私は二胡を音を楽しむ楽器だと思っています。
このところ、毎日のように二胡弾いています。勿論弓の試しなどもありますが、楽譜を読むこともなく。
技術だ、早引きだという前に、良い音だなーーーーと、我ながらびっくりするほどの音色の良さに惹かれて、ただひたすらその良い音を聞きたさに二胡を弾いているのです。
楽器は色々です、もちろん西野二胡もありますが、今お客様から預かっている絹弦の楽器、古楽器、そしてこれから仕上げるCDMの楽器。
こんな風に楽器が良いの悪いのという前に、弓がああだこうだ、という前に音を楽しめるようになったのは、天然松脂に出会ってからです。
思うように音が出てくれて、その音の中に飛び込んでいける感じとでもいうのでしょうか、だからこそ、この二弦の楽器が東南アジア中に広がって来たのかと感じるのです。(昔は天然の松脂きりありませんでしたから)
確かにヴァイオリンほどの完成度は二胡にはないです。と思っています。
ヴァイオリンは、きちっと図面通りに作れば、一応オーケストラに潜り込んでも違和感のない楽器に仕上がります。
しかし二胡は違いますね。木の種類も違えば、蛇皮という,それこそ一枚一枚違い、張り具合も変われば、経年変化も早いものですから。
ですから、形は同じでもメーカーは同じでも、あれっ,というくらいに不愉快なものもありますし、金額にかかわらずとても良い音色の楽器もありますね。
ましてや人それぞれに千斤の高さも違い糸という、いずれは傷むもので調弦の基本が出来ているのですから、相当に一台づつの差があります。
それでもです。この天然の松脂で弾くとその一台一台の差は感じずただひたすら弾いていたいという心地よさに惹きこまれます。
私はプロの演奏家なわけではないですから、細かい技術的なことなど構わず、ただひたすら音の良さに惹きこまれて行くのです。
最近ベルリンの高橋さんが良く光舜松脂のことを書いてくれています。
その事だけでなく、音楽を感じるということ、あるいは音を感じるということなど、高橋さんの意見に大変引き付けられます。
これは全く私が様々な作家たちと一緒に空間つくりをしていた時の考えですね。音楽も物つくりも同じなんだなーーーと驚きました。
だからこそですかね、この光舜松脂の優れたところに本当に素直に対応してくれたのです。
多分、多分ですよ。私の作った楽器や空間たちが滅びてしまっても、この光舜松脂は残るような気がします。
また、ある意味私のヴァイオリンつくりの先生ともいえる(お会いしたことはないですが、刃物の交換や染料をいただいたりと、かってに私が先生と思っているだけです。)
また彼のデカゴンといHPのヴァイオリンつくりの独り言、これは是非読んでみてください。文章家になれると思う程の粋な文章楽しめますし。物事の本質をどうとらえるかという点でも、高橋さんのブログにとても共通していると思います。
お盆の季節、たまにはじっくり日常を離れて、読んでみるのもよいのではないでしょうか。
西野和宏