日本の職人というテーマや、富士山というテーマでのテレビの特集で、BGMが、二胡なのです。
これはお聴きになったかとも多いと思います。
けして中国の民族楽器というとらえ方はされていません。
むしろ日本の日本人の感覚に応えられるような音として、使われているのです。
古い時代に日本に入ってきた、箏や三線、そして琵琶などが日本古来の楽器として今は扱われ、
本来は、中国の西の国から来たと言われる、二胡という楽器がいつの間にか、中国の民族楽器に変化しました。
その二胡が日本に来て、日本人に合うように演奏され日本人に合うように改造されていくのも、楽器の流れではないでしょうか。
さて本題です。
二胡のレッスン。
昨日は思いがけないことが幾つかあった、営業日でした。
ほぉさんが、また営業日の日誌に、面白おかしく書くでしょうから、細かいことは省きます。
一つは思いもかけず、バイオリンのレッスンをしていただいたことです。
会員のK さんがご来店して、二胡の弦が振動するという事で、色々話していた中で、なんかの拍子に、弦が回転するという話になりました。
それをお見せしようと、バイオリンを取りだし、恐れ多くも右手のレッスンまでしていただいたのです。
大変美しいKさんに手を取っていただいてこのようにと右手を一緒に動かしてもらうという爺にはあり得ない幸運に恵まれまして、そのおかげで普段はもう少し弾けてるはずが、とんでもなく酷い音で弾いてしまいました。
あるまじきことに、上がってしまったのでしょう。
これではいつまでもKさんの男性生徒は上手くなりたくはないのかもしれません。
バイオリンの弦が回転するのはとても見やすく、昨日は他にもお二人の方に見て頂きました。
ピタッと押さえて弓が乗るとその振動は、小さくなって回転しなくなりその途端に、音が鳴りだします。
芯のある音になって来ます。
これは二胡も同じです。
弓の毛で弦をピタッと押さえると途端に二胡らしい音になって来ます。
2週ほど前の営業日に楠田名保子先生の、音色を聴いて以来、二胡の音色の可能性に付いてずーと考えて来ましたが、その中で、色々見えてきたこともありまして、それらはこの数日間このブログに書いて来ました。
でもそれは理論であって、自分が出来るのとは違います。
昨日いらしたお客様の言葉にもありましたように、やはり皆さんがこの音色が良いという演奏家或いは、先生に具体的に、レッスンを受けることが望ましいと思います。
但し先生方は、子供のころから二胡を弾いてますから、もう自然に良い筋肉を付けています。
もっと力を抜いてと言われても頑固な私のような年寄りには、力抜いたら弓が落ちてしまうではないか。
何処の力を抜くのよと考えてしまいます。
たとえばです、テーブルに水を入れたコップを置いて下さい。
そのコップを、上から5本の指全部を使って落ちない程度に握って持ち上げると、指の摩擦もあって落ちないギリギリだと重くは感じませんし何処にも力を入れていないように感じます。
しかしこれを、横から5本の指で持ち上げようとすると、力を入れている筋肉を感じますし、重くも感じます。
これを重く感じないという方は内のほぉさんのような筋肉自慢の方か、持ち上げる練習をしてきた方でしょう。
物を引っ張り上げようとする筋肉と持ち上げようとする筋肉の違いですね。
この引っ張り上げようとする筋肉は子供のころから、おもい手をぶら下げて自然について来た筋肉ですね。
この筋肉で持つと力を入れた感じはしません。
手も自由に何かを持っても振れます。
多分子供のころから、二胡を弾いてきた方にとっては力を抜くと言うのはこういう事だと思うのです。
手を合理的に使えば疲れもしませんし何処かいためもしません。
少しずつ二胡を弾く筋肉を作っていかないと行けないのでしょう。
一遍には行きません、少しずつみんなだ沢山弾いて行けば、良い音色に出会えるです。
これはお聴きになったかとも多いと思います。
けして中国の民族楽器というとらえ方はされていません。
むしろ日本の日本人の感覚に応えられるような音として、使われているのです。
古い時代に日本に入ってきた、箏や三線、そして琵琶などが日本古来の楽器として今は扱われ、
本来は、中国の西の国から来たと言われる、二胡という楽器がいつの間にか、中国の民族楽器に変化しました。
その二胡が日本に来て、日本人に合うように演奏され日本人に合うように改造されていくのも、楽器の流れではないでしょうか。
さて本題です。
二胡のレッスン。
昨日は思いがけないことが幾つかあった、営業日でした。
ほぉさんが、また営業日の日誌に、面白おかしく書くでしょうから、細かいことは省きます。
一つは思いもかけず、バイオリンのレッスンをしていただいたことです。
会員のK さんがご来店して、二胡の弦が振動するという事で、色々話していた中で、なんかの拍子に、弦が回転するという話になりました。
それをお見せしようと、バイオリンを取りだし、恐れ多くも右手のレッスンまでしていただいたのです。
大変美しいKさんに手を取っていただいてこのようにと右手を一緒に動かしてもらうという爺にはあり得ない幸運に恵まれまして、そのおかげで普段はもう少し弾けてるはずが、とんでもなく酷い音で弾いてしまいました。
あるまじきことに、上がってしまったのでしょう。
これではいつまでもKさんの男性生徒は上手くなりたくはないのかもしれません。
バイオリンの弦が回転するのはとても見やすく、昨日は他にもお二人の方に見て頂きました。
ピタッと押さえて弓が乗るとその振動は、小さくなって回転しなくなりその途端に、音が鳴りだします。
芯のある音になって来ます。
これは二胡も同じです。
弓の毛で弦をピタッと押さえると途端に二胡らしい音になって来ます。
2週ほど前の営業日に楠田名保子先生の、音色を聴いて以来、二胡の音色の可能性に付いてずーと考えて来ましたが、その中で、色々見えてきたこともありまして、それらはこの数日間このブログに書いて来ました。
でもそれは理論であって、自分が出来るのとは違います。
昨日いらしたお客様の言葉にもありましたように、やはり皆さんがこの音色が良いという演奏家或いは、先生に具体的に、レッスンを受けることが望ましいと思います。
但し先生方は、子供のころから二胡を弾いてますから、もう自然に良い筋肉を付けています。
もっと力を抜いてと言われても頑固な私のような年寄りには、力抜いたら弓が落ちてしまうではないか。
何処の力を抜くのよと考えてしまいます。
たとえばです、テーブルに水を入れたコップを置いて下さい。
そのコップを、上から5本の指全部を使って落ちない程度に握って持ち上げると、指の摩擦もあって落ちないギリギリだと重くは感じませんし何処にも力を入れていないように感じます。
しかしこれを、横から5本の指で持ち上げようとすると、力を入れている筋肉を感じますし、重くも感じます。
これを重く感じないという方は内のほぉさんのような筋肉自慢の方か、持ち上げる練習をしてきた方でしょう。
物を引っ張り上げようとする筋肉と持ち上げようとする筋肉の違いですね。
この引っ張り上げようとする筋肉は子供のころから、おもい手をぶら下げて自然について来た筋肉ですね。
この筋肉で持つと力を入れた感じはしません。
手も自由に何かを持っても振れます。
多分子供のころから、二胡を弾いてきた方にとっては力を抜くと言うのはこういう事だと思うのです。
手を合理的に使えば疲れもしませんし何処かいためもしません。
少しずつ二胡を弾く筋肉を作っていかないと行けないのでしょう。
一遍には行きません、少しずつみんなだ沢山弾いて行けば、良い音色に出会えるです。