二胡工房 光舜堂

二胡を愛する全ての人へ

もっと若かったら、と思う今日この頃

2013-04-30 12:22:39 | ■工房便り 総合 
日々、納得しては生きているつもりです。

早く明日になって、次に進めたいと思いながら毎日寝ます。

一日があっという間に終わるのですが、仕事自体は思ったよりも進みません。

日々新しいことをやっていかなければいけないし毎日が実験の繰り返しなので、

バイオリンのバフリングだけでも、この一週間で、多分10倍位のスピードになったとは思うのです。

何しろ自分でもよく思うのですが、スタートが悪い。

スピードが出ない。

何かを覚え込むまでに人様の何倍かは時間がかかってしまいます。

高校の頃、陸上部というのが無い学校でしたから、なんとなく足の速そうな生徒達が選抜されて、都大会などに出されました。

100メートルでしたが、手持ちの時計で、11秒代では走れたのです。

もちろんラクビーのおかげだとは思います、ラクビーはただひたすら走るからです。

でも、良く言われたのは、お前がスタートさえ良ければ10秒代出るよ、と。

でも絶対無理でしょうね、人様より半歩遅いのです。

私の人生全てそうかもしれません。

クラフトというのが有るのを知ったのでさえ、34歳の時です。

美大生だったら、18で解っていたことです。

インテリアの仕事を始めたのも、37歳です。

一緒にやっていたインテリアデザイナーが、オーナーとトラぶり、西野君、貴方良い家具作れるのだからせめて良い家具だけでも並べて、オープンさせて下さい。

そうは言われても初めてやることですし、やるなら思い切り、と、好き勝手にやらせてもらい、その結果が、なんとなく今のインテリアの仕事に繋がっていきます。

初めての建築も、48歳の時です。

大阪の曽根崎に肉やさんの建築を立てました。

インテリアの仕事で呼ばれたはずが、先生(一応そう呼ばれます)建築の方もデザインしてみない?

そんなことでやってもいのか、いきなり半年もらって建築の勉強始めました。

なんとかこなしてその結果、マンションの設計まで始めることにはなりました。

でも最初のマンションの設計52歳です。

そう言えば、クラブ(昔のノディスコ)、というものがあるんだと、いきなり有るオーナーが一緒に行こうと、夜のクラブめぐりをしたのも、53歳からですね。

親父二人が場違いな、クラブという所へあちこち出入りし、54歳で初めてクラブデビューです。

踊れるんですよ。(わらい)

60歳で初めて二胡に出会い、61で作り始めました。

ニ胡の世界でいい加減うんざりするほど、日本人の作ったものなんかと言われながら、なんとか光舜堂を開いたのが63才です。

楽器作りの面白さにハマり何でもっと早く楽器作りを始めなかったのかと思う今日この頃、やっと一台のバイオリンが出来そうです。(バイオリンのシガイは、50台を超えますかね)

この年になってこれから世界を目指すのは、どうなのかしらね?

でも、二胡もまだまだやること見えているし、ストラデバリウスは遥かに先を行ってるし。

もっと早く気がつけばよかったと、思う今日この頃です。



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2 Comments

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Unknown (enari)
2013-05-01 17:10:43
こんにちは。
お久しぶりです。
体の調子が悪く、思うようにいかない日々を過ごし、落ち込んでいましたが、何だか西野さんのお話を読んで、やる気というか元気というか、何か貰いました。まだ、私にも、できる事があるから、大事にしないと勿体ないと思いました。
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enariさん (nishino)
2013-05-01 19:54:38
体調崩していたのですか。お大事になさってください。先ず何より体力ですから。多分人生にこれで終わりというのは無いのではないでしょうか。自分の為というより、その場の流れに乗る、というのが大切な様な気がします。他人に求められていることやってみると言うのは、私の人生の様な気がします。そしてそうせやるなら思い切りよく、すべで出しきってしまうと言う感じですかね。
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