ザ・コミュニスト

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犯則と処遇(連載第39回)

2019-03-19 | 犯則と処遇

33 被疑者聴取の法的統制

 「犯罪→刑罰」体系の下での被疑者取調べは、世界中で自白強要による冤罪の温床となってきた。かつては自白獲得のための拷問も公然と許されていたため、拷問で命を落とす被疑者も跡を絶たなかった。かの啓蒙的人道主義者ベッカリーアが『犯罪と刑罰』を世に問うた重要な動機の一つも、当時はヨーロッパでもまだ常識であった拷問の廃絶を訴えることにあったのだった。

 ベッカリーアの提唱はおよそ200年後、拷問等禁止条約としてようやく地球規模で実現したが、未批准の諸国も残され、拷問が地上から一掃されたとはとうてい言い難い状況にある。たとえ法文上拷問の禁止が定められてはいても、「犯罪→刑罰」体系の下での被疑者取調べは犯罪者を罰するという究極目的が優先するため、早くも捜査の段階から事実上の先行的な処罰である拷問への誘惑が、自白獲得の目的を伴いつつ、発現しやすいのである。

 これに対して、われわれの犯則捜査は、見込み捜査禁止(物証演繹捜査)、科学捜査優先、反面捜査義務という鉄則に導かれるため、被疑者取調べの目的は自白の獲得にあるのではなく、物証捜査や科学捜査の過程で生じた嫌疑に対する被疑者側の弁明を聴取すること、かつ犯人しか知り得ない重要情報を取得すること、さらに犯行を否認する場合は反面捜査を徹底して冤罪を防止することに重点が置かれる。

 こうした被疑者取調べの目的からすれば、そもそも「取調べ」というそれ自体に自白追求的なニュアンスを含む用語自体がふさわしくないと考えられるため、「被疑者聴取」と言い換えることが適切である。

 このような被疑者聴取は、第一段階では出頭令状なしの任意で行なわれることになる。この場合、被疑者は聴取に応じるかどうか自己決定することができ、かつ任意の時間に退席することができる。その反面、ひとたび被疑者が任意の聴取に応じた限り、黙秘権は保障されず、黙秘することは捜査妨害に問われることになる。

 被疑者が非協力的であるなどして、任意の聴取では捜査の目的を十分に達成できないと判断される場合は、出頭令状により被疑者を召喚して聴取することになる。この場合、被疑者は聴取を受ける義務を生じる反面、黙秘権が保障され、質問に対して完全に沈黙することが認められる。
 出頭令状に基づく聴取は義務的であるとはいえ、身柄拘束そのものではなく、一日の聴取が終了すれば被疑者は任意の場所に帰所することができる。
 なお、重要情報保持者の聴取は、出頭令状に基づく場合でも、任意の被疑者聴取に準じて行なわれるので、出頭は義務的であるが、いつでも退席することができる。

 被疑者が正式に勾留された場合、出頭令状は失効し、勾留状が出頭令状と同等の効力を持つ。この場合の聴取は出頭令状に基づく聴取に準じるが、被疑者は聴取を終えても任意の場所に帰所することはできず、拘置所または留置場から身柄を出し入れすることになる。
 なお、仮留置中の聴取は許されないから、捜査機関が仮留置した被疑者を聴取するには、勾留を請求する必要がある。

 任意の聴取であれ、令状に基づく聴取であれ、被疑者は常に第三者を聴取に同席させることができるが、捜査機関はその第三者が聴取の目的を妨げるおそれのあるときは、理由を示して同席を禁止することができる。その点、たとえ法律家のような専門職であっても、例えばその者が被疑者の所属する違法組織と関わりの深い人物であれば、同席を禁止することができることになる。
 ただし、聴取を受ける被疑者が未成年者や70歳以上の高齢者、または成人の障碍者である場合は保護者(親権者や後見人、成人の親族)や適切な介助者・補助者の同席を義務づける。その同席なしに行なわれた聴取で得られた供述は証拠として一切用いることができない。

 任意の聴取の場合、被疑者はいつでも聴取を打ち切ることができるが、出頭令状や勾留状による場合でも、聴取には時間的な制約がある。この時間的制約は令状で個別的に指定するのではなく、具体的な時間数をもって法律で明示される。
 その場合も、連続的な長時間に及ぶ聴取は、たとえそれが表面上穏やかに行なわれていても、疲労により心理的な拷問に等しい効果を持つことから、例えば、一日の聴取につき、原則として1時間ごとに15分の休息をはさみ、通算で3時間に制限するといった上限設定、さらに就寝時間帯に当たる深夜・早朝の聴取の絶対的禁止が必要である。なお、休息は、被疑者が求めた場合は、いつでも認めなければならない。

 任意であれ、令状に基づくものであれ、被疑者聴取の全過程はすべて録音または録画しなければならない。録音や録画は聴取の全過程に及ばなくてはならず、供述部分のみを録音・録画した編集テープは証拠として認められない。
 聴取を受ける被疑者が未成年者や70歳以上の高齢者、または成人の障碍者である場合は、聴取の全過程を録画しなければならない。録画は供述する被疑者を正面から撮影するものとし、横や上からの撮影は認められない(従って、この場合、聴取担当者は被疑者の横から質問することになる)。
 なお、上記以外の被疑者であっても、捜査機関が必要と認める場合は、聴取の全過程を録画することができる。
 一方で、聴取担当者が被疑者の供述内容を書面にまとめる必要はなく、そうした供述調書は作成したとしても証拠価値を持たず、単に捜査上のメモにとどまる。

 捜査機関が如上の聴取の法的統制を逸脱し、不法・不当な聴取に及んだ場合、被疑者側はいつでも人身保護監に対して不服審査を申し立てることができる。申立て受けた人身保護監は事実関係を調査したうえ、申立てに理由ありと認めるときは捜査機関に対して改善を命ずる。この改善命令には、不法・不当な聴取をした捜査員を聴取任務から外すことを含む。

 それでも改善が見られない場合は、人身保護監は聴取そのものの中止を命じることができる。
 また、聴取中の拷問、あるいは拷問に近い捜査員による暴力行為その他の不法行為が認められた場合、人身保護監は関与した捜査員を裁判に付するかどうかを決定することができる。こうした特別な人権裁判制度については、改めて後述する。

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犯則と処遇(連載第38回)

2019-03-18 | 犯則と処遇

32 出頭令状について

 犯則捜査における見込み捜査禁止の鉄則とそこから導かれる物証演繹捜査、さらに科学捜査優先の鉄則からすれば、犯則捜査はまずもって物証の収集を先行させなければならない。とはいえ、収集した物証の意味を確認するためにも、関係者の供述を必要とすることはあり得るので、いずれは関係者の取調べに踏み切るべき場合がある。

 取調べの第一段階はまず任意出頭を求めて完全な任意で行なう取調べであり、可能な限りこの方法で捜査を完了させるべきであるが、対象者が非協力的な場合は一定の強制下に取り調べる必要がある。このような強制的取調べは、人身保護監の発する出頭令状に基づいて行なわなければならない。
 出頭令状には、その対象者別に二種があり、一つはまさに犯則行為の嫌疑がかかっている被疑者向けの対被疑者出頭令状であり、今ひとつは被疑者ではないが捜査中の事案について重要な情報を保持していると見られる者向けの対重要情報保持者出頭令状である。

 この出頭令状が発付されると、対象者は正当な理由のない限り、令状記載の場所で捜査機関の取調べを受ける義務を生じる。しかし、出頭令状のみで身柄を完全に拘束されることはなく、取調べ後は任意の場所へ帰所することができる。ここまでは、上記二種の出頭令状に共通の効果である。
 しかし、正当な理由がないのに取調べを回避した場合の効果には相違点がある。すなわち、被疑者が正当な理由なく取調べを回避した場合は、次の段階として身柄拘束(後に述べる仮留置)の理由となるのに対し、重要情報保持者の場合は、身柄拘束の理由とはならない。ただし、たびたび正当な理由なく取調べを回避すれば、司法妨害による制裁を受ける。

 出頭令状は、被疑者が正式に身柄を拘束されれば、その時点で失効するが、そうではない場合は、捜査終了時まで有効であり、いずれの対象者も捜査機関の指定した日時に取調べを受ける義務を生じる。
 捜査が終了した時は、捜査機関はすみやかに出頭令状を人身保護監に返還しなければならない。その意味で、出頭令状は正式捜査の開始と終了を人身保護監及び対象者に対して告知する機能を果たすと言える。

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犯則と処遇(連載第37回)

2019-03-16 | 犯則と処遇

31 監視的捜査について

 監視的捜査とは、通信傍受や監視撮影、GPS追跡のように、秘密裏に被疑者の私的領域に干渉しつつ、その動静を監視し、捜査上必要な情報を取得する捜査手法の総称である。このような隠密的捜査手法は、被疑者聴取では否認や黙秘によって得られない深層情報を取得するためには有効な方法であるが、当然個人のプライバシーの侵害に及び、濫用の危険も高いため、相応の法的統制が要請されるところである。

 通信傍受は、被疑者の外部との通信・通話を直接に捕捉できることから、そこに犯行への関与を示す内容が含まれていれば自白に頼らなくとも犯行の立証が可能となるため、特に共犯・共謀関係が複雑な組織犯の捜査上有効性があることは否めない。

 通信傍受は、伝統的な電話の傍受のほか、近年は電子メールやチャット等のインターネットを経由する通信活動全般の傍受にまで拡大しているため、通信傍受の無制約な実施は通信の秘密に対する重大な脅威となることから、厳格な法的統制の下に置かれなければならない。    
 具体的には、犯行のために使用される蓋然性の高い通信・通話媒体を特定し、かつ傍受の期間も限定―更新は認められる―しなければならない。    
 こうした傍受の要件・方法等の事前判断は他の強制捜査手段とは異なり、単独ではなく、三人の人身保護監の合議により、令状をもって許可されるべきである。    
 さらに傍受終了後にあっても、不可避的に流入してくる犯行に関連しない私的な通信・通話の記録を消去するため、人身保護監の面前で、捜査責任者と傍受対象者またはその代理人の立会いの下での消去手続きを徹底する必要がある。

 監視撮影には、単純な写真撮影と監視カメラによる映像撮影の二種があるが、ある瞬間しか記録されることのない写真撮影に関しては、捜査機関の裁量で随時実施できるものとしてよいであろう。  
 それに対し、一定時間以上継続して対象者の動静が映像的に記録される監視カメラによる場合は考慮を要する。ここで監視カメラによる撮影とは、捜査機関が捜査のため監視カメラを特定の場所に仕掛ける方法による撮影であるが、このような撮影をするには、予め被疑事実と設置場所、設置目的について人身保護監による審査を受け、令状による許可を得なければならない。  

 ちなみに、捜査機関以外の個人または団体等が設置した監視カメラまたは防犯カメラで撮影することは、ここでいう監視撮影には当たらない。しかし、捜査機関がそうした私人の撮影した映像を証拠としてカメラ設置者から正式に取得するには、取得目的、取得する映像の性質や時間等について人身保護監の令状を要するものとすべきである。

 最後にGPSによる追跡は、対象者の現在位置を確認するにとどまり、その動静や通信内容を直接に捕捉するものではないから、監視的捜査の中では相対的にプライバシー侵害の危険が低いものである。
 とはいえ、対象者に知られずして追跡するためには、人身保護監の令状を要するとすべきである。なお、GPS追跡と通信傍受を組み合わせるような場合は、それぞれについて個別の令状を要する。

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犯則と処遇(連載第36回)

2019-03-05 | 犯則と処遇

30 検視監について

 犯則捜査における科学捜査優先の鉄則を実践するうえで、変死体の検視は事件性の判断に重要な役割を果たし、その誤りは冤罪にもつながる。そこで、正確な検視のためには法医学の知見と技能が必須であることから、検視は通常の科学捜査員ではなく、法医学専門家に委ねなければならない。

 しかし、日常すべての検視を医師免許を有する法医学者が担うことは困難なため、検視を専門とする特別職の制度が要請される。これが検視監である。
 検視監は、医学の一分野としての法医学の研究や死因鑑定を任務とする法医学者とは異なり、医師免許が不要である代わりに、試験任用制を採用する。
 すなわち、検視専門員試験に合格した後、法医学に関する実務研修を修了した者を検視監補に任ずる。検視監補は、検視監の指揮の下、現場の検視業務を行う。さらに、検視監補として所定年数の経験を積んだ者の中から、検視監を任命する。

 このように、検視監及び検視監補は法医学の知識を有する実務者ではあるが、法医学者ではないため、在職中も退職後も、法医学者として鑑定業務に従事することはできない。検視監または検視監補が法医学者となるためには、改めて医師免許を取得する必要がある。

 検視監は、一定の地域ごとに設置される検視事務所の所長を兼ねる。検視監は司法職ではないが、司法職に準じた独立性を保障され、検視監による検視は人身保護監の命令に基づき、捜査機関から完全に独立して実施される。
 検視過程を透明化するため、事件性の認められる検視結果は必ず人身保護監が主宰する公開の検視審問を通じて検証する。人身保護監が検視結果を適正と認めたときは確定力を持ち、捜査機関等もこれに拘束される。
 なお、人身保護監が検視結果の確定上必要と認めたときは、検視審問に3名以内の法医を参与させ、その意見を徴することができるものとする。

 ちなみに、検視事務所は事件性の有無にかかわらず、変死体全般に対する検視の任務を負うため、明らかに事故や自殺による変死体や医療過誤疑いのある変死体の検視も行なう。そのため、検視事務所は犯則捜査を越えて、あらゆる死因究明の総合センターのような役割を担うことになるだろう。

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犯則と処遇(連載第35回)

2019-03-04 | 犯則と処遇

29 人身保護監について

 犯則捜査は、前回見た三つの鉄則を捜査機関が着実に履行したうえ、なおかつ外部の独立した統制者による事前の法的統制を受けることで、その適正な実施が担保される。
 その点、「犯罪→刑罰」体系下の捜査活動においては、各種捜査令状を発付する権限を持つ裁判官が捜査活動を統制することが標準モデルとなっている。これは近代法の一つの進歩の証であるが、裁判官は「中立」というドグマに縛られるあまりに、市民の権利の擁護という意識が背後に退きがちである。

 そうした欠陥を克服すべく、「犯則→処遇」体系下での捜査活動において、捜査活動を統制する中心的な役割を果たすのは人身保護監である。
 人身保護監は、文字どおり市民の人権擁護そのものを任務とする公的な司法職の一種であるが、裁判官ではなく、まさに人権擁護に専従する公職である。
 人身保護監は、すべて民間の法曹の中から任期をもって常勤専従職として任命され、官僚的な職階制や昇進制による人事管理を受けることなく、また任命された任地から転任することもなく、任期満了をもって退任するか、本人の希望により承認審査のうえ再任されるかするだけである

 人身保護監の任務の最も重要な柱は、捜査活動に対する法的統制、中でも市民の権利を制約する強制捜査活動の規律である。その方法として、捜査機関による捜索・差押や出頭命令、身柄拘束、通信傍受・監視撮影などを許可する各種令状の審査と発付である。
 それに付随する権限として、各種強制捜査に対する対象者からの異議申立てへの対応や、被疑者の身柄拘束場所となる留置施設の人権監査などの監督権限も保持する。

 さらに、後に詳論するように、人身保護監は捜査機関が捜査を終了した後、捜査機関が収集した全証拠の送致を受けたうえ、真実委員会を招集して正式に真相究明するかどうかの決定権も有する。
 この点では、「犯罪→刑罰」体系下における公訴官(検察官)の任務に類似するが、「犯則→処遇」体系においては、訴追というプロセスを踏まないので、人身保護監は公訴官とは似て非なるものである。
 なお、人身保護監は真実委員会の決定に不服のある当事者からの請求を受け、別の真実委員会を再招集する権限を持つが、これについても、後に再言する。

 こうした公的な犯則捜査にまつわる権限以外にも、人身保護監は私人によって不法に監禁され、または奴隷的な拘束状態に置かれている人を救出するために、人身保護令状を発付する権限を有する。同令状の発付を受けた者は、監禁・拘束場所に強制的に立ち入り、妨害を物理的に排除しつつ、被害者を保護することができる。

 さらに、長期行方不明者に対する正式の捜索保護命令や失踪宣告、原因不明の変死体に対する検視命令など、人身保護監はおよそ市民の人身に関わる広範な権限を持つ重要な司法職である。
 特に後者の検視命令に関しては、例えば医療過誤の疑いある死亡者の遺族からの請求に基づき、検視命令を発し、医療過誤の可能性について明らかにすることができる。ただし、医療過誤の審査そのものに人身保護監が関与することはない。

 人身保護監の発した令状もしくは命令によって義務付けられた行為をせず、または令状もしくは命令の執行を妨げる行為をした者は、司法妨害による制裁を受ける。
 司法妨害はそれ自体も犯則行為の一種であるが、一般的な犯則行為とは異なり、矯正処遇の対象とはならない。その代わり、人身保護監の命令に基づき、司法妨害を理由に30日未満の期限で拘留することができる。
 ただし、司法妨害による拘留中に、捜査員が本件での取り調べをすることは許されず、人身保護監は以後、司法妨害行為をしない誓約を条件に対象者を釈放することができる。

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犯則と処遇(連載第34回)

2019-02-20 | 犯則と処遇

28 犯則捜査の鉄則

 「犯則→処遇」体系の下での犯則捜査は、犯則事件の真相解明のための証拠収集を目的とする捜査専従機関によって遂行されると述べたが、その際、捜査活動を規律するいくつかの規範的な原則が必要である。
 これらの原則は単に個々の捜査官が遵守すべき執務規則ではなく、捜査機関全体が組織として遵守すべき鉄則である。よって、以下の諸原則は犯罪捜査機関の内規として規定されるのではなく、犯則事件処理のプロセスについて定めた法令上に明記されるべきものである。
 そのような諸原則を列挙すると、「見込み捜査禁止の鉄則」「科学捜査優先の鉄則」「反面捜査完遂の鉄則」の三大鉄則に集約される。

 第一の「見込み捜査禁止の鉄則」にいう見込み捜査とは、初めから直感的に犯人を見定めたうえ、その者を有責とするに都合のよい証拠の収集に注力するような捜査手法である。
 このような捜査手法は一見すると効率的であり、結果的に的中することもあるが、そこが落とし穴であり、ひとたび犯人の見定めを誤ったときには誤審に直結する賭けのような捜査手法である。このような捜査手法の適用を禁ずるのが、本原則である。

 そこで、見込み捜査に代えて、物証演繹捜査が導入される。物証演繹捜査とは、はじめに犯人を見定めて結論先取り的に捜査するのではなく、まずは物証の検証を通じて、そこから確実に導き得る結論を立てていく捜査手法である。
 従って、この場合、初動捜査の対象は人ではなく、物である。物証を収集し、それを科学的に解析したうえで、物証から導かれる人にたどり着く手法であるから、一定以上の時間と労力を要するが、それこそプロフェッショナルな捜査専従機関にふさわしい捜査手法である。

 そこから、第二の「科学捜査優先の鉄則」が導き出される。従前から、捜査には鑑識活動が取り入れられ、科学捜査の技術も進歩しているとはいえ、鑑識は捜査の補充的な役割に甘んじていることが多く、前記見込み捜査手法の下では鑑識や鑑定結果が歪められることすらある。
 しかし、物証演繹捜査の下では、まず物証の収集が先行しなければならないから、物証の検証を本義とする科学捜査が優先される。ここで言う科学捜査とは、狭義の鑑識にとどまらず、変死体の検視、筆跡・音声鑑定、文書や電子データの分析、画像解析など、およそ科学的手法を用いて実施される捜査活動すべてを指す。

 こうした科学捜査を優先すべく、捜査専従機関には独立した科学捜査部門が設置される。これは、従来の警察機関では分立していることが多い鑑識部門と科学捜査研究部門とを統合した捜査部門であり、そこに所属する専従捜査員は採用時から一般の捜査員とは別途、科学捜査員として採用・育成される科学知識を持った特別捜査員である。
 そればかりでなく、一般の捜査員に対しても、科学捜査に関する研修を義務付け、初任時に科学捜査部門を必ず経験させるようにする。
 なお、変死体の検視は科学捜査員ではなく、法医学の知識を有する独立した専門検視員が担当することになるが、これについては後に章を改めて 言及することにする。

 さて、見込み捜査禁止の鉄則と物証演繹捜査、そしてそれを制度的に支えるものとしての科学捜査優先の鉄則に加え、ダメ押し的な原則として、三つ目の「反面捜査完遂の鉄則」がある。
 反面捜査とは、物証演繹捜査の結果、行き着いた被疑者が真犯人ではない可能性を示す証拠(反面証拠)の有無を捜査することである。

 物証演繹捜査によって導き出された被疑者が真犯人である可能性はかなり高いとはいえ、絶対的な確実性があるわけではない。事案によっては、物証が充分でないこともあり得る。そこで、被疑者の無実を示すような反面証拠の有無をダメ押し的に見究める必要があるのである。反面捜査の結果、反面証拠が存在しないことが確実となって、初めて被疑者を正式に犯人と特定できることになる。
 このような反面捜査はそのつど必要に応じて随意に行えばよいのではなく、すべての事案において必ず完遂されなければならない。そのために、すべての事案の捜査に際して反面捜査専従者を置いて、反面捜査を確実に完遂しておく必要がある。

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犯則と処遇(連載第33回)

2019-02-19 | 犯則と処遇

27 犯則捜査について

 前回、捜査→解明→処遇(+修復)という流れを持つ新たな司法処理モデルの概要を述べたが、その起点となるのは証拠収集を目的とする犯則捜査である。それは犯則行為を立証する証拠収集のための公的機関による活動という点では、刑罰制度を前提とした既存の刑事司法における犯罪捜査と同様である。

 しかし、既存の刑事司法における犯罪捜査は犯人の特定と処罰を最終目的として行なわれるのに対し、ここでの犯則捜査は犯則事件の真相解明そのものを目的として行われる。この両者は所詮大差ないようにも見えるが、実質上は相当な差異をもたらす。

 犯人の処罰を最終目的とする犯罪捜査は、刑罰制度が土台を置く応報主義のイデオロギーに貫かれている。犯罪捜査の初動で、拘禁刑の先取りとも言えるような未決の身柄拘束が多用され、また懲罰的な意味合いも濃厚な拷問がしばしば加えられたりするのも、そうした応報原理の表象なのである。
 応報原理が犯罪捜査の方向性を誤らせ、犯人を誤認したまま裁判へと進み、処罰がなされてしまういわゆる冤罪現象も、刑事司法にはほとんど付き物である。そうした弊害を防止すべく、近代的刑事司法では、何ぴとも有罪判決の確定までは無罪とみなす「推定無罪」という技巧的な法則を立ててきたが、報復感情に支えられた応報原理は、このような理知的法則をも、しばしば虚しいタテマエに形骸化させてしまう。

 それに対して、われわれの犯則処理の起点としての捜査は応報原理から解放され、次なるステップとしての真相解明に資する証拠の収集ということが明確な目的として位置づけられるので、より客観的かつ科学的な視野に立った合理的な証拠収集活動が展開される。
 そのため、「推定無罪」というような技巧的法則をあえて立てずとも、冤罪を防止できる可能性は高まると考えられる。犯人の処罰ではなく、実際に何が起きたのかを証拠を通じて再現的に解明することが犯罪処理プロセスの重要な課題となるからである。言い換えれば、誰が犯人かよりも、何が起きたかが主題である。

 ところで、既存の刑事司法制度においては、犯罪捜査は主として警察機関が担当することが世界的な主流となっている。
 しかし、警察機関とは元来、警邏及び警備を主任務とする準軍隊的な階級構造を持つ制服武装機関であって、犯罪の証拠の収集という任務に特化した機関ではない。そのため、犯罪捜査活動は刑事部とか犯罪捜査部といった名称を冠された警察の内部部局によって遂行されることが通例である。
 しかし、如上の犯則捜査を適切に遂行するためには、警察が言わば二次的任務として捜査に従事する制度はふさわしくない。犯則捜査はそれに特化した捜査専従機関によって遂行されるべきである。

 そうした捜査専従機関は警察のような準軍隊的な階級構造を持つ制服武装機関ではなく、基本的に私服の法執行機関であり、組織構造も、警察のような階級制によらず、業務の管理運営上の規律維持に必要な限りでの緩やかな職階制にとどまるものであることがふさわしい。
 このような捜査専従機関では、初めから捜査官としての適格者が採用・育成され、専従捜査官として各部署に配置され捜査活動に従事する構制が採られる。このようなプロフェッショナルな構制は、的確な捜査活動を保証するうえで寄与するはずである。

 さらに、捜査専従機関は専門性と公平性を確保するため、警察のように単独の長官が管理するのではなく、3人の合議制委員会組織によって管理する。3人の委員のうち2人は熟練した幹部捜査官の中から昇進させるが、1人は外部の有識者から任命し、外部の視点と識見を組織管理に取り入れるようにする。

 なお、このようにして捜査専従機関が遂行する犯則捜査活動から分離された警邏・警備活動は、警防団のような準公的な地域密着型の組織がこれを担うことになるが、この件に関しては、後に防犯について扱う章にて改めて詳論することにする。

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犯則と処遇(連載第32回)

2019-02-18 | 犯則と処遇

26 刑事司法から犯則司法へ

 前章まで、伝統的な「犯罪→刑罰」体系によらず、犯則行為者に対する科学的な処遇を中心に行なう新たな「犯則→処遇」という体系の概要を述べてきたが、本章から先は、そうした新たな体系による司法処理のプロセスに関する諸問題を扱う。

 その点、「犯罪→刑罰」図式の下では、捜査→訴追→裁判の三点セットのプロセスが圧倒的な主流を占めている。これは科刑の権限を裁判所(裁判官)が保持するという前提の下に、通常は警察が犯罪捜査を担当し、その結果をもとに特定された被疑者を裁判所に訴追し、審理・判決するというそれなりに合理性のある明快なプロセスであるがゆえに、近代的刑事司法制度の標準モデルとなったのだろう。

 これに対して、「犯則→処遇」体系における新たな司法処理のプロセスを図式的にまとめれば、捜査→解明→処遇(+修復)というものである。起点が証拠収集のための捜査にあることは同じであるが、捜査終了後、裁判所への訴追・審理という流れの代わりに、真相解明という独自のプロセスが現れる。

 真相解明は、既存の刑事裁判所でも審理の中心課題ではあるが、刑事裁判の最終目的は科刑にあるから、真相解明は科刑のために必要な限りで、しかも訴追を専門官僚としての公訴官(検察官)が行なう標準型では、訴えを起こす原告に相当する公訴官の主張の真否を問う形で実施される。
 それに対して、新モデルにおける真相解明は解明そのものを目的とし、処遇には及ばない。純粋に何が起きたのかという事実認定に焦点を絞って、捜査機関が収集した適法な証拠に基づいて解明するプロセスである。従って、その担当機関は裁判所ではなく、まさに真相解明そのものを任務とする特殊な合議機関―真実委員会―であることがふさわしい。

 この真実委員会による審問と審議の結果、単独または複数の犯行者が確定された場合、その者(たち)に異議がなければ、最終的な処遇審査に付せられる。
 その点、刑罰制度を前提とする刑事裁判では、最終的な科刑も審理に当たった裁判官が量刑という擬似数学的な形態をもって行なうが、「犯則→処遇」体系における処遇は科学的な観点から、より専門的な審査に基づいて行なわねばならないから、真相解明とは全く別個の処遇審査機関―矯正保護委員会―が行なう。

 ここで同時に、被害者のある犯則行為においては、被害者・加害者間で、修復というプロセスも行なわれる。これは比較的被害程度が軽微な犯則行為について、被害者・加害者間でその関係の修復が成立すれば、それ以上の処遇は課さないというある種の免除を導くものである。

 以上のような新たな司法処理モデルは、もはや刑罰の付加を最終目的とする司法制度ではないから、これを「刑事司法」と呼ぶことはふさわしくない。ただ、真実委員会や矯正保護委員会は高度の中立性を要求されるため、行政機関ではなく、司法機関の体系に属するべきである。
 従って、新モデルも司法制度の一環ではあるが、名称としては、犯則行為の処理に関わる司法という含意から、「犯則司法」と命名することにする。標語的に言えば、「刑事司法から犯則司法へ」である。

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犯則と処遇(連載第31回)

2019-02-09 | 犯則と処遇

25 反人道犯罪について

 これまで見てきた「犯則→処遇」体系にあっては、法と道徳が混在した「犯罪」という観念から脱し、「犯則」という純粋に法的な概念に置き換えたうえで、犯則行為者に対する科学的な処遇を導くことが目指されるのであるが、このような体系の下でもなお、「犯罪」として残されるもの―言わば、「最後の犯罪」―がある。それが、人道に反する罪(反人道犯罪)である。

 反人道犯罪の代表的かつ究極的な事例は今なおナチスドイツが犯したホロコーストであるが、その具体的な定義は現行の国際法によって定められている。
 現行国際法上は、国際刑事裁判所規程において、ホロコーストのようなジェノサイド(大虐殺)とそれ以外の人道に対する罪とを区別しつつ、以下の定義が規準となっている。
 なお、私見によれば、人道に対する罪の極点と言うべきジェノサイドを人道に対する罪とわざわざ区別する必要性はなく、いずれも反人道犯罪として包括するほうが明快である。


第六条 集団殺害犯罪

この規程の適用上、「集団殺害犯罪」とは、国民的、民族的、人種的又は宗教的な集団の全部又は一部に対し、その集団自体を破壊する意図をもって行う次のいずれかの行為をいう。

(a)当該集団の構成員を殺害すること
(b)当該集団の構成員の身体又は精神に重大な害を与えること
(c)当該集団の全部又は一部に対し、身体的破壊をもたらすことを意図した生活条件を故意に課すること
(d)当該集団内部の出生を妨げることを意図する措置をとること
(e)当該集団の児童を他の集団に強制的に移すこと

第七条 人道に対する罪

この規程の適用上、「人道に反する犯罪」とは、文民たる住民に対する攻撃であって広範または組織的なものの一部として、そのような攻撃であると認識しつつ行う次のいずれかの行為をいう。

(a)殺人
(b)絶滅させる行為
(c)奴隷化
(d)住民の追放または強制移送
(e)国際法の基本的な規則に違反する拘禁その他の身体的な自由の著しい剥奪
(f)拷問
(g)強姦、性的な奴隷、強制売春、強いられた妊娠状態の継続、強制断種その他あらゆる形態の性的暴力
(h)政治的、人種的、国民的、民族的、文化的または宗教的な理由、性に係る理由その他国際法の下で許容されないことが普遍的に認められている理由に基づく特定の集団または共同体に対する迫害
(j)人の強制失踪
(j)アパルトヘイト犯罪
その他の同様の性質を有する非人道的な行為であって、身体または心身の健康に対して故意に重い苦痛を与え、または重大な傷害を加えるもの

 
 これらの反人道犯罪は、一般的な殺人等とは本質的に異なり、単なる法違反としての反社会的行為ではなくして、その核心は、人間性そのものへの敵対にある。それは人類共通の法に違反する行為であると同時に、それを越えた人倫に反する行為として把握される。
 このような普遍的な性格からしても、反人道犯罪は民際的な司法手続きによって審理される必要がある。現行国際法体系上は国際刑事裁判所で審理されるが、このような常設の裁判所でルティーン化された審理をするよりも、各反人道犯罪案件ごとに公平に人選された検事団及び判事団から成る非常置の特別法廷を設置して審理するほうが、公正さを確保できるだろう。

 問題は、このような反人道犯罪を犯した人物の処遇如何である。その点、国際刑事裁判所規程では、最大で終身刑を上限とする自由剥奪刑という伝統的な「犯罪→刑罰」体系に沿った処遇が定められているが、これでは、一般的な犯罪との区別がなく、人倫に反する行為としての反人道犯罪の性格を曖昧にする。
 反人道犯罪は、通常の犯罪を越えた集団的な反人倫事象であるからして、一般的な刑罰では不足である。同種事象の再発防止を完璧なものとするためにも、より強力な根絶処分を要する。こうした根絶処分には、致死的処分と僻地での終身労役処分の二種がある。

 具体的には、主唱者、計画者及び実行指揮者並びに実行管理者は、生きて復権することを許さないためにも、致死的処分に付する必要がある。それに対して、末端実行者は致死的処分を要しないが、終身間の僻地労役処分に付する。
 ただし、改悛の状が著しい実行管理者は終身間の僻地労役処分に減軽する一方、改悛の状が認められない末端実行者は主唱者等並みに致死的処分に付する。
 致死的処分の執行方法は、熟練射手による銃殺とする。おそらくは、この方法が最も瞬時的に対象者の生命を停止できる“人道的な”処分だろうからである。僻地での終身労役処分は、それ自体が反人道的な奴隷労働と化さないよう配慮しつつも、一般労働より厳しい現業労働を課する。

 さらに、反人道犯罪は個人的な犯罪ではなく、集団的な犯罪であるからして、必ずその司令塔たる組織なり団体なりの集団が存在する。こうした反人道犯罪を主導した集団(複数の場合あり)は、強制解散及び資産没収並びに再建禁止の処分に付する。
 なお、対象となる集団が軍その他の公的機関である場合も例外ではなく、当該公的機関は解散等の処分に付されるが、公的機関の場合は、然る後に、全く別の構制で再編・再建されることは認められる。

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犯則と処遇(連載第30回)

2019-02-08 | 犯則と処遇

24 思想暴力犯について

 特定の思想・信条を持つこと、あるいはそうした思想・信条に基づいて表現活動をすることを犯罪とみなすことはしないという原則は民主主義の鉄則として承認されつつあるが、国家権力は非寛容さを本質とするため、この鉄則が完全に守られている国は稀少であり、世界で多数の「良心の囚人」がなお獄中にある。

 「良心の囚人」を輩出しないための究極的な策は国家権力の廃止と国家権力によらない社会運営の仕組みを構築することにあるといって差し支えないが、たとえ国家権力を廃止したとしても、「犯罪→刑罰」体系が残される限り、犯罪的と指弾されるような思想・信条の持主を何らかの刑罰規定に仮託する形で「良心の囚人」に仕立てることはできるかもしれない。
 これに対して、「犯則→処遇」体系によれば、単に特定の思想・信条に基づいて何らかの平穏な表現活動をしたというだけで矯正や更生のための処遇を必要とするということは想定できないから、いっそうクリアに「良心の囚人」は否認されるのである。

 一方、近年は特定の思想・信条を実践するために暴力行為に出て積極的に社会不安を作り出すことを「テロリズム」と名指して、厳格な取締り対象にしようとする政策も世界的に共有されるようになっている。
 たしかに「テロリズム」の実践者である「テロリスト」は、何らかの暴力行為に関与する以上、平和的な「良心の囚人」とは異なる。そうだとしても、「テロリズム」とは本質上法的に定義不能な概念である。諸国では相当に苦心して「テロリズム」の法的定義を試みている例もあるが、完全に成功しているものはない。

 「テロリズム」という概念はしょせん政治的な名辞であって、特定の犯罪事象を「テロリズム」と名指すこと自体が一つの政治的な行為なのである。
 ちなみに、近年は「サイバーテロリズム」のように、インターネットを通じて電子的攻撃を仕掛けるような行為まで「テロリズム」と名指すことが一般化しているが、このような概念の拡張は語源的にテラー(terror:恐怖)に由来するテロリズム(terrorism)の語義からもはみ出す政治的な拡大解釈である。

 このように論ずることは、一般に「テロリズム」と名指される事象を放置すべきことを意味するのでないことはもちろんである。一定の社会とその機構を破壊することを目的とするような暴力行為は、破壊活動として取り締まりの対象とされる。
 この種事犯の多くは組織的に実行されるが、社会秩序全般を破壊するという点では、通常の組織犯とは異なる対策が必要となり、特別法としての破壊活動取締法が必要となる。

 破壊活動取締法では、特に破壊活動を計画・実行する組織の活動規制に重点が置かれ、司法的な手続きを経ての強制解散や資産没収、再結成の禁止などの措置が盛り込まれる。さらには、破壊活動団体の監視や情報取集などの未然防止策も必要である。
 こうした措置は、思想・信条の自由、さらには結社の自由を侵害する恐れと隣り合わせであるので、司法手続きは特に公正に実施されなければならない。

 破壊活動に限らず、およそ何らかの思想・信条に基づき暴力行為に出る者を「思想暴力犯」と呼ぶことができるが、こうした思想暴力犯の処遇に関しては、その犯行動機に何らかの政治的または宗教的な信念が直接に関わっていることから、微妙な留意点がある。
 それは、対象者にいわゆる「転向」や「改宗」を強制ないし誘導するような処遇は許されないということである。そのため、思想暴力犯に対する矯正処遇に当たっては、対象者の思想・信条の内容と手段として選択された犯則行為とを切り離し、手段として選択された犯則行為に焦点を当てた処遇を課さなければならない。

 そうすると、結果として、その処遇内容は一般的な暴力犯に対する処遇と重なり合ううところが多いだろう。ただし、思想暴力犯は反社会性向は認められても、病理性は認められない者がほとんどであるから、第三種矯正処遇に付すべき場合はほぼないと考えられる。

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犯則と処遇(連載第29回)

2019-02-01 | 犯則と処遇

23 交通事犯(下)―公共交通事故について

 現代の科学技術社会を特徴づける事象として、鉄道、船舶、航空機といった公共交通機関の著しい発達があるが、それに伴い、これら公共交通機関による死傷事故(公共交通事故)も跡を絶たなくなっている。
 こうした公共交通事故は、自動車事故とは異なり、より複雑で高度な機械的システムとそれを運営する法人企業組織を背景として生起してくることから、自動車事故のように、単純な過失犯として処理し切れないことが多い。

 そこで、公共交通事故が発生した場合は、まず事故原因の行政的な調査を先行させることが合理的である。そのためには、中立的な事故調査機関を常設する必要がある。
 この先行調査の結果、またはその過程で個々の交通機関要員の業務上過失が明らかとなった場合は、そこで初めて捜査機関に通報され、犯則行為としての過失責任を究明するための捜査が開始される段取りとなる。

 ただし、船舶や航空機の場合は、事故に関わった航海士や操縦士の法的な過失の有無とは別に、航海士や操縦士としての職務上の義務を適切に果たしたかどうかという観点からの審判手続きが捜査に先行される。具体的には、海難事故に関する海難審判のほか、航空事故に関する航空審判といった準司法的手続きである。
 こうした審判手続きと過失犯としての責任を究明する司法手続きとは目的を異にするとはいえ、両者の結論が完全に齟齬を来たすことは好ましくない。とりわけ、審判手続きでは義務違反なしとされながら、司法手続き上は有責とされるねじれは当事者に当惑と司法不信をもたらすであろう。
 そこで、審判手続きは司法手続きに先行して進められる必要があり、審判の結果、実質無答責に相当する義務違反なしとの結論が出た場合には、当該要員を改めて司法的に追及することは禁止されるべきである。

 ところで、組織を背景として引き起こされる公共交通事故では個々の要員の過失責任を追及するだけでは不十分であったり、個々の要員の過失を立証し切れないことも多い。そこで、こうした場合は運営組織の安全対策不備を一つの犯則行為とみなして対応する必要も出てくる。

 ただし、これはいわゆる組織犯とは異なり、法人としての過失犯であるので、通常の組織犯対策の出番とはならず、別の対策が必要となる。同時に、ここでも「犯則→処遇」の定式は貫徹されなければならない。
 具体的には、事故を引き起こした運営組織に対しては営業停止処分が課せられるほか、事故を繰り返す累犯的な組織に対しては究極の解散命令も課せられる。こうした組織の活動と存亡に関わる処分は単なる行政処分ではなく、司法手続きによって付せられる一種の対法人処遇である。

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犯則と処遇(連載第28回)

2019-01-31 | 犯則と処遇

23 交通事犯(上)―自動車事故について

 交通事犯は交通手段が発達した現代社会に特有の現象であり、18世紀のベッカリーアの想像を超えた現代型犯則行為である。交通事犯を広く取れば、鉄道や船舶、航空機に関連する犯則行為も含まれるが、本章(上)では最も日常的な自動車に関連するものに限定して論ずる。

 自動車に関連する交通事犯の大半は過失犯であるが、速度違反や飲酒運転など道路交通法違反は故意犯である。いずれにしても、交通事犯に、長期的な矯正処遇を要する犯則行為者はいない。

 特に交通事犯の中心を占める自動車運転中の過失による死傷事故は、運転者の過失という人的要素ばかりでなく、道路状態や自動車の性能という物的要素も要因となって引き起こされる。
 典型的には、見通しの悪い道路で欠陥車を運転している人が不注意であれば、極めて高い確率で死傷事故が発生する。このように自動車運転中の過失による死傷事故は道+車+人という三要素が三位一体的に絡み合って惹起される。
 事故の物的要素は、道路補修や自動車の性能強化といった物理的対策を通じて克服することが可能である。人的要素に関しては、そもそも運転適性のない者を事前に運転そのものから遠ざけることが効果的である。具体的には、著しく注意散漫な者や運動神経に制約がある者、アルコール・薬物依存傾向のある者に対しては運転免許を認めないか、少なくとも矯正的な特別講習を義務づけ、問題傾向の改善が認められるまで免許を保留とすることである。

 他方、道路交通法規に基づく行政的な交通取締りは、交通事故防止にとって有効ではあるが、あまりに瑣末すぎたり、多すぎたりする規則は誰も守り切れず―しばしば取締担当者ですら!―、無意味である。 

 各種道路交通法違反については、まず速度違反や酒酔い運転などのように、それ自体に死傷事故の危険が内包されているような危険運転行為に限って処遇の必要な犯則行為とみなし、その他の細かなルール違反は免許停止などの行政的なペナルティーに委ねることが合理的である。
 「犯則→処遇」体系の下でも、速度違反や酒酔い運転などそれ自体に過失による死傷事故の危険を内包する危険運転は故意犯であるが、それらは本質上行政取締上のルール違反であって、多くは反社会性向の低い犯行者によるものであるから、その処遇としては保護観察とすれば十分である。
 ただし、速度違反や飲酒運転などの危険運転の累犯者に対しては、永久免許剥奪処分が効果的である。

 問題は、こうした道路交通法に違反する危険運転中の過失によって死傷事故を起こした者の処遇である。といっても、以前の項で述べたように、軽過失は業務上過失の場合を除き犯則行為とすべきでないから、ここで過失とは重過失及び業務上過失の場合である。

 道路交通法に違反する危険運転行為とその間に犯された過失行為とは一連的であっても危険運転行為中に必ず過失行為を犯すと決まっているわけではない以上、本来別個の故意行為と過失行為である。 
 これもすでに論じたように、こうした犯則行為のパッケージにおいては、犯則学的に見て最も中核的な犯則行為の処遇に従うのであったところ、確率的に過失による死傷事故は、何らかの危険運転行為を前提としており、死傷事故を起こしやすい危険運転中に事故を起こすのは、元来危険運転行為に内包されていた危険が現実化しただけのことであるから、中核的な犯則行為とは、まさに過失行為にほかならない。従って、以前に述べた過失犯としての処遇そのものに付することになる。

 ちなみに、飲酒運転事故はモータリゼーションが高度に進んだクルマ社会にあって、酒類の販売規制が緩やかであれば、不可避的に発生する事故である。酒類に対する宗教的禁忌などから酒類の製造・販売が禁止されている国、逆に酒類の販売規制は緩やかだが、モータリゼーションがほとんど進んでいない国では飲酒運転はまれである。
 そこで、飲酒運転の撲滅とは言わないまでも大幅な減少を目指すのであれば、酒類の販売規制の強化(専売制の導入など)とともに、脱モータリゼーションにも正面から取り組まなければならない。 

 ところで、自動車交通事故の中でもひき逃げは悪質な事故隠蔽行為と評価されやすいが、事故を起こしてパニック状態にある者の心理を冷静に考えれば、ひき逃げは、司法上正当な防御権の行使ではないとしても、ある種の条件反射的な防御行動と理解することができる。
 このような防御行動を回避させ、ひき逃げを防止するためには、逃走せず自ら事故を通報し、与えられた状況下で必要十分な被害者救護を尽くした事故者は、反社会性向の低さを考慮して、軽い処遇を与えることが効果的である。

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犯則と処遇(連載第27回)

2019-01-24 | 犯則と処遇

22 汚職について

 汚職とは、古典的な理解によると、公務員の賄賂犯罪のことであったが、今日的なより高い綱紀に従うなら、より広く公共的な職務を持つ者による地位を利用した利得行為全般―賄賂はその代表例の一つにすぎない―を包括する犯則行為と考える必要がある。

 このような考え方に立つと、汚職に関して本質的な官民差は認められず、いわゆるみなし公務員に限らず、法人企業・団体の役員や法曹・医師などの公共的な職務に従事する有資格者に至るまで、統一的に汚職の主体とされるべきことになる。
 従って、例えば企業の役員が賄賂を受け取れば、公務員と同様に汚職が成立するし、賄賂を供与した側もその共犯に問われるのである。一方では、公務員が監督する事業者から金品を受け取ったり、接待のようなサービス提供を受けたりした場合、賄賂性がなくとも汚職が成立することになる。

 ところで、汚職で賄賂として供されるのは、圧倒的に貨幣である。貨幣経済は汚職を助長する最大の構造要因である。従って、汚職の根本的な撲滅のためには、貨幣経済の廃止が最も端的である点、財産犯の場合と同様である。
 もっとも、賄賂として高価値物品や飲食、さらには性的サービスのような無形的な利益供与がなされることもままあることから、貨幣経済の廃止が汚職の撲滅に直結するわけではなく、貨幣経済が廃止されても汚職対策はなお必要である。

 汚職は、窃盗や殺人などの一般的な犯則行為とは性質を異にし、その本質は公共的な職務に内在する公正性保持の倫理コードに対する背反である。
 従って、その処遇としても矯正処遇に付するほどの必要性は乏しく、むしろ公職・役職からの一定期間または恒久的な追放処分のほうが事理に適っている。それに加えて、利得の没収または加重的な追徴を必要的に併課することで、汚職が割に合わないことを銘記させる効果が上がるであろう。

 このような汚職の特性からすると、その対策としても一般的な捜査機関に依存した取締りより、護民司法としての護民監制度を通じた汚職防止策のほうが効果的である。
 護民監は捜査機関ではなく、広く公的権力・職権の行使を監督し、民権を擁護する観点からの監察的司法機関であり、その任務は内部通報や外部からの情報提供を受けて問題事案を調査し、是正勧告その他の決定を発することにある。
 そのために必要と認めるときは、護民監は令状に基づいて関係者を召喚し、関係証拠物件の提出を求める権限を持つ。それと同時に、汚職防止のための法制や個別的な対策について研究調査し、勧告することも重要な任務である。

 なお、上述の公職追放や没収等の処分に関しては、護民監が直担する方法が最も簡便であろうが、より中立性を確保するためには、公務員等汚職弾劾審判所のような独立した常設審判機関を設置して対応するほうが、より厳正である。護民監は個別事案の調査を終えた後、汚職の事実ありと判断した者を弾劾審判所に告発し、審判を求める。
 
 ただし、政治職公務員の場合は、一般の公務員等とは区別して、代議機関内に特別弾劾法廷を設置して審理することが望ましいであろう。
 いずれにせよ、こうした法的な審判と行政的な処分とが組み合わさった複合的な司法手続きは、「犯則→処遇」体系における特有の制度であるので、これらについては、後に改めて論じることにする。

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犯則と処遇(連載第26回)

2019-01-18 | 犯則と処遇

21 組織犯について

 単なる共犯現象を超えた犯罪の組織化、すなわち組織犯罪はすぐれて現代的な犯罪現象である。しかも、現代の犯罪組織はほぼ例外なく合法・違法の双方にまたがるビジネスを展開する経済組織でもある。それはしばしば合法的な資本や公権力とさえも直接・間接に結びついている。

 こうして現代的組織犯罪は、資本主義経済の地下部門を成す構成要素であるとさえ言えるのであり、その「根絶」は資本主義経済体制そのものにメスを入れない限り不可能である。その意味では、貨幣経済を廃した共産主義経済への転換が、組織犯罪の根絶へ向けた抜本策ということになる。

 そうはいっても、共産主義経済下でも、組織的な犯則行為への対策が全く不要ということにはならないが、「犯則→処遇」体系の下では、組織犯対策にあっても刑罰は用いず、矯正処遇を中心とした対策が適用される。

 組織犯対策というと、特別法を制定して対処することが一般的であるが、法定主義という観点からは、特別法へ飛ぶ前に、一般法上での対策が先決である。
 その一つは、共犯に関する一般的な規定の活用である。特に、従共犯の中でも共謀犯の規定は、共謀された犯則行為の実行そのものは担わなかった組織の構成員のほか、準構成員や外部の協力者まで一網打尽にできる利点があることから、組織犯対策上強力な武器となり得る。

 さらに進んで、不法な組織を結成し、またはこれに加入すること自体を犯則行為として規定することも必要である。
 これは組織犯対策の予防的な武器であるが、同時に事実上不法組織の定義条項ともなるものである。すなわち、本規定の下に結成や加入が禁じられる組織とは、団体の活動として継続的に犯則行為を実行するための団体である。
 「継続性」を要件とすることによって、一回的な犯則行為を実行するために組織されたグループや本来合法的な活動をするために組織された団体がたまたま組織ぐるみで犯則行為を実行したような場合は不法組織には該当しないことになる。

 さて、組織犯の犯則行為者は通常、反社会性向は高いも病理性は低い者であるから、その処遇としては最大でも第二種矯正処遇を相当とするが、不法組織に加入した者の中には弱味を握られて消極的に引きずり込まれたような者もあり得ることから、保護観察相当の場合も認められる。

 以上は言わば総論的な組織犯対策であるが、各論的な対策として、特別法としての不法組織法の制定も必要である。
 不法組織法の核心は、組織そのものの強制解散・非合法化措置である。これは先の不法組織に関する規定とも連動しながら、組織そのものを消滅させる措置として究極的な組織犯対策となるものである。
 強制解散の主たる対象は組織そのものであるが、関連企業や組織の隠れ蓑として設立された各種団体も含まれ、法人格を取得している場合はその剥奪と資産没収にも及ぶ。
 このように、強制解散措置は個人であれば死亡宣告に匹敵する強力な効果を伴うものであるから、適正手続きを保障するためにも厳正な司法手続によるのでなければならない。

 一方で、組織的犯則行為者の更生援護も大きな課題となる。かれらの場合は病理性は低い反面、不法組織を事実上の“職場”とし、犯則行為がまさに“職業”と化しているため、犯則への固執性が強い。そこで、更生援護を通じて各自の適性を生かした正業への“転職”を支援していくことが重要となる。

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犯則と処遇(連載第25回)

2019-01-18 | 犯則と処遇

20 累犯問題について

 財産犯、中でも窃盗は古くから、短期間で同一または同種の犯行を繰り返す累犯が多く、また放火犯や一部の性的事犯、薬物事犯にも、累犯がしばしば見られる。こうした累犯問題こそが、刑罰の目的を教育に求めんとする教育刑論を台頭させた要因でもあった。
 しかし、教育刑論も刑罰制度が本質的に持つ応報的な要素を完全に払拭できず、限界を露呈してきたことから、「矯正悲観論」を生み出し、再び応報刑主義への反動的揺り戻しを招く一因となった。

 たしかに、累犯者の中には矯正困難な者も含まれていることから、矯正悲観論の象徴となりやすいことはたしかだが、それは矯正科学の遅れのゆえであって、そうした遅れをもたらしているのもまた、刑罰制度なのである。その意味で、累犯問題は刑罰制度自身の影法師でもある。

 その点、「犯則→処遇」体系の下では、格別の累犯対策というものは必要としない。それは、更新付きターム制を採る「矯正処遇」の制度自体に累犯対策が組み込まれているからである。すなわち対象者の再犯の恐れがなお除去されていないと判断されれば矯正タームが更新され、実効性のある科学的な矯正プログラムが課せられるからである。

 特に、窃盗を執拗に繰り返す者に対しては、精神疾患の一つに位置づけられている窃盗症の治療が必要であるし、放火累犯者も病的な放火癖の治療が必要なケースが多いと考えられる。こうした病的累犯者に対しては、第三種矯正処遇Bを課して、治療的な集中的処遇を徹底する必要がある。
 なお、性的累犯者の場合も、行動療法などを含めた第三種矯正処遇の対象となるが、前にも述べたとおり、専門医の厳正な診断に基づく薬物による化学的去勢措置もやむを得ない場合があるだろう。 

 総じて、累犯に対しては、矯正処遇を終了した後の更生援護も重要な課題となる。そうした更生援護の充実・成功をもたらすには、社会の構造が大きく変わらなければならない。
 すなわち、更生を妨げ、人を再犯に走らせる究極的要因となる犯歴者への差別を克服し、かつライフコースによって制約されず、人生のやり直しがより容易となるような社会体制を構築することである。

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