二胡工房 光舜堂

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二胡物語その13。

2012-04-14 07:00:38 | ■工房便り 総合 
文明と文化という言葉が有ります。

文明というのは、人種を越え、言語を越え人々のの生活を支える物質的精神的な基盤ともいえるとも思います。

文化というのは、其々の言語、環境に応じた生活をまとめていく、感情や感性を中心とした基盤とも言えると思います。

ですから、文明というのは例えば中国に発生した、農耕生活と、それを支える治水技術、それに伴う技術、そして、それらを広めていく上での文字や思想が、韓国や、日本、東南アジアまたそれに参加しようとする、遊牧民などをも纏め上げる一つの基盤(ベーシック)と言えると思います。

文化というのは、人種それぞれの、言語や生活環境に沿った人々の生活習慣を支える感性とも言えるとも思います。(さまざまなソフト)

日本の場合、長く政治的にも、外交的にも、文化的にも中国から伝えられた文字、言語、思想を中心として、その中で、日本独自の文化を形成して来たのだと思います。

奈良時代、平安、鎌倉室町と、その時代その時代によって、其々変わって来た中国の、文化をも受け入れてきています。

室町期に日本に入って来た、お茶の文化が、戦国時代を経てその末期に千利休を中心とした詫び茶に変化していきます。

お茶の世界そのものは中国から移入され、道具を中心としたかなり華麗な世界であったと言われます。

それを、戦国という殺伐な時代も有ったのかもしれませんが、その中で様々にそぎ落とされ詫びという日本独自の文化を作り上げたのでしょう。

中国は、殆ど300年に一度王朝が変わってきています。

その間周りの遊牧民やそれを通して、外部の新たな技術や文化が入りこんできています。

王朝を支配する民族も様々に入れ替わります。

当然生活を支える文化というのも、数多く入りこんできて、それらの文化が、煮詰まってその民族に合うまでに純化されると言うのが少なく、殷や周の頃からの文化が、積み重なり、言ってみればごった煮の世界を作り上げています。

プラスの文化とも言えます。

日本の場合、一つの文化が中国から来ると、日本の中に定着するまでの醸造期間的な時間を持つことができています。

一つの民族が一つの文化を、日本化し、そぎ落としてより純化された物を作り上げる、時間の余裕を持つ事が出来ていたのではないでしょうか。

また、日本人の感性の特徴でしょうか、そぎ落として、より単純化し、その単純化された事が、反対に世界に通じるまでに洗練されて来たということもできます。

ある意味、マイナスの価値観とも言えると思います。

いろいろな、文化や感性をそのまま複合的に受け入れていく共通項を作らない文化も有ります。文明としては共通項を持つのですが。

中国や、ローマ帝国などですね、全て受け入れるという方式です。

反対に、入って来た物をすべて、自分達の感性に合うように変えていく、日本の文化というのも有ります。

明治になって、それまでの中国に変わって、文化、文明の輸入元がヨーロッパに変わりました。
ひたすら、そのヨーロッパを追いかけ真似して来た時代が、途中戦争などでそれらを否定しつつも再度アメリカ文化が入ることによって、一層ヨーロッパ文化の受け入れというのが強まりましたが、
それも大戦以来60年を経て、そろそろ、日本的な純化システムが働き始めて、そぎ落とす時代に入り始めたのかもしれません。

今までの日本の文化の進化のことを考えると、外来の文化を取り入れそぎ落としきってしまえば日本は、一つの純化された文化を作り上げそれを世界に広め得る感性を持っているはずなのです。




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