あと一週間で、ゼノカルテット+の公演ですね。
準備し始めてから、いろいろあってなんだかあっという間に当日になりそうです。
西野は性懲りもなくよくこんなにイベントやるよねという風に思われている方も多いと思います。
今度のライヴは、もちろん今となっては実現できなかった、昨年の「日本の二胡物語」のリベェンジです。
というより、どうしても、関東や東京の人たちに直接聴いてほしかったのです。
という私の思いと、ゼノカルテットのメンバーたちの思いが、結び付いた結果実現しそうです、(台風はなさそうなので)
こういうイベントというのは、やはり演奏者たちの思いというのがとても強く影響します。
何とか東京での演奏会を実現したいという強い思いが実現しその想いがあるからこそ、私のようなものでも飛び回るのです。
考えてみてください。
東京関西の往復の5名の旅費、そして楽器の運送代、そして宿泊費、
会場への支払い。音響の方への支払い、そして印刷物。(今回は無かったけれど)プログラム位は作ります。(まだ曲名の決まっていない人も、、、、)
当日の、お手伝いしてくれる人への謝礼。
入場料はご存知の通り。そして120名のお客さんです。
今回は楽器屋さん達は進んで協力してくれて、せめて音響の方への支払いはまかなえそうですが、そのほかは皆ご自分達で支払わなければいけないのです。
トータル0円どころか、マイナスでしょう。
それでもこの演奏会をやりたいという、ゼノカルテットの方々の熱意というのを感じます。
このような演奏会は、とても儲かるのだなと考えておられる方もいらっしゃるかもしれませんね、
でも、音楽家の実情はとてもそんなものではありません。
これを読んでおられる方の中にはもう既に、有料での、ライヴや、招待されての演奏というのを経験しておられる方もたくさんいらっしゃると思います。
でも中にはボランティアでの、演奏を熱心になさっていらっしゃるかたも多いと思います。
たぶん、今の日本人の演奏家の中で、演奏だけで実際に生活を成り立たせている方というのはごくごく限られた人たちだと思います。
その方たちにしろ、最初の頃は相当経済的には苦労してきているはずなのです。
私達物つくりにしてもそれは同じことが言えます
まず作って、展覧会を開いて、見てもらって、評価されて(評価されたとしてのはなし)それを何回も繰り返し、やっと注文をいただけるようになって、
途中でやめもせず、何とか一生過ごせるのは、同じような物つくりでもそれほど多くはありません。
年間全国の美術大学に、一万以上の方が、入学します。たぶん音楽大学も同じくらいでしょう。
美術大学は比較的遅く高校生ぐらいから予備校に通って、大学を目指す人が多いのですが。
音楽大学は違いますね、ほとんどの方が10歳未満で楽器なり、声楽なりを始めます。
毎年毎年、何人の方が音楽だけをやって食べていける道には入れるのか、、、、
給料をもらえるオーケストラというのはそれほどあるわけでもありません。
殆どが市民オーケストラでしょうから。
あとはスタジオのミュージシャン、そしてライブ活動くらいきりありません。
二胡の場合は、まだ10年以上二胡を弾いて来たという方はそれほど多くはないでしょう。
ましてや、15年位以上となったら相当限られた方々だと思います。
クラシックのプロを目指す人たちは、毎日5時間位のの練習を、5,6歳から初めて、大学に入るまで12,3年は続けてくるのです。
そういう意味でも、二胡はまだまだ過渡期ということがが言えるかもしれません。
そうした中から、やっとゼノカルテットのような人たちも出始めています。
彼ら彼女たちはちゃんと自分達はまだまだ、これからというのを認識しているのだと思います。
だからこそ、このようにマイナスになろうと、東京まで自分たちの演奏を聴いてほしいと来るのです。
ある意味やっとこのような、状態に、
中国人の演奏家を読んで、二胡というのはこうなのだよと、こんな良い演奏家もいるのですよと、日本に二胡を紹介してきたラサ企画さんのような、大変な努力をしてきた方々のおかげが有って、
そして、鳴尾さんのように、(勿論他にもたくさん)地道に生徒たちに良い教育をして、そして育ててきた人たちが一人前になって、
このような演奏会が開けるようになるのです。
鳴尾さんだけでなく、今も関東でもそのような努力をしている、日本人の先生方もおられます。
二胡の場合まだまだ日本に入ってきてから20年前後です。
これから皆さんの努力次第では、相当優秀な演奏家も出て来られると思います。
たしかに若いころから、演奏のレッスンを受けるというのは、本来は必要な事ですし、これからの日本の二胡を背負って立つのはそのような方たちかもしれませんが、
ある意味過渡期の、ある意味いまだ初期と言えるかもしれない、日本の二胡の世界では、何歳になって始めたからと言っても出来ない状況ではないと思うのです。
もしかしたら、今のこれを読んでいる方の中からも、今ご自分の演奏に満足しないで更にと思う方は、とても人を楽しませる演奏家になることも出来るのではないでしょうか。
一つ言える事は、楽器をやるというのは自分の演奏力がアップしていくことの楽しみというのもあると思うのです。
いくら、「いえいえ私なんかこのくらいの曲をちょっと弾ければ楽しいのよ、お友達とこうやって楽しく二胡でお付き合いも出来るし」とおっしゃてる方がいたとしても、私はそれは信じられないのです。
止めないで弾いている以上、心のどこかでもっとうまくなりたいというのは、必ずあります。
どんどん上手くなってくださいませ。
来週楽しみですね。
準備し始めてから、いろいろあってなんだかあっという間に当日になりそうです。
西野は性懲りもなくよくこんなにイベントやるよねという風に思われている方も多いと思います。
今度のライヴは、もちろん今となっては実現できなかった、昨年の「日本の二胡物語」のリベェンジです。
というより、どうしても、関東や東京の人たちに直接聴いてほしかったのです。
という私の思いと、ゼノカルテットのメンバーたちの思いが、結び付いた結果実現しそうです、(台風はなさそうなので)
こういうイベントというのは、やはり演奏者たちの思いというのがとても強く影響します。
何とか東京での演奏会を実現したいという強い思いが実現しその想いがあるからこそ、私のようなものでも飛び回るのです。
考えてみてください。
東京関西の往復の5名の旅費、そして楽器の運送代、そして宿泊費、
会場への支払い。音響の方への支払い、そして印刷物。(今回は無かったけれど)プログラム位は作ります。(まだ曲名の決まっていない人も、、、、)
当日の、お手伝いしてくれる人への謝礼。
入場料はご存知の通り。そして120名のお客さんです。
今回は楽器屋さん達は進んで協力してくれて、せめて音響の方への支払いはまかなえそうですが、そのほかは皆ご自分達で支払わなければいけないのです。
トータル0円どころか、マイナスでしょう。
それでもこの演奏会をやりたいという、ゼノカルテットの方々の熱意というのを感じます。
このような演奏会は、とても儲かるのだなと考えておられる方もいらっしゃるかもしれませんね、
でも、音楽家の実情はとてもそんなものではありません。
これを読んでおられる方の中にはもう既に、有料での、ライヴや、招待されての演奏というのを経験しておられる方もたくさんいらっしゃると思います。
でも中にはボランティアでの、演奏を熱心になさっていらっしゃるかたも多いと思います。
たぶん、今の日本人の演奏家の中で、演奏だけで実際に生活を成り立たせている方というのはごくごく限られた人たちだと思います。
その方たちにしろ、最初の頃は相当経済的には苦労してきているはずなのです。
私達物つくりにしてもそれは同じことが言えます
まず作って、展覧会を開いて、見てもらって、評価されて(評価されたとしてのはなし)それを何回も繰り返し、やっと注文をいただけるようになって、
途中でやめもせず、何とか一生過ごせるのは、同じような物つくりでもそれほど多くはありません。
年間全国の美術大学に、一万以上の方が、入学します。たぶん音楽大学も同じくらいでしょう。
美術大学は比較的遅く高校生ぐらいから予備校に通って、大学を目指す人が多いのですが。
音楽大学は違いますね、ほとんどの方が10歳未満で楽器なり、声楽なりを始めます。
毎年毎年、何人の方が音楽だけをやって食べていける道には入れるのか、、、、
給料をもらえるオーケストラというのはそれほどあるわけでもありません。
殆どが市民オーケストラでしょうから。
あとはスタジオのミュージシャン、そしてライブ活動くらいきりありません。
二胡の場合は、まだ10年以上二胡を弾いて来たという方はそれほど多くはないでしょう。
ましてや、15年位以上となったら相当限られた方々だと思います。
クラシックのプロを目指す人たちは、毎日5時間位のの練習を、5,6歳から初めて、大学に入るまで12,3年は続けてくるのです。
そういう意味でも、二胡はまだまだ過渡期ということがが言えるかもしれません。
そうした中から、やっとゼノカルテットのような人たちも出始めています。
彼ら彼女たちはちゃんと自分達はまだまだ、これからというのを認識しているのだと思います。
だからこそ、このようにマイナスになろうと、東京まで自分たちの演奏を聴いてほしいと来るのです。
ある意味やっとこのような、状態に、
中国人の演奏家を読んで、二胡というのはこうなのだよと、こんな良い演奏家もいるのですよと、日本に二胡を紹介してきたラサ企画さんのような、大変な努力をしてきた方々のおかげが有って、
そして、鳴尾さんのように、(勿論他にもたくさん)地道に生徒たちに良い教育をして、そして育ててきた人たちが一人前になって、
このような演奏会が開けるようになるのです。
鳴尾さんだけでなく、今も関東でもそのような努力をしている、日本人の先生方もおられます。
二胡の場合まだまだ日本に入ってきてから20年前後です。
これから皆さんの努力次第では、相当優秀な演奏家も出て来られると思います。
たしかに若いころから、演奏のレッスンを受けるというのは、本来は必要な事ですし、これからの日本の二胡を背負って立つのはそのような方たちかもしれませんが、
ある意味過渡期の、ある意味いまだ初期と言えるかもしれない、日本の二胡の世界では、何歳になって始めたからと言っても出来ない状況ではないと思うのです。
もしかしたら、今のこれを読んでいる方の中からも、今ご自分の演奏に満足しないで更にと思う方は、とても人を楽しませる演奏家になることも出来るのではないでしょうか。
一つ言える事は、楽器をやるというのは自分の演奏力がアップしていくことの楽しみというのもあると思うのです。
いくら、「いえいえ私なんかこのくらいの曲をちょっと弾ければ楽しいのよ、お友達とこうやって楽しく二胡でお付き合いも出来るし」とおっしゃてる方がいたとしても、私はそれは信じられないのです。
止めないで弾いている以上、心のどこかでもっとうまくなりたいというのは、必ずあります。
どんどん上手くなってくださいませ。
来週楽しみですね。