バイオリンなどの洋楽器の世界では、経歴書に誰々先生に付いて習い、次には他の先生にも師事しましたと皆さんシッカリと書かれています。
日本の二胡の世界でそのようにちゃんと書かれるという事が少ないですね。
まあ、プロになるなら別ですが、それは私のように初心者からちょっと抜けだして、グループレッスンから個人レッスンに移行し、この先生に習いたいと他の教室に行った時に、色々な問題にぶつかります。
先ず大きいのは、「わたしの教室に来たら私の勧める楽器を使いなさい」
そこまでは言わずとも、「それは良い楽器では無い」と以前の先生から購入した楽器がけなされることもあります。
そこでいた仕方なく、数十万する楽器を更に購入することになったりすると言うのは、東京では多いのです。
まあ、「わたしの音色は私の選んだ楽器を使うから出て来る音色なのです」と言われると、それも一理はあるかとも、、、
東京以外にお住まいの方には少し信じがたいことかもしれませんが、東京で教室を移動した時に出て来る普通のことではありました。
他の教室に移って、その教室の特徴のある楽器を皆さんが弾いていると、なんとなく、自分の楽器が他の人と違う事に後ろめたい思いをされる方も多いです。
勿論それが全ての教室ではありません。
どんな楽器でも、持って来て良いです好きなものを弾いて下さいと言う教室も有ります。
でもせっかく気に入った先生がいらして、やはりその先生の使用されている楽器と同じ物を使いたいというのは人情ではありますね。
皆さんの演奏がどんどん進化して、先生クラスになったとします。
では、それでは自分の教室を開いてみたい、或いは、自分自身の音色を求めてライヴ活動などしてみたいという方も出て来ます。
これは当たり前です。
楽器は自分自身弾いて楽しむ為でもありますが、何時かは、人様に聴いてもらいたいと誰しも心の中で思うのは当然のことです。
人は自分のことを人様に認めてもらって初めて自分自身を理解し、気持ちが充足します。
幾ら趣味で練習したとしても誰かに聴いてもらいたいというのは、本音の一つにはあると思います。
その演奏が、周りのみんなから褒められるようになり、自分自身も納得できる演奏になってくれば余計にそのように思います。
物作りにしてもそれは同じことです。
田中一村という絵描きさんは、沖縄で紅型の染め物の仕事をしながら、日本画を描いてきていました。
誰にも見られず、誰にも見せず、じっと十数年書き続け、ある時故郷の千葉まで十数本の自作の絵を持って行き以前の知り合い達に見せたのだそうです。
多分みんなに見てもらったその歓びは大きかったと思います。
あれだけの天才的な絵ですからなおさらでしょう。
そのようなこともあり二胡も相当弾けるようになると、自己主張したくはなるのだと思いますが、ここで問題も起きやすいのです。
弟子の独立という事で、私自身著名な演奏家とそのお弟子さんの、トラブルなどもいくつか見て来ています。
また、10月26日に行われる日本人の優秀な演奏家たちに集まってもらい、今の日本の二胡演奏のいろいろな形の演奏や他の楽器とのコラボなど、いろいろ皆さんに聴いていただきたいと考えて動いて来ました。
やはりその中でも、様々な先生方の妨害や、或いは内の弟子は出演させないなど、また或いは本人の自由ですよと言いながらも、、、、などなど。
まあ色々有りますが、これだけ二胡の世界が日本に広がりながら(もう三味線の演奏者の数より多いのです)最初に二胡の教室を始めた先生方の考え方の違いでしょうか、日本人の演奏家というのが、これだけ大勢の演奏家が居るはずの東京関東圏で意外と活躍しにくくなっているという事もあります。
私の大好きな二胡をこれだけ広めて頂いた、それこそ最初に日本に来た時には皿洗いからでしたなどという中国人の演奏家の方もいらっしゃいます。
その方達の苦労や努力は大変感謝しておりますが、やはり、時代の変化或いは日本の華下での二胡の認識の変化などというのも少しずつ出来ています。
只、民族性の違いからか、師匠と弟子という感覚が少し日本人とは違うような気もします。(ここれは私の感じです)
或いは商売的に、自分の教室を保護したいという事なのかもしれません。
或いは日本人の宗師制度というのが、中国から来た二胡の世界に入ってしまったのでしょうか。このへんは解りませんが、
二胡の世界が不自由になっています。
日本の二胡の世界でそのようにちゃんと書かれるという事が少ないですね。
まあ、プロになるなら別ですが、それは私のように初心者からちょっと抜けだして、グループレッスンから個人レッスンに移行し、この先生に習いたいと他の教室に行った時に、色々な問題にぶつかります。
先ず大きいのは、「わたしの教室に来たら私の勧める楽器を使いなさい」
そこまでは言わずとも、「それは良い楽器では無い」と以前の先生から購入した楽器がけなされることもあります。
そこでいた仕方なく、数十万する楽器を更に購入することになったりすると言うのは、東京では多いのです。
まあ、「わたしの音色は私の選んだ楽器を使うから出て来る音色なのです」と言われると、それも一理はあるかとも、、、
東京以外にお住まいの方には少し信じがたいことかもしれませんが、東京で教室を移動した時に出て来る普通のことではありました。
他の教室に移って、その教室の特徴のある楽器を皆さんが弾いていると、なんとなく、自分の楽器が他の人と違う事に後ろめたい思いをされる方も多いです。
勿論それが全ての教室ではありません。
どんな楽器でも、持って来て良いです好きなものを弾いて下さいと言う教室も有ります。
でもせっかく気に入った先生がいらして、やはりその先生の使用されている楽器と同じ物を使いたいというのは人情ではありますね。
皆さんの演奏がどんどん進化して、先生クラスになったとします。
では、それでは自分の教室を開いてみたい、或いは、自分自身の音色を求めてライヴ活動などしてみたいという方も出て来ます。
これは当たり前です。
楽器は自分自身弾いて楽しむ為でもありますが、何時かは、人様に聴いてもらいたいと誰しも心の中で思うのは当然のことです。
人は自分のことを人様に認めてもらって初めて自分自身を理解し、気持ちが充足します。
幾ら趣味で練習したとしても誰かに聴いてもらいたいというのは、本音の一つにはあると思います。
その演奏が、周りのみんなから褒められるようになり、自分自身も納得できる演奏になってくれば余計にそのように思います。
物作りにしてもそれは同じことです。
田中一村という絵描きさんは、沖縄で紅型の染め物の仕事をしながら、日本画を描いてきていました。
誰にも見られず、誰にも見せず、じっと十数年書き続け、ある時故郷の千葉まで十数本の自作の絵を持って行き以前の知り合い達に見せたのだそうです。
多分みんなに見てもらったその歓びは大きかったと思います。
あれだけの天才的な絵ですからなおさらでしょう。
そのようなこともあり二胡も相当弾けるようになると、自己主張したくはなるのだと思いますが、ここで問題も起きやすいのです。
弟子の独立という事で、私自身著名な演奏家とそのお弟子さんの、トラブルなどもいくつか見て来ています。
また、10月26日に行われる日本人の優秀な演奏家たちに集まってもらい、今の日本の二胡演奏のいろいろな形の演奏や他の楽器とのコラボなど、いろいろ皆さんに聴いていただきたいと考えて動いて来ました。
やはりその中でも、様々な先生方の妨害や、或いは内の弟子は出演させないなど、また或いは本人の自由ですよと言いながらも、、、、などなど。
まあ色々有りますが、これだけ二胡の世界が日本に広がりながら(もう三味線の演奏者の数より多いのです)最初に二胡の教室を始めた先生方の考え方の違いでしょうか、日本人の演奏家というのが、これだけ大勢の演奏家が居るはずの東京関東圏で意外と活躍しにくくなっているという事もあります。
私の大好きな二胡をこれだけ広めて頂いた、それこそ最初に日本に来た時には皿洗いからでしたなどという中国人の演奏家の方もいらっしゃいます。
その方達の苦労や努力は大変感謝しておりますが、やはり、時代の変化或いは日本の華下での二胡の認識の変化などというのも少しずつ出来ています。
只、民族性の違いからか、師匠と弟子という感覚が少し日本人とは違うような気もします。(ここれは私の感じです)
或いは商売的に、自分の教室を保護したいという事なのかもしれません。
或いは日本人の宗師制度というのが、中国から来た二胡の世界に入ってしまったのでしょうか。このへんは解りませんが、
二胡の世界が不自由になっています。