二胡工房 光舜堂

二胡を愛する全ての人へ

二胡の音色その6

2010-06-30 20:48:02 | ■工房便り 総合 
雑音の話し。

これは二胡と切っても切れない話し。

先日、劉継紅先生とお会いして話したときにもた時にも、その雑音の話しになりました。

先生曰く、「雑音が無いに越したことは無い、でも二胡の雑音は宿命です。可能な限り無くしたとしても、下仕方ないのが一つだけ残ります、それは、第二ポジションの、ミ、のところです。此処はしょうがないとして、弾く方でコントロールするようにしています。」

「でも先生、これは雑音は出ないでしょ。」

「確かに、出ません。でもこうやって弾くと、この第5ポジションでは、音がざらつきますね。プロは此処まで強くも弾くことがあるのですよ。」

「そうですか、そこまで!!!  ではそこでも出ないように、頑張ります。」

「その分、音色が変わりませんか?」

「流石ですね、仰せごもっともです。その辺の音まで整えるようにすると、音色の幅が落ちますね」

またまた、言ってしまいますが、此処まで二胡のこと御存じだったのは、劉継紅先生だけでした。もちろんほかの沢山いらっしゃる中国人の演奏家に全部お会いしたわけではないので、解りませんが、
少なくとも今まで楽器を売っていた中国人の楽器屋さんでも知らないことを、それこそ作る人ではないかと思うくらいに、ご存知でした。

そこで音色。

二胡の音色をコントロールする一つに、胴の中の削りがあります。

「もっと削って、中荒らして。」

とおっしゃるように、中の荒らし削り一つで、音色が変わります、し、

深くも、滑らかにも、艶やかにもなるのです。

これは、ハンドメイドの、演奏家用と言うのは、みんなそのように、削られているようですし、そのはずなのです。

しかし、今売られているものに関しては、中まで荒らし削りをしてあるというのは、見たことがありません。

中国でも、劉先生のような理解をしている人と言うのも沢山いらっしゃるのだと思うのですが、

何故こういう風に、平らに中がなっているのかは、よくわからないのです。

もちろんこういうことは、三味線などにもありますし、当然バイオリンなどもあります。

中にまで手かきちっと入っていいるものと、そうでないもの。

ただどうもその、程度、の差が二胡では、大きいようです。

もちろん、私の作る二胡は、ちゃんと中が削ってあります。

それで、音のふくらみが出て来るのと、上手くやると、全体が振動するような、響きにまでなったりします。

その時に削りながら調整すると、皮以外の雑音の原因も取り除けるのです。

私の作った二胡に、雑音が出ない理由の一つが、この荒らし削りにあります。

最近、思うところが有って、この削りを、おとなしめにしていました。

と言うのは、音色のことです。

雑音は消せたけど、音色もふくらみが無くなるという場合が、かなり出てきたのも事実なのです。

雑音と言うのは、もしかすると、音色を構成する振動の、1変化なのではないかと、考えるようになったのです。

もちろん、このまま、雑音を、まったく無くすということも可能です。

しかしその時には、音色の豊かさが消え、てしまうのは、二胡のこの折角の揺れる音色と言う、良い部分も消しかねないということになります。

8角形の二胡は、この、揺れると言うことをなるべく少なくして、よりヨーロッパの、完成度の高い弦楽器に近づけようとしたものなのかもしれません。

それはそれで、より合奏などの時には、個性が出にくいという点で、良いのかもしれません。

ただ私としては、最初に手にした、あちこち痛んだ、戦前の二胡、これに対する愛着と言うのは何処かに有って、

より二胡らしい音色を作り出す、折角の揺れる音色犠牲にしたくは無いな。

という気分はあります。

膝の上に抱えて、体で振動聞きながら、誰かの歌に合わせて、

一杯飲むような、李伯が聞いたら喜びそうな感じ、の楽器であってほしいというのは、あります。(李白の時には、まだ二胡はなかったでしょうが、彼なら、船の上で、飲みながら、エキゾチックな、外国の音、楽しんだかもしれないじゃないですか)
だから蘇州夜曲なのかしら。

でも此処でいつも思うのは、

李白の詩は、私たちは日本語で習います、

床前月光を見る 

疑うらくはこれ地上の霜かと

頭を巡らして名月を見上げ

頭を垂れて故郷を思う   だったと思います(間違えたらごめん)


これは中国語では無いですね、日本語?ですかね?

このことは、日本と中国の文明と文化というテーマ書きたいと思っています。

日本人の思っている中国文化と、彼らの思っている中国文化、文明の違い。

話がそれてしまったのですが、音色と言うのは、このように、周りの空間にも関係するのではないのでしょうか?

生活の中の楽器の二胡は、アービンの演奏を聴いた時も思ったのですが、

雑踏の中でもその雑踏と溶け合うような、雑音と、調和と音色と言うのがあるかもしれません。

続く

西野和宏










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4 Comments

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Unknown (しゃおちん)
2010-07-01 21:30:19
昔、中国語を習った先生は天津生まれで夕刻、家に帰る頃にどこからともなく聞こえてくる二胡の音色がなんとも物悲しくて未だに忘れられないと仰っていました。
私もそんな音色を出せたら・・・と思っています。
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夕暮れの (nishino)
2010-07-01 22:33:46
二胡な二か素敵な、音しそうですね。

最近思うのは、ホントの二胡の音自分が弾き出せるまでは、夕暮れの音は、出せないのでしょう、パンッと鳴らせないと、ただのだらだらの音になってしましそうで、最近は、大ボリュウムで、どこまで出せるかやってます。
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そうですか。。。 (Jimmy)
2010-07-02 00:31:31
劉先生とはいろいろなことをお話したのですね。その大部分を吸収出来たのだとすると大変良かったと思います。

とにかく研究してますよ、曲も楽器も。
以前糸巻きの調整をしてもらったこともあります。紙やすりで削ってました(ww

学者的ではありませんが、とにかく理論派です。もっともっと吸収できるといいですよね。

とにかく味方(?)にしたほうが良い先生です(www
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見方 (nishino)
2010-07-02 08:40:25
というより、女性が苦手な私としては、珍しくちゃんと話せる相手なので、嬉しいですよ。
とにかく正統派の方ですから、邪道から入ってしまった私としては、この際
幾らでも教えてほしいことあります。

jimmyさん色々ありがとう。
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