二胡弾いているとなんだか音楽にもならないのに、だらだらと音出しをしていますね。
とても気持ち良いです。
やっと何とか気持ち良く音色を楽しめるぐらいになってきたのだとは思います。
6年かかりましたね。
本格的に二胡を弾くというのを教わったのは、今年に入ってからです。
私自身ちゃんと二胡を覚えなければと一大決心でしたね。
元々がチェロを弾けますから、何とか手の脱力というのはできていたつもりでしたが、
やはり教わってみると、さらに上がというのが良く分かりました。
レッスンというのは、楽器の勉強というのはおしまいのない物なのでしょう。
そこで、最近よく考えるのは、二胡の教育の事です。
いくら、おしまいのない二胡の勉強だとしても、どこかで区切りというのがあるのではないでしょうか。
皆さんの中で、カルチャーセンターのグループレッスンで10年続けているという方はいらっしゃいますか?
勿論、いないわけではないとは思います、でも少ないですよね。
殆どの人が次の教室を探したり、やめてしまったりと、、、
次の教室を探してさらに上達しようと、個人レッスン始めたとして、その先は???
そうですね、その先が無いのです。
私みたいな年寄りでも、そこそこ弾けるようになってくっると、欲が出ます。
良し!次はこの難しい曲を!とか。、いつかは人前で弾いてみたいな。!などと言う妄想が、まれに頭をよぎることもあります。
たぶん楽器を始めた以上、頭の中のどこかに、そんな気持ちが私でさえ、(私は比較的欲のない人間です、金も名誉も勿論物欲も、私の質素な生活を見ると皆さんびっくりしますよ、作ること自体が私の自己主張ですから、作り終わればそのほかは何にもないのです)
まあそれはともかく、ですから皆さんボランティア活動や、教室の楽団やら、やっと二胡もそこまでなってきたかなという感じにはなってきましたね。
しかし、その楽団もなかなかに、教室の範囲は出にくいですね。
資金的な面(場所が要りますから)そのお金の管理の面、そしてその事務連絡などの事など考えると、今のところはこ教室中心というのはよいのかもしれません。
その上二胡にはまだ、合同でみんなが弾けるような譜面いうのがほぼありません。
譜面といえば、教本もまだありませんね、
各教室であるところもあります。
しかしそれが、ヴァイオリンなどの教本などのように中身が確立していないということもあります。
もっと言いますと、ボーイングだけでも各教室でまちまちです。
更に良い楽器という点でも先生がこんなだマダメな楽器使っていないで、私が勧める楽器を買いなさいなどと言うのは、
今これを読んでおられる方で半分以上あるいは80%暗い経験のあることでしょうが、良い楽器??
それさえ人によってバラバラですね。
そして、プロへの道も開かれていないのが、、、あるいは反対に誰でも先生になれるという状態が今の二胡会です。
私でも先生やれます。
勿論中国へ行って本格的に二胡教育を受けた人もいます。ほんとに10人前後でしょう。
しかし、本当に良い先生というのは、個人的な力か、あるいは教育と言う物を学んだ人にきりなさそうです。
今の二胡会は、たまたま、中国から二胡を弾ける人が来て、個人的な力で、あるいは日本人の有志によってささえられて、教室を広げてきただけでです。
それはそれで、大変なことですし感謝もしています。(何しろ知らない国に行って言葉も満足にできないところで技術を教えていくというのは、経験があるだけにとても良く分かりはします)
しかし、二胡の世界に若い人たちが入ってきにくいという現状もあります。今二胡の愛好家の中心は60歳代ではないですかね?
一つには二胡そのものが知られていないということ、一つにはせっかく入っても、先が見えない、このままやっていっても演奏家にもなれず、先生にもなれず、と考える若い人も多いようです。
また、二胡そのものが手に入りにくかった!、今は違います。
中国へあるいは台湾へ、あるいは光舜堂へ行きさえすれば手に入ります。それも妥当な金額で。
そういう時代になったというのはみなさんはうすすす感じていたとしても、今の先生がたはどうなのでしょう。
私が作った駒を見て、これは素人の作ったものだから二胡を良く分かっていない人が作ったなどと言って否定しようとする人もいます。
私の作った楽器を弾いているプロの人の立場はどうなるのでしょうね?
あるいは、海外の華僑の人から私に楽器の製作の依頼が来るというのはどういうことでしょうか?
ともあれ楽器位自体も皆さん20年前とは比較にならないほど簡単に手に入れられるのですし。
皆さんの耳が肥えて来て、良い楽器と言うのは皆さんとても良く分かってきています。
これらの事など、楽器の事も含み、きちっとした教本あるいは先行きが開ける希望などそれらが満たされる二胡の教室というのがあったら良いですね。
高望みしすぎですか???
、
とても気持ち良いです。
やっと何とか気持ち良く音色を楽しめるぐらいになってきたのだとは思います。
6年かかりましたね。
本格的に二胡を弾くというのを教わったのは、今年に入ってからです。
私自身ちゃんと二胡を覚えなければと一大決心でしたね。
元々がチェロを弾けますから、何とか手の脱力というのはできていたつもりでしたが、
やはり教わってみると、さらに上がというのが良く分かりました。
レッスンというのは、楽器の勉強というのはおしまいのない物なのでしょう。
そこで、最近よく考えるのは、二胡の教育の事です。
いくら、おしまいのない二胡の勉強だとしても、どこかで区切りというのがあるのではないでしょうか。
皆さんの中で、カルチャーセンターのグループレッスンで10年続けているという方はいらっしゃいますか?
勿論、いないわけではないとは思います、でも少ないですよね。
殆どの人が次の教室を探したり、やめてしまったりと、、、
次の教室を探してさらに上達しようと、個人レッスン始めたとして、その先は???
そうですね、その先が無いのです。
私みたいな年寄りでも、そこそこ弾けるようになってくっると、欲が出ます。
良し!次はこの難しい曲を!とか。、いつかは人前で弾いてみたいな。!などと言う妄想が、まれに頭をよぎることもあります。
たぶん楽器を始めた以上、頭の中のどこかに、そんな気持ちが私でさえ、(私は比較的欲のない人間です、金も名誉も勿論物欲も、私の質素な生活を見ると皆さんびっくりしますよ、作ること自体が私の自己主張ですから、作り終わればそのほかは何にもないのです)
まあそれはともかく、ですから皆さんボランティア活動や、教室の楽団やら、やっと二胡もそこまでなってきたかなという感じにはなってきましたね。
しかし、その楽団もなかなかに、教室の範囲は出にくいですね。
資金的な面(場所が要りますから)そのお金の管理の面、そしてその事務連絡などの事など考えると、今のところはこ教室中心というのはよいのかもしれません。
その上二胡にはまだ、合同でみんなが弾けるような譜面いうのがほぼありません。
譜面といえば、教本もまだありませんね、
各教室であるところもあります。
しかしそれが、ヴァイオリンなどの教本などのように中身が確立していないということもあります。
もっと言いますと、ボーイングだけでも各教室でまちまちです。
更に良い楽器という点でも先生がこんなだマダメな楽器使っていないで、私が勧める楽器を買いなさいなどと言うのは、
今これを読んでおられる方で半分以上あるいは80%暗い経験のあることでしょうが、良い楽器??
それさえ人によってバラバラですね。
そして、プロへの道も開かれていないのが、、、あるいは反対に誰でも先生になれるという状態が今の二胡会です。
私でも先生やれます。
勿論中国へ行って本格的に二胡教育を受けた人もいます。ほんとに10人前後でしょう。
しかし、本当に良い先生というのは、個人的な力か、あるいは教育と言う物を学んだ人にきりなさそうです。
今の二胡会は、たまたま、中国から二胡を弾ける人が来て、個人的な力で、あるいは日本人の有志によってささえられて、教室を広げてきただけでです。
それはそれで、大変なことですし感謝もしています。(何しろ知らない国に行って言葉も満足にできないところで技術を教えていくというのは、経験があるだけにとても良く分かりはします)
しかし、二胡の世界に若い人たちが入ってきにくいという現状もあります。今二胡の愛好家の中心は60歳代ではないですかね?
一つには二胡そのものが知られていないということ、一つにはせっかく入っても、先が見えない、このままやっていっても演奏家にもなれず、先生にもなれず、と考える若い人も多いようです。
また、二胡そのものが手に入りにくかった!、今は違います。
中国へあるいは台湾へ、あるいは光舜堂へ行きさえすれば手に入ります。それも妥当な金額で。
そういう時代になったというのはみなさんはうすすす感じていたとしても、今の先生がたはどうなのでしょう。
私が作った駒を見て、これは素人の作ったものだから二胡を良く分かっていない人が作ったなどと言って否定しようとする人もいます。
私の作った楽器を弾いているプロの人の立場はどうなるのでしょうね?
あるいは、海外の華僑の人から私に楽器の製作の依頼が来るというのはどういうことでしょうか?
ともあれ楽器位自体も皆さん20年前とは比較にならないほど簡単に手に入れられるのですし。
皆さんの耳が肥えて来て、良い楽器と言うのは皆さんとても良く分かってきています。
これらの事など、楽器の事も含み、きちっとした教本あるいは先行きが開ける希望などそれらが満たされる二胡の教室というのがあったら良いですね。
高望みしすぎですか???
、