白い年だった。普通のロックやポップスと並列で、現代音楽寄りにあるペンギン・カフェもローリー・アンダーソンもそしてフィリップ・グラスもポップスのフィールドに存在していた。実際、このフィリップ・グラスのアルバムはアメリカのキャッシュボックス・チャートの123位(4月)に入っていた、という。

雑誌ミュージックマガジンで、彦坂尚嘉さんがこのレコード評を書いている。音楽家には「独自のスタイル」を確立することが大事なのかもしれないが、人間としてそれだけでは「救い」が無い。と述べている。60年代後半にすでにフィリップ・グラスは独自スタイルを確立していたが、そこには「救い」がなかった。ここで江藤淳の話しを引き合いに出しながら、このアルバムでフィリップ・グラス独自のかつてのスタイルの硬質性は失われているが、その喪失によって生まれたこの成熟と「救い」に深く敬意を表する、と評価する。

この彦坂尚嘉さんの評価に対し、中村とうようさんは「この手の音楽聴き過ぎて魂を”喪失”せぬようご用心」と書いている。

自分は、このアルバムの美しさに酔ってきた1人。同時期に初めて聴いたスタイルばりばりの「浜辺のアインシュタイン」よりもはるかにこの「グラスワークス」にココロ惹かれる。このアルバムに救いを感じ、このアルバムの中に身をうずめて魂を喪失する悦楽に昔も今も酔っている。

 

■Philip Glass「Facades」1982■

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