ミクロネシアの方に、竹筒を何本か長さを変えて、ひとりが一本を持ち、地面に落としてそれで音楽を奏でる楽器というのがあります。
多分生活の中で竹筒をうっかり地面に落とした音の良さを楽器に仕立てたのかもしれません。
以前ウェイウェイ・ウー先生の演奏会で、先生のお父様が、ずらりと並べた茶碗を叩いて、演奏したことがありました、その時のお父様の楽しそうな表情というのはいつまでも思い出します。
椀琴というのだそうです。
これは殆どの方がやったことがあり、怒られた経験もあると思います。
また、ブラジルのカポエラという元々武術のダンスがあります、その伴奏楽器に、ベリンバウという楽器があります。
これはまさに、狩猟につかう弓の弦を棒で叩くのです。
私の仕事場の、となりに多摩川が流れています。
秋になるとススキが沢山群れて咲き、それらがそよぐ音というのも、秋の代表のような音なのかもしれません。
季節により風も変わり強さも吹き方も変わります。
たまに折れた葦などがあると、ヒューっと笛の音がします。
いまだに、オーボエのリードやサックスのリードは葦を使います。
生活や仕事の中で、様々な物を良く感じようとすることが自分の身を守り、或いは生活を守っていくような環境であった時代に、音というのは大変大事な役割が有ったと思います。
それらの自然の音の中から、楽器達は作り始められたのでしょう。
二胡の一番の特徴は、二本の弦が合わさっていることです。
二本の弦が同時に鳴るということです。
二胡を調整する時に千斤を巻きます。
この時、千斤を巻きながら右手で弓を引いて行来ながら、千斤を閉めていくと、ある一定のところで二本の弦が同時に鳴ります。
もちろん、二つの弦が合わさっているのですから、どんな時にでも鳴ってはいるのですが、
千斤の高さがある一定のところになると、フワッと、二つの弦が響き合うところがあります。
これこそ二胡の音そのものです。
この音を聞いた時に、楽器が鳴るということを手でも耳でも感じたのです。
あぁこれが二胡の音だなーとしみじみ感じ、楽器はこうやって作り始められたのだと、なんだか一人で、納得するところがありました。
これは分かりにくいかもしれませんがやってみて下さい。
弦の響き、木の鳴り、これを素直に楽器に仕立てるにはと考えた時に、バイオリンの作り方というのが私の中で見えた気がします。
先日、革胡という楽器を始めて触らせてもらいました。
修理のためです。
棹が胴の中で折れていたのです。
多分一番薄い2mmに満たない棹の部分が、全体の重さに負けて折れてしまったのでしょう。
この革胡は特異な形をしています。
普通振動板の上に駒が乗っています。
これが当たり前と思っていた私は駒が胴から突き出し、その駒が胴を貫通して裏から革を振動させているこの革胡に大変驚きました。
表の蛇皮の上に駒が乗ってもいないし、弦も載っていません。
何故こんな形が出来たのか、私にしてはもの凄く考えました。
弦楽器は、振動板を縦に、要するに太鼓をたたくのと同じ方向に、皮や、木の板を上から振動させなければ、ちゃんとした響きになりません。
ですからバイオリンも、弦は横に弾かれて、横に振動するのですが、あの膨らんだ表板と、駒の形によって、表板の振動を太鼓と同じように縦に振動させます。
三味線は打楽器だという人もいます。
三味線の撥は革に向かって叩きこむように皮に対して垂直に弾かないと良い音がしないのです。
革胡は普通の二胡のように、弦を皮の上に駒も皮の上に載せたとしても、4本の弦ですから、胡弓と同じように横に弾かれます。
当然皮には振動が叩くようには伝わりません。
それを裏から、(下から)叩くように駒を胴の脇に付け関節を付けて革を縦に叩くように作り上げてあります。
凄い発想ですね。
だた、この革胡は、多少、駒の振動がバラツキが有ったのと、十分に駒の関節を鳴らすだけの彫り込みがありませんでしたから、それを多少手入れをしました。
よりたてに動くように、関節を強化したのです。
まあその他高音部の出るところに塗ってあった多分漆と思われる物も多少はがし木の振動が活きるようにしたので少しは高音が出るようになったかもしれません。
その他、この革胡は蛇皮に補強がしてありました。
6角形の星型の皮の裏張りがしてあったのです。
直径で40センチもあるものですからいくらしっかりと革を張ったとしても、真ん中はそれほど緊張感はありません。
その真ん中の緩くなるところを蛇皮で補強してあったのです。
この、振動板を補強するというのは、バイオリンでもやっています。
バスバーという6ミリぐらいの木の板が縦に内部に張られています。
ギターにも有りますね、そして日本の鼓も漆で補強されています。
太鼓で言うとタブラも、3段に渡って補強されているのです。
自然のものを自然のままで使ってという考え方も有りますが、それを越えて完成度のある楽器というと、人の知恵が加わっていくのです。
多分生活の中で竹筒をうっかり地面に落とした音の良さを楽器に仕立てたのかもしれません。
以前ウェイウェイ・ウー先生の演奏会で、先生のお父様が、ずらりと並べた茶碗を叩いて、演奏したことがありました、その時のお父様の楽しそうな表情というのはいつまでも思い出します。
椀琴というのだそうです。
これは殆どの方がやったことがあり、怒られた経験もあると思います。
また、ブラジルのカポエラという元々武術のダンスがあります、その伴奏楽器に、ベリンバウという楽器があります。
これはまさに、狩猟につかう弓の弦を棒で叩くのです。
私の仕事場の、となりに多摩川が流れています。
秋になるとススキが沢山群れて咲き、それらがそよぐ音というのも、秋の代表のような音なのかもしれません。
季節により風も変わり強さも吹き方も変わります。
たまに折れた葦などがあると、ヒューっと笛の音がします。
いまだに、オーボエのリードやサックスのリードは葦を使います。
生活や仕事の中で、様々な物を良く感じようとすることが自分の身を守り、或いは生活を守っていくような環境であった時代に、音というのは大変大事な役割が有ったと思います。
それらの自然の音の中から、楽器達は作り始められたのでしょう。
二胡の一番の特徴は、二本の弦が合わさっていることです。
二本の弦が同時に鳴るということです。
二胡を調整する時に千斤を巻きます。
この時、千斤を巻きながら右手で弓を引いて行来ながら、千斤を閉めていくと、ある一定のところで二本の弦が同時に鳴ります。
もちろん、二つの弦が合わさっているのですから、どんな時にでも鳴ってはいるのですが、
千斤の高さがある一定のところになると、フワッと、二つの弦が響き合うところがあります。
これこそ二胡の音そのものです。
この音を聞いた時に、楽器が鳴るということを手でも耳でも感じたのです。
あぁこれが二胡の音だなーとしみじみ感じ、楽器はこうやって作り始められたのだと、なんだか一人で、納得するところがありました。
これは分かりにくいかもしれませんがやってみて下さい。
弦の響き、木の鳴り、これを素直に楽器に仕立てるにはと考えた時に、バイオリンの作り方というのが私の中で見えた気がします。
先日、革胡という楽器を始めて触らせてもらいました。
修理のためです。
棹が胴の中で折れていたのです。
多分一番薄い2mmに満たない棹の部分が、全体の重さに負けて折れてしまったのでしょう。
この革胡は特異な形をしています。
普通振動板の上に駒が乗っています。
これが当たり前と思っていた私は駒が胴から突き出し、その駒が胴を貫通して裏から革を振動させているこの革胡に大変驚きました。
表の蛇皮の上に駒が乗ってもいないし、弦も載っていません。
何故こんな形が出来たのか、私にしてはもの凄く考えました。
弦楽器は、振動板を縦に、要するに太鼓をたたくのと同じ方向に、皮や、木の板を上から振動させなければ、ちゃんとした響きになりません。
ですからバイオリンも、弦は横に弾かれて、横に振動するのですが、あの膨らんだ表板と、駒の形によって、表板の振動を太鼓と同じように縦に振動させます。
三味線は打楽器だという人もいます。
三味線の撥は革に向かって叩きこむように皮に対して垂直に弾かないと良い音がしないのです。
革胡は普通の二胡のように、弦を皮の上に駒も皮の上に載せたとしても、4本の弦ですから、胡弓と同じように横に弾かれます。
当然皮には振動が叩くようには伝わりません。
それを裏から、(下から)叩くように駒を胴の脇に付け関節を付けて革を縦に叩くように作り上げてあります。
凄い発想ですね。
だた、この革胡は、多少、駒の振動がバラツキが有ったのと、十分に駒の関節を鳴らすだけの彫り込みがありませんでしたから、それを多少手入れをしました。
よりたてに動くように、関節を強化したのです。
まあその他高音部の出るところに塗ってあった多分漆と思われる物も多少はがし木の振動が活きるようにしたので少しは高音が出るようになったかもしれません。
その他、この革胡は蛇皮に補強がしてありました。
6角形の星型の皮の裏張りがしてあったのです。
直径で40センチもあるものですからいくらしっかりと革を張ったとしても、真ん中はそれほど緊張感はありません。
その真ん中の緩くなるところを蛇皮で補強してあったのです。
この、振動板を補強するというのは、バイオリンでもやっています。
バスバーという6ミリぐらいの木の板が縦に内部に張られています。
ギターにも有りますね、そして日本の鼓も漆で補強されています。
太鼓で言うとタブラも、3段に渡って補強されているのです。
自然のものを自然のままで使ってという考え方も有りますが、それを越えて完成度のある楽器というと、人の知恵が加わっていくのです。