ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

共産教育論(連載第43回)

2019-03-26 | 〆共産教育論

Ⅷ 課外教育体系

(1)地域少年団活動
 共産教育はその多くを公教育が占めているが、公教育を含めた法令に基づく正規の教育体系に含まれない教育をここでは広く課外教育体系と呼ぶことにする。従って、課外教育体系は公的な課外教育と純粋に私的な課外教育の両方にまたがることになる。
 そのうち公的な課外教育の中心となるのは、地域少年団活動である。すでに述べたように、義務教育に相当する13か年の基礎教育課程は原則的に通信制によって実施され、校舎を持った学校で子どもが集団生活を強いられることはない。
 その点で、基礎教育課程は相当に個別教育化される。これは共産主義社会の市民として共有すべき基礎的素養を身につける点では効果的であるが、反面として、基礎教育課程は社会性を備えた人間の育成には限界がある。そこでよりインフォーマルな教育として地域をベースとした「地域少年団」が導入される。
 具体的には最も重要な社会性育成期の満7歳から15歳までの子どもたちを対象に、地域で年齢混合・男女混合の少年団を編成し、訓練を受けた指導員の下、週末や祝日を利用して、月2回の割合で行う野外活動である(夏季休暇には宿泊を伴う活動もある)。
 その目的は、社会性の本格的な発達が促進されるべき年代の子どもたちを対象に、基礎教育課程では限界のある社会性教育を施すところにあるからして、該当年齢の子どもたちは、医学的な理由から参加が困難な場合を除き、全員参加を義務付けられる。
 医学的に参加可能な条件を満たす限り、障碍児も参加するため、その限りでは反差別教育の一環としての交流学習の意義も持つ。同時に、活動内容は教科学習やスポーツのような技芸でもなく、自然観察などを通じて自然環境の中で自由に遊ぶ形式で、インフォーマルながら環境教育を兼ねたものとなる。
 その実施主体は、中間自治体としての地域圏のレベルで担われる基礎教育課程とは異なり、市町村である。市町村では地区ごとに少年団を編成し、指導員を養成・配置する。少年団指導員は適性審査に合格し、全土一律の講習を修了した成人に限られる。

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共産教育論(連載第42回)

2019-03-13 | 〆共産教育論

Ⅶ 専門教育制度

(8)芸術学院/体育学院
 総説の箇所でも記したとおり、高度専門職学院は、一定の職業経験を持つ人を対象とする生涯教育の一環としての専門教育に属する教育課程であるところ、わずかな例外として、音楽・美術等のアーティストを養成する芸術学院や各種スポーツ競技を専業とするアスリートを養成する体育学院がある。
 こうした分野は、その性質上早期教育が不可欠なため、これらの専門職学院は職業経験を募集条件とはせず、基礎教育課程修了者であれば、職業経験を問わず入学可能とされる。その意味では、この類型の専門職学院は生涯教育の体系からは外れることになる。
 もっとも、芸術やスポーツは生来の適性や才能によるところが大きいため、必ずしも専門職学院の修了は成功の絶対条件ではない。むしろ、個人の指導者が運営する教室やクラブのほうが多くの優れたアーティストやアスリートを輩出する可能性すらある。
 こうした民間の指導組織は次章で見る正規教育体系の外部にある課外教育体系の一環として、正規教育制度とも並存するものであり、芸術・スポーツ分野ではむしろこうした課外教育体系こそが中核的となるかもしれない。 
 その点、旧ソ連を盟主とする冷戦時代の東側陣営がしばしば推進していたように、芸術家や五輪アスリートの特権エリート養成を通じて西側に対する文化的優位性をアピールする「国威発揚」政策は、真の共産主義社会の採る道ではない。
 真の共産主義はそうした文化宣伝政策とは無縁であり、共産主義的専門教育としての芸術学院/体育学院といえども、それらは専門教育制度の特種的な一環にすぎず、特権エリート養成機関としての特別な地位が与えられるわけではないことに留意されなければならない。
 ちなみに、芸術学院/体育学院は、芸術や体育の認定指導者を養成する課程も併設するが、これらは例えば第一線を退いたアーティストやアスリートがその職業経験を後進の指導に活かすための生涯教育としての意義を持つ。その限りでは、芸術学院/体育学院も生涯教育機関としての性格を帯びていると言える。

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共産教育論(連載第41回)

2019-03-12 | 〆共産教育論

Ⅶ 専門教育制度

(7)教育学院/社会学院
 教育学院は、その名のとおり、教育専門家の養成を任務とする高度専門職学院である。教育専門家の代表例がいわゆる教員であることは共産主義社会でも同様であるが、共産主義社会の教育は原則的に通信制を基本とした一貫制基礎教育課程であることは、まさに当連載で記したとおりである。
 その結果として、教員の役割・性格が伝統的な学校教員のそれとは大きく異なることになる。すなわち、より個別教育型かつ科目担当制となるうえに、小中高のような学校種別ごとの教員免許制ではなくなり、一貫した単一の教育免許制となる。
 しかも、障碍児統合教育のため、一般教員も障碍児教育の知見と素養を要するため、障碍児教育専門の教員免許が存在するわけではないが、重度障碍児の療育の従事するためには、教員免許に加えて、一定の認定資格を要する。
 また、基礎教育課程に必修で職業導入教育が取り入れられることから、職業導入教育専任教員の免許が創設される。職業導入教育専任教員にはカウンセラーとしての素養と技能も要するため、通常の教員とは別立ての養成が必要となる。
 さらに、保育が義務化され、基礎教育課程の前段階としての性格が強まることに対応し、保育専門家としての保育師も、教育学院において養成される高度専門職に昇格する。
 一方、社会学院は、社会学の実践に従事する専門家の養成を任務とする高度専門職学院である。社会学そのものは学術研究センターでの研究分野の一つであるが、社会学実践家の代表例は社会事業調整士である。
 社会事業調整士とは英語圏で言うソーシャルワーカー(social worker)の共産版と呼ぶべき専門職であり、社会内にあって社会的保護を必要とするあらゆる市民に対して、必要かつ有益な社会サービスの受給に結びつけるための調整活動を行なう専門家である。
 資本主義社会におけるソーシャルワーカーは政府や役場との連絡役程度の役割に限局されがちなのに対し、共産主義社会は政府や役場に相当する機構を擁しないため、いわゆる社会福祉も民間で自主的に行なう必要があるが、社会事業調整士は社会学の素養に基づき、そうした民間での自主的福祉活動の中心を担う専門職として重要性を増すのである。
 社会学院で養成される専門職として、今一つ重要なのは児童福祉士である。これはその名のとおり、児童の福祉的保護を専門とする児童専門のソーシャルワーカーに等しいものである。児童福祉士は主に未成年者福祉センターに配置されて、保護者からの相談業務を含む児童の福祉に関する包括的な業務に当たる。

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共産教育論(連載第40回)

2019-03-11 | 〆共産教育論

Ⅶ 専門教育制度

(6)理工学院
 技術系の高度専門職学院として、各種の技師を養成する理工学院も想定される。共産主義社会における技師は大きく分けて各種工学技師と、特に環境工学を専門とする環境技師、さらに情報技術を専門とする情報技師に分けられる。環境技師が独立した職種となるのは、共産主義社会の特色である。
 このような三種の分類に合わせて、高度専門職学院としての理工学院の内部編成も、一般工学科と環境工学科、情報学科に分けることが可能である。このうち、一般工学科は、機械や土木など伝統的な工学関係の技師の養成を担う。その細分類は多岐にわたるので、各理工学院ごとに特色ある重点化がなされることになるだろう。
 環境工学科は、環境技師の養成を担う。種々の環境保全技術を専門とする環境技師は、環境的持続可能性を高度に追求する共産主義社会では社会設計全般の土台を作る重要な技術職であり、その養成も理工学院の役割である。
 情報学科は、情報技師の養成を担う。賃労働によらない自発的無償労働が基本となる21世紀以降の新たな共産主義社会では、多くの労働が資本主義社会以上に高度にロボット化/AI化されることになるため、情報技師の役割は飛躍的に重要性を増すだろう。
 そこで、共産主義社会の情報技師にはプログラマーやシステム・アドミニストレーター、セキュリティー・エンジニアのような既存の専門職に加えて、ロボット/AIの運用を専門とするロボット/AIエンジニアのような新たな専門職も加わる。
 広義の情報技師には、情報処理を専門とする情報技師の他に、情報機器の機械的な構造を専門とする情報技師もあり、いずれも工学院における専門的な教育を経て公的な資格を認定される高度専門職と位置づけられる。
  ちなみに、資本主義社会では技師職の資格認定は主権国家ごとに異なっているが、世界共同体の下に統合される共産主義社会では技師職の認定は統一的な基準の下、全世界共通の認定試験によって行なわれるようになる。なお、同様のことは医師についても妥当するが、詳論は割愛する。

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共産教育論(連載第39回)

2019-02-27 | 〆共産教育論

Ⅶ 専門教育制度

(5)経営学院
 貨幣経済を廃した計画経済を軸とする共産主義社会における企業経営は、資本主義社会におけるそれとは全く異質的なものとなるため、企業経営に必要なノウハウも異なったものとなる。
 すなわち、もはや商品の生産・販売を通じて利潤の拡大を目指す経営術ではなく、企業種別や業容により程度の差はあれ、環境的持続可能性に配慮しつつ、公益の増進を目的とする経営術が要請される。また、労働者の経営参加や自主管理が基本となるため、労働と経営の区別も相対的ないし相互的なものに変化する。
 そうした共産主義的な企業経営に必要な知見とノウハウを専門的に教育するのが、経営学院である。企業経営者には特段の資格や免許の制度はないが、経営学院の修了者は経営に関して高度の適格性を持った者として社会的に認知される。
 こうした狭義の企業経営のほかに、公益性の高い共産主義的企業活動において比重が高まる企業監査業務に必要な知見とノウハウの教育も経営学院の第二の任務となる。
 さらに、環境的持続可能性に配慮された計画経済(持続可能的計画経済)の実務において重要な裏方支援業務を果たす公的資格としての「環境経済調査士」(拙稿参照)の養成が、経営学院の第三の任務に加わる。ここで養成された「環境経済調査士」は経済計画の合議機関である経済計画会議の事務局に配置されるほか、各企業の環境影響調査部門や環境監査役などの任務にも広く起用される。
 経営学院の経営・監査コースの入学要件は、少なくとも一つの企業体で、一定年数以上、管理職としての業務経験を持ち、当該企業から推薦を受けた者に限られる。ただし、環境経済調査士の養成コースではこのような要件は課せられず、より広く何らかの就労経験があれば足りる。
 なお、経営学院も、教育活動に必要な経営学その他の基礎的な学科に関する研究活動も併せて行い、学術研究センターとしての機能を持つ点では、他の専門職学院と同様である。

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共産教育論(連載第38回)

2019-02-26 | 〆共産教育論

Ⅶ 専門教育制度

(4)法学院
 法曹の養成を任務とする法学院は、医歯薬系学院と並んで専門職学院の代表例の一つである。共産主義社会における法曹は、『共産法の体系』の中で論じるように(拙稿参照)、法的紛争の解決を主任務とする法務士と公的な証明を主任務とする公証人とに分かれるが、いずれも法学院を通じてのみ養成される。
 すなわち、両職ともに、試験のみで職務資格が付与されることはなく、法学院での所要単位取得を証明する修了証書が必須であり、それが資格試験の受験条件となるということである。そのような共通性において、法務士と公証人の資格は対等的であり、両者間に階級的優劣差は存在せず、職務内容の相違があるにすぎない。
 法学院の修業年限は3年とし、修了者は法務士または公証人の資格試験を受験することになる。ただし、法務士試験は二段階に分かれるため、まずは初級段階試験に合格したうえ、所定の年数は法務士補として就業する。
 法学院の主要任務は法曹の養成にあるが、その養成に必要な各種法律学の研究活動をも任務とし、部分的には学術研究センターと同様の機能を持つ点は、医歯薬系学院と同様である。また、法学院は座学のみならず、周辺地域の認定法律事務所や公証人役場に研修委託することによって、学生の実地教育を行なう。

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共産教育論(連載第37回)

2019-02-25 | 〆共産教育論

Ⅶ 専門教育制度

(3)医歯薬系学院
 生涯教育の一環として位置づけられる高度専門職学院は、各種専門職ごとに多数あり得、そのすべてを列挙することはできないが、本節以下では、主要なものに絞って各論的に概観しておきたい。
 まずは、広義の医療に関わる医歯薬系学院である。医歯薬系学院は、高度専門職学院の中でも典型的に高度な専門性を有するゆえに、高度専門職学院の代表例となる。
 個別的に見れば、医師/歯科医師を養成する医学院/歯学院をはじめ、薬剤師を養成する薬学院、さらには看護師を養成する看護学院もこの系統に含まれる。なお、獣医師を養成する獣医学院も対象は動物であるが、この系統の類型に含め得るだろう。
 これらの医歯薬系学院はすべて同格であり、学院の種別間に優劣関係はない。例えば、医学院を頂点に、他の学院はその劣位にあるというわけではない。従って、薬学院や看護学院も医学院と同格的であるから、そこで養成される各医療専門職間にも階級的優劣差はなく、職務内容の相違があるにすぎない。
 医歯薬系学院の修学年限も、すべて同等である。その場合、短期集中教育を旨とする高度専門職学院の修学年限はおおむね3年であるが、医歯薬系学院については、その専門性の高さから一律に4年とすることも一考に値するであろう。
 医歯薬系学院の主要任務がそれぞれの分野における高度専門職の養成にあることは言うまでもないが、その養成に必要な学科の研究活動も任務とするため、部分的には学術研究センターと同様の機能を持つ。例えば、医学院であれば、臨床医学はもちろん、基礎医学分野や社会医学分野の研究活動も行なう。
 しかし、医学院(歯学院も同様)は教育・研究用の付属病院を持たず、周辺地域の認定外部病院に研修委託することによって、学生の実地教育を行なう。従って、付属病院を頂点とする学閥ネットワークが形成されることはなく、教育・研究を担う医学院と医療の実務を担う病院網は別個独立である。
 なお、医療系専門職として、検査技師や各種の療法士のような医療技術職もあるが、医師の指示に基づき特定の医療技術のみを提供するこれらの専門職の養成は高度専門職学院ではなく、専門技能学校で行なわれる。

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共産教育論(連載第36回)

2019-02-12 | 〆共産教育論

Ⅶ 専門教育制度

(2)高度専門職学院の概要
 生涯教育制度の一環としての高度専門職学院の設置主体は、公私両様である。公的な設置主体としては、領域圏立のものと広域自治体立のもの、大都市立のものがある。また私立もあるが、いずれであれ、法令上の設置基準を満たしていることが高度専門職学院の標榜基準となる。
 高度専門職学院での教育目標は、その名のとおり、各種専門職となるうえで必要不可欠な素養及び技能を集中的に修得することにある。そのため、既存の大学とは異なり、一般教養科目はなく、一年次からすべてが実習を含む専門科目で構成される。
 修学年限は学院の種別ごとに差異があってよいと思われるが、高度専門職に必要な基礎的素養及び技能を修得するうえで、少なくとも3年は必要であろう。しかし、4年を越えるのは生涯教育課程における集中的な専門教育という観点からは長すぎ、4年制が最長限度かと思われる。
 ちなみに、資本主義社会においてはとかく高額な学費が進学の障壁となる高度専門職教育であるが、貨幣経済が廃される共産主義社会では私立系のものも含め、すべて無償であるから、そもそも学費自体が発生しない。結果、その門戸は大幅に拡大されることになる。
 高度専門職はその専門技術性と社会的責任性の高さゆえに、ほとんどの職域において資格制または免許制が採られ、それらの取得には学科試験が課せられる。しかし、高度専門職学院が受験準備のための予備校と化さないためにも、資格/免許試験は高度専門職学院の学生であれば、90パーセント以上が70パーセント以上の正答率で合格できる基礎的な内容とする。
 高度専門職は、その関門となる資格/免許の取得そのものよりも、取得後の継続的研鑽のほうがはるかに重要性が高いので、専門職資格/免許はおおむね10年程度の有効期限を持たせた更新制を採るべきであり、専門職学院はそうした継続的研鑽を目的とする一年の短期必修プログラムを提供する。
 従って、例えば医師免許取得者は10年の有効期限経過前に、免許更新に備えて一時休職し、再びいずれかの医学院の継続研鑽課程に入学し、研鑽教育を受けたうえで、免許更新試験に合格しなければ、有効期限切れとともに医師免許を喪失することになる。

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共産教育論(連載第35回)

2019-02-11 | 〆共産教育論

Ⅶ 専門教育制度

(1)高度専門職教育
 専門教育という場合、広義には前章で見た専門技能学校を通じた専門技術教育も包含されるが、本章で取り上げるのは、医療、法律、教育関係に代表されるような高度専門職の教育制度である。
 資本主義の初期においては、しばしば低収入にあえぐこともある知識中産階級にすぎなかった高度専門職は、現代資本主義社会になると、その多くが高年収を保障された特権階級として、今日的な知識階級制の中では支配階級を成している。そうした地位を担保しているのが、高等教育学歴である。
 しかし、貨幣経済が廃される共産主義社会では、高度専門職といえども、無償労働である。高収入が目当てで高度専門職を目指すといった動機はあり得ないことになる。それに代わり、高度専門職を志望する動機は高度な使命感や責任感となるから、高度専門職教育もそうした動機に対応した制度として設計されなければならない。
 共産主義的教育制度にあっては高度専門職教育も、既存の大学/院に象徴されるようなエリート選抜型の高等教育の形を取らず、やはり生涯教育体系の一環を成す。しかし、高度専門職の社会的責任の高さに照らし、多目的大学校のような全入制ではなく、一定のアドミッションを伴う特別な専門学院が用意される。
 高度専門職学院のアドミッションは、性質上早期教育が必要な芸術/体育学院という例外を除き、何らかの職に少なくとも3年以上継続的に就いた経験を共通的な募集条件とする。高度専門職の社会的責任の高さは、他分野での職業人としての経験によって裏打ちされるべきことが理由である。
 ただし、前職がいかなる職業であってもよいというわけではなく、転職志望する高度専門職と何らかの関連づけができる前職が高い評価を受けることになるだろうが、結果として、高度専門職者は芸術/スポーツ分野という例外を除き、全員が他分野からの転職者ということになる。
 それに加えて、アドミッションでは形式的な点数評価に集約される学科試験は課さず、複数回にわたる入念な面接を通じた適性及び人格識見の総合評価が合否基準となる。高度専門職の社会的責任は知識の集積より以上に、適性と人格識見によって支えられるからである。

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共産教育論(連載第34回)

2019-02-05 | 〆共産教育論

Ⅵ 生涯教育制度

(4)専門技能学校
 共産主義社会では、大規模工場生産方式が基幹的産業に限局されていく一方で、多くの領域で職人的な仕事が復活してくるので、専門技能の習得は生涯教育において重要な意義を持つことになる。とはいえ、中世的な徒弟制でなく、より合理的な生涯教育機関を通じてである。
 その点、生涯教育機関としての多目的大学校は、職業人向けの実技的な科目を幅広く提供するとはいえ、あらゆる専門技能を網羅できるわけではないため、それを補充するべく、個々の専門技能の習得に特化した教育機関も必要である。それが専門技能学校である。
 多目的大学校がすべて広域自治体により設置される公立教育機関であるのと対照的に、専門技能学校はすべて私立の教育機関である。ただし、その教育機関としての地位においては多目的大学校と同格であり、両者に優劣はない。
 そうしたことからも、法令上正規の専門技能学校として認可されるためには、それぞれの専門技能職で結成する職能団体によって講師の配置やカリキュラムに関する設置基準を満たし、各団体によって専門技能学校として指定されることが必要条件となる。そのうえで、生涯教育を所管する広域自治体民衆会議の監督に服する。
 多目的大学校と専門技能学校の相違点は、選抜の有無である。前回見たように、多目的大学校はおよそ選抜プロセスのない全入制であるが、専門技能学校は個々の専門技能の習得を目的とするため、適性を検査する選抜プロセスの必要性を否めないからである。
 他方、次章で見る高度専門職学院との相違点は、高度専門職学院が一定期間の職歴を有する者を募集条件とするのに対し、専門技能学校は原則的に職歴要件を課さないことである。ただし、生涯教育機関としての性質上、一定期間の職歴を持つ者は優遇されるであろう。
 従って、基礎教育課程を修了した後、直ちに専門技能学校に入学することも基本的に可能であるし、多目的大学校と並行して入学することも可能であり、その位置づけは柔軟である。 
 なお、専門技能学校を修了した後、実際に専門技能職として活動するには、当該専門技能を証するための資格試験または免許試験に合格するか、資格・免許制によらない職能の場合は各職能団体が独自に課す一定の基礎的講習を修了する必要がある。

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共産教育論(連載第33回)

2019-02-04 | 〆共産教育論

Ⅵ 生涯教育制度

(3)多目的大学校
 生涯教育の拠点となるのは、多目的大学校である。この名称は法令上の定義名称であって、実際の公式名称はコミュニティ・カレッジその他のより親しみやすいものが採用されるであろうが、ここでは定義名称のまま記述する。
 多目的大学校とは、その名のとおり、様々な目的を持つ生涯教育にとって有益なプログラムを総合的に提供する成人向けの公的教育機関である。その設置は広域自治体(地方圏または準領域圏)が行い、学費は無償である。
 既存の大学制度とは異なり、入学に際して学力試験その他の少数選抜は一切行なわず、原則的に居住地域の管轄広域自治体の成人住民であれば、誰でも入学することができる。居住地域外の大学校への入学も可能であるが、居住地域住民が優先される。
 ただ、大学校で提供される科目には若干の差異はあれど、基本的に同一内容で統一されるため、大学校の選択に迷うということはなく、居住地域外の大学校をあえて選択すべき理由はさほどないと考えられる。
 多目的大学校には、大学のような学部制度も、複数科目をパックで提供する学科もなく、単独の科目が林立するだけであるので、学生はその中から自身に必要な科目を一つ選択し、または複数科目を自由に組み合わせて選択することができる。
 大学のように強制的な「卒業」という仕組みは存在しないため、学生は所定の単位数を取得する義務もなく、働きながら学びやすい。ただし、所定の単位数以上を履修し終えた学生に対しては、完全履修証書が発行されるが、これが言わば「卒業証書」の意義を持つであろう。
 こうした多目的大学校は、その性質上、職業上の資格ないし免許の取得にもつながるような実技科目が多くなるため、基礎教育課程とは異なり、通学に適した物理的な校舎を擁するまさしく「学校」なのであるが、教養的な科目については専用ネットワークを通じて通信制で提供される。
 多目的大学校の教員は科目ごとに常勤または非常勤の講師が当てられるが、大学のように教授を頂点とする職階制は存在せず、全教員は対等の地位にある。学内の運営は、学長を中心とする理事会によって行なわれるが、学長を含む理事は講師の中から教員総会によって選出される。
 多目的大学校は、学術研究センターのような研究機関ではなく、設置主体である広域自治体民衆会議の監督下に置かれる教育機関であるが、自治的に運営され、民衆会議といえども、大学校の運営に直接介入することは許されない。

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共産教育論(連載第32回)

2019-01-22 | 〆共産教育論

Ⅵ 生涯教育制度

(2)学術研究センターの役割
 共産教育は等級的教育制度を擁しないということは、既存教育制度では高等教育の拠点となってきた大学制度も存在しないことを意味する。単純化すれば大学制度は廃止されるということだが、厳密には学術研究センターに再編・改組されると言ったほうがよい。
 この大学改め学術研究センターは、大学が持っている機能のうち、学術研究の面を純化し、純粋の研究所として再編するものである。具体的には、理学部・工学部・経済学部等々の大学の各学部(及び大学院)がそれぞれ研究所として独立し、それら研究所の集合体が学術研究センターとして総括される形になる。
 ただし、医学部や法学部、教育学部などのように高度専門職の養成と結びついた学部については、それらの研究機能も後で述べる専門教育制度体系を成す高度専門職学院に統合されるため、学術研究センターからは外れることになる。
 学術研究センターは研究所の集合体として統合的に運営されるが、各研究所はそれぞれ独自に研究者を育成する。そのため、研究職を志望する場合は、基礎教育課程を終えた段階で、まず研究生として各研究所に「就職」し、先任研究者の下で実地訓練や、必要に応じて座学も受けることになる。
 学術研究センターは教育機関ではないので、教授職を頂点とする権威的な職階制システムは存在せず、職階制を廃した研究部門及びその内部の研究プロジェクトごとの責任者制度によって運営される。
 こうして学術研究センターは研究機関として純化され、教育制度体系から外れるのではあるが、生涯教育体系と全く無縁というわけではない。前回も触れたが、生涯教育は多目的であり、教養の向上も目的に含まれ得る。
 そのため、学術研究センターは生涯教育機関とも連携し、センター研究員が生涯教育機関で講師として講座を持ち、その研究成果を社会還元する試みは積極的に行なわれるであろう。そのような場としての生涯教育機関の実際については、次節で改めて述べることにする。

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共産教育論(連載第31回)

2019-01-21 | 〆共産教育論

Ⅵ 生涯教育制度

(1)生涯教育の意義
 共産教育は学歴を基準とした知識階級制の発生源となる義務教育―高等教育という等級的教育制度を一切擁しないので、標準で13か年の義務的な基礎教育課程を修了すれば―前にも述べたとおり、13年は厳格な修了年限ではない―、ひとたび全員が就職するというコースをたどる。
 しかし、賃労働制が廃される共産主義社会は、生活資金の元となる賃金の上昇に照応したライフコースに縛られることなく、自由な人生設計が可能となる社会であることから、そうした自由な人生設計を支える教育は、基礎教育課程修了後も生涯にわたって提供される必要性が高い。
 このように基礎教育課程に後続する教育課程を生涯教育と呼び、それに相応する制度が構築される。こうした生涯教育は、資本主義主義社会においてもしばしば聞かれる「生涯学習」とは似て非なるものである。
 「生涯学習」という語は多義的であるが、資本主義社会にあっては、大学を含む正規の学校教育を終えた成人が教養を向上させる目的で任意に学習を続けることを指すことが多い。そのため通常は生涯学習のための公式な制度は存在せず、大学が社会貢献活動として開設した市民講座や営利的な「カルチャーセンター」のような場で提供されるにすぎない。
 従って、それは自己負担による私教育の一環であって、公教育として提供されるものではない。当然、貨幣経済を前提とする資本主義社会では有償であるから、「生涯学習」が可能なのは、収入・資産にゆとりがあり、かつ時間もある中産・有閑階級以上の階層―特に退職した中高年層―に限られる。
 それに対し、ここでの生涯教育とは、基礎教育課程を修了した人が職業能力をさらに高めたり、昇進や転職したりするのに必要な知識技能を身につけることを主目的とした継続教育を指している。それは漠然とした付加的教養教育ではなく、より実践的な内容を持った実学的教育である。
 従って、生涯教育の受益者層は現職の中核的な勤労者層と重なり、年齢的にも壮年層が中心となるだろう。当然、対象者も多数に上るので、基本的には公教育として提供される必要がある。
 もっとも、生涯教育に求める目的は人により様々であり得るので、生涯教育は実学的な内容を中核としながらも、教養の向上や、何らかの事情から基礎教育課程を中断した人向けの補習教育といった目的にも対応するものとなる。その意味で、生涯教育はかなり広範な領野を有する複合的な教育課程となる。

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共産教育論(連載第30回)

2019-01-08 | 〆共産教育論

Ⅴ 職業導入教育

(4)障碍者職業教育
 前回まで見た基礎教育課程における職業導入教育のシステムは主として非障碍生徒を対象とする標準的なものであったが、職業導入教育は障碍生徒にも平等に提供される。
 貨幣経済が廃される共産主義社会の職業世界には能率至上の商業部門が存在しないため、全般的に職人仕事的なものが増えることにより、障碍者にも比較的働きやすいものとなるであろう。とはいえ、障碍の内容・程度によっては就労への障壁が高く、非障害生徒とは異なる対応が必要となる。
 その点、身体・感覚障碍者で程度も軽い場合は、非障碍生徒にほぼ準じたプログラムの適用が可能であるが、身体・感覚障碍の程度が重い場合や、知的障碍者の場合は特別なプログラムが必要となる。
 これらの場合は、就労に必要な身体的・感覚的・知的な能力の開発訓練が不可欠であり、そうした就労能力開発のプログラムがまずは提供される。これには、教員のほかに、理学療法士や言語療法士といった医療系専門スタッフの参加も不可欠である。
 そうした初動プログラムを前提に、労働理解や職場見学、さらにはインターンシップといった職業導入教育の標準的プログラムが提供されることになるが、インターンシップを開始する前に、障碍の内容と程度を改めて総合考慮した科学的な評価を実施する必要がある。
 身体障碍者で程度も軽い場合は、非障碍者に準じ、三分野自由選択式のインターンシップの適用が可能であるが、程度が重い場合や、知的障碍者の場合は科学的な評価に基づき、適切な職域を一つに特定する必要が高くなるだろう。
 インターンシップの仕組みは標準的なものと本質的に相違ないが、その評価はよりきめ細かく行なわれる。そのうえで、職業紹介所と連携し、障碍者雇用の模範事業所への就職に結びつけることになる。
 職業紹介所には障碍者雇用の専門相談員が配置され、職業導入教育とも密接に連携し、科学的な判定に基づき、適職を配分するという役割は、障碍者雇用に関してはいっそう明瞭なものとなる。

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共産教育論(連載第29回)

2019-01-07 | 〆共産教育論

Ⅴ 職業導入教育

(3)インターンシップと就職支援
 基礎教育課程に組み込まれた職業導入教育の最終段階(ステップ11以降)では、インターンシップが実施される。インターンシップは代表的な職域ごとに、予め指定されたインターン受け入れ事業所で実習生として試験労働をするというものである。
 全生徒が工業、情報、事務、公務、農林、水産、研究といった代表的な職域の中から、自身が進路として関心を持つ分野を三つ選択し、それぞれの指定事業所で3か月程度実習をする。これらの職域は必ずしも生涯の職ではなく、最初の第一次的な就労先となり得るものである。
 従って、後に専門教育制度の箇所で述べるように、医療、福祉、教育、法律等々、何らかの第一次的な職業経験を持つことを条件に、所定の資格ないし免許を取得することが要求される高度専門職に関しては、基礎教育段階でのインターンシップの対象外となる。
 インターン中の生徒は労働日ごとに労働日誌の記録を義務づけられ、インターン終了後に職業導入教育専任の教員に提出し、評価を受けなければならない。一方、インターン先での指導担当者も、担当する実習生の評価書を作成し、終了後教員に送付する。
 教員はそれらの書面を総合評価したうえで、各生徒に対する就職指導の基礎資料を作成する。就職指導は生徒との対面カウンセリングの形式で行い、この場で最初の進路を決定する。この決定に際しては心理テストも実施し、適職に結びつけられる。
 進路決定に基づき、教員は職業紹介所と連携して、マッチングを行う。共産主義社会の職業紹介所は単なる斡旋機関ではなく、職業導入教育とも密接に連携し、科学的な判定に基づき、適職を配分する公的機関である。
 こうして最初の就職先が内定した後、生徒は基礎教育課程最終のステップ13を終えて、基礎教育課程修了証明書を取得して、正式に就職するのが標準的であるが、職場によって基礎教育課程修了証明書を要しない場合はこの限りでなく、未修了のままいったん就職することも可能である。

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