二胡工房 光舜堂

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楽器

2010-09-14 23:21:36 | ■工房便り 総合 
楽器の進化と言う物があると思います。

生物ではありませんから、

突然変異によって、形態や、生態が変化して、

その時の気候や、生態系に適合したものが、生き残っていくというわけではありません。

旅人達が、或いは、民族的な闘争などで、人々が流れて行くうちに、

違う風土や、違う生態系に適合しつつ、

形が変わり、音が変わっていき、

より演奏しやすい物にどんどん進化してきたのだと思います。


楽器としての機能で人々が求めるものはなんでしょう。

まず、弾きやすい事でしょう、

叩けば直ぐ鳴る。

吹けば直ぐ音がでる。

弾けば、直ぐ鳴る。

これらは当たり前のようでいて、それぞれの楽器によって、音の出易い物出にくい物があると言うのは、

例えば、バイオリンや、フルート、ギター三味線など、やっていた方は直ぐに納得されるでしょうし、

二胡にしても弾きやすい弾きにくいと言うのがあるのは、御存じでと思います。

次に、その楽器として、最大の音域が弾ける、と言うことでしょう。

私がやっていた、フルートなどは、頑張って、2オクターブと7音、

シのところまでは出ます、

最初持っていた、真鍮製の安い楽器は、2オクターブと5音、

ソ のところまできり出ませんでした、。

吹けない曲がありました。スーラの、星条旗よ永遠なれ、吹けませんでした。

次に買った、銀(洋銀)のは、綺麗にシのところまで出て、嬉しかったこと覚えています。

二胡に話しを絞りましょう。

二胡の、御先祖は、レバーブという、アラブの皮張りの、弦楽器です。

同じレバブと言う名前の弦楽器が、バリ島にありました。

バリ島ですから、島中が、大変な湿気です。

ですからレバブも、かなりぼてぼてした皮張りだったのを、覚えています。

当然高い音は出ません、でもなんとも、その低音が、可愛らしかった物です。

多分あれは山羊の皮だったのでしょう。

いつのころから、二胡は、蛇皮になったのでしょう。

アラブを出発した、海を回ったとしたら、東南アジア、経由ですから、

錦蛇に出会うのは、かなり早かったはずです。

ところが、様々な、書き物見てみると、どうも、元のころ、西方から、中国に入ったと言われています。

当然、まだ山羊だったかもしれません。

元は、金国を滅ぼし、漢民族を政府を、南部の、長江以南に追いやり、南宋という国が出来上がります。

それまではどちらかと言えば、南方と言っても、広州のあたりまでが、中国の政府の支配下にあったような形が、続いていました。

この南宋のあたりから、中国は随分南の、ベトナムに近いところまで、その政権が及びます。

もちろん北方の漢民族の、文化もそれによって、南にもたらされます。

当然、西域から入ってきた、二胡の御先祖も、ここで蛇皮に出会うのかもしれません。

或いは、既にその蛇皮を張った、太鼓など、或いはもしかしたら、弦楽器もあったかもしれません。

歴史上での物資の移動と言うのは、驚くものがありますから、

紀元前1500年には、エジプトで、インド産の黒檀が使われていたと言われています。

いわゆる教科書などに、のらなかった、文化史と言うのがあるのではないでしょうか。

特に、民衆の楽器として、楽しまれてきた、二胡は、解らないことが多いのではないでしょうか。

三味線などは、中国の三線が、日本に、織田信長のころ、倭寇の全盛期に入って来て、

豊臣秀吉の奥方、淀君の為に作られたと言われています。

かなり元の三線とは形も変わり、その3、40年の間に、三線から、三味線にまで変貌していたようです。

続く

西野和宏







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