ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

共産教育論(連載第28回)

2018-12-25 | 〆共産教育論

Ⅴ 職業導入教育 

(2)労働理解と職場見学、職業想像
 職業導入教育の第一歩は、そもそも働くことの意義を理解することから始まる。とりわけ貨幣経済が存在せず、労働に賃金その他の物的報酬が伴わない共産主義社会では、生活の必要から働く必要がないため、働くことの意義について十分な理解を早くから涵養しておく必要性は高い。
 そのような労働理解が職業導入教育のまさしく導入部となる。その点に関連して、精神分析学者エーリッヒ・フロムは物質的な刺激だけが労働に対する刺激なのではなく、自負、社会的に認められること、働くこと自体の喜びといった刺激もあることを指摘している。
 基礎教育課程の労働理解においても、まずはこうした物質的な刺激によらない労働意欲に関して学ぶ必要がある。この部分は、基礎教育課程における原則形態である通信教材によることが可能である。
 しかし、当然ながら、こうした抽象的な労働理解だけでは職業導入教育として不十分であり、実際に労働現場を見学し、働く人の姿を実際に見聞する体験教育も必要である。このような職場見学は「社会科見学」のような方式で、予め教育用模範労働現場として指定された職場に専任教員が生徒を引率して実施する。
 ただし、全職種についてこのような見学を実施することは、実際上も、また安全上も不可能であるので、見学できない職場については動画通信教材で補充することになるだろう。
 このように、既存の職業について見聞を通じて理解を深めることが、職業導入教育前半の大きな目的であるが、貨幣経済によらない共産主義社会では、貨幣経済下なら生計が立たないような新たな職業を自ら創造する自由も拡大される。このような職業創造への視野を養うことも、職業導入教育の課題である。
 この部分は、既存職業に関する理解を前提とした次なる発展段階であるから、基礎教育課程後半期の課題となる。ここでは、自ら創造してみたい職業についての構想を生徒に各自練ってもらい、その可能性について具体的にレポートの形でまとめるなどの自由な想像形式が採られる。

コメント

共産教育論(連載第27回)

2018-12-24 | 〆共産教育論

Ⅴ 職業導入教育

(1)基礎教育課程と職業導入教育
 共産教育における基礎教育課程の特色は、職業導入教育が組み込まれていることである。その点、伝統的な学校制度における義務教育課程では職業導入をほとんど顧慮せず、一般教養的なリベラルアーツ教育をミニチュア化した教科学習に特化しがちなこととは異なる。
 伝統的学校教育では多くの場合、義務教育課程修了後の継続教育課程で大学進学適格者と就職適格者とを振り分け、後者については何らかの職業校を提供するといったふるい分けが行なわれるが、このような早期分断政策は学歴を基準とした知識階級制の元凶となる。
 知識階級制と無縁な共産教育はそもそも大学制度を有さず、標準13年間の基礎教育課程を修了すれば、ひとまず全員が何らかの職業に就くことを前提に組み立てられるため、職業導入教育は基礎教育課程における基本七科と並ぶ主軸的プログラムとなるのである。
 職業導入教育の目的は生徒一人一人の適性と関心に応じて、適職へと導くことにあるが、就職活動のコツを伝授するハウツー講座ではなく、労働に関する深い理解のもとに、自ら人生設計することを手助けするものである。
 そのために、基本七科の各科目と同様に、職業導入教育にも、専門の免許によって認定された専任の教員が充てられる。職業導入教員は、生徒一人一人と向き合い、カウンセリングを通じて生徒を適職へと導く橋渡しの役割を負うので、心理学や社会学の素養も必要とする。
 職業導入教育は、生徒に職業への関心が芽生え始める基礎教育課程中期(ステップ6以降)から開始し、最終段階では、職業紹介所と連携した就職支援が用意される。そのプロセスもいくつかの段階に分かれるが、これについては改めて見ていくことにする。

コメント

共産教育論(連載第26回)

2018-12-18 | 〆共産教育論

Ⅳ 基本七科各論

(9)障碍者包摂教育
 これまでにも随所で言及してきたように、基礎教育課程は障碍者と非障碍者を分離しない包摂教育を実施するため、前回まで見てきた基本七科は、基本的に障碍生徒もカバーする共通科目である。とはいえ、障碍生徒にはその障碍の内容や程度に応じて、基本七科を部分免除したり、療育目的で履修内容に修正を加える必要性は否めない。
 その点、知的な障碍の有無及び程度が大きな目安となる。知的な障碍がなく、視聴覚を含めた身体面の障碍にとどまる生徒は、基本七科は内容を修正する必要なく、そのまま履修することができる。ただし、身体障碍の内容に合わせて、教材面では補助ツール―例えば点字表記や音声化、手話通訳動画等―の提供を要する。
 また車椅子常用等の要介助生徒であっても、原則通信制の基礎教育課程の履修上は問題ないが、一部の通学科目では介助サービスを提供する。ただし、健康体育科目については要介助者専用コースを提供するが、身体の状態によりそれも困難な場合は免除する。
 ちなみに、聴覚障害者にとって現状では最も有力な意思疎通手段となる手話は、聴覚障害生徒に対しては、言語表現科目の付随分野として必修化し、かつ非障碍生徒も任意で履修することができるようにする。携帯端末を利用する筆談ツールが高度化し、広く普及した場合、手話が必要なくなる可能性もあるので、手話必修化は暫定的な措置である。
 一方、知的障碍生徒に対しては、基本七科全体の修正または部分免除が必要となる。その点、基本七科の中でも最も基本的な言語表現科目と数的思考科目は、知的障碍生徒でも免除されない最低限度の必修科目となる。もっとも、その内容は知的障碍の原因や程度に応じて徹底的に個別化しなければないので、非障碍者向けの教材とは相当に異なるものとなる。 
 科学基礎科目や歴史社会科目、社会道徳科目といった抽象度の高い科目については、重度の知的障碍生徒に対しては全部免除せざるを得ないであろう。生活技能科目や健康体育科目のような実技系科目については、障碍の程度に応じて修正された内容が提供される。
 こうした包摂教育では全教員が障碍者教育の基本的な知識・技能を有することが前提的な義務となるから、普通教員免許と特別支援教員免許の区別は存在しない。ただし、最も教育困難な知的障碍者教育は専門性が高いため、相応の専門知識と技能を有し、特別な免許を持つ療育教員が充てられる。

コメント

共産教育論(連載第25回)

2018-12-17 | 〆共産教育論

Ⅳ 基本七科各論

(8)社会道徳
 社会道徳科目は、共産主義社会の成員としての基本的な道徳について学ぶ科目である。当科目は付随的な特別科目ではなく、基礎教育課程における基本七科の一つとして位置づけられる科目である。
 共産主義的道徳教育の最大重点は、反差別教育である。貨幣経済によらない共産主義社会は全成員の無償の社会的協力を通じて運営されていく社会であるから、互いに異質な者同士が排斥し合うのでなく、協力し合う社会慣習の涵養が不可欠だからである。
 そこで、「人間をその先天的または後天的に獲得された特徴・属性のゆえに劣等視してはならない」という道徳規範を基礎教育課程の全体を通じ、その発達度に応じて徹底的に体得させていかなければならない。このことはまた、いじめの防止にも効果的と考えられる。なぜなら、対象生徒の自殺を招くような深刻ないじめとは子どもの領分における差別行為にほかならないからである。
 反差別教育の方法論として、生徒に事物を弁別し、差別化する思考法が未発達な基礎教育課程の初等段階では、通学による交流体験を中心として実施する。この段階では、主として障碍生徒と非障碍生徒との交流を中心に、互いの共生をごく自然なこととして体験させることが目指される。
 中等段階に進むと、少数民族などより抽象度の高い被差別当事者との交流体験を取り入れ、ゲスト当事者の話を傾聴し、質疑応答するといった教科学習的な方法が採り入れられる。同時に、通信でも、差別の意味やその要因を考察する教材が提供される。
 終盤段階では、反差別教育の総まとめとして、人種差別や性差別といった差別をめぐる論争的なテーマについて、歴史的な考察を踏まえて、反差別的価値観を各自が確立することを手助けする通信教材が提供される。
 社会道徳科目の二本目の柱は、高度情報社会で不可欠となっている情報倫理である。情報倫理では、生活技能科目で学ぶ情報技能を前提に、情報ネットワークを正しい目的で利用するための倫理について学ぶ。インターネットを通じた差別言説の流布やいじめといった現象も惹起されているように、反差別教育と情報倫理教育は内的関連性を有する。
 社会道徳科目の三本目の柱は、性倫理である。これはいわゆる性教育と重なるが、そこでは両性平等や性的自己決定といった人権に加え、意図せぬ妊娠や性感染症、成人による性的捕食の犠牲など、未成年の安易な性体験の危険性を教え、性急な性体験を抑止することが教育の眼目であり、早期の性体験を前提とした避妊の技術教育であってはならない。
 このように当科目は独立した基本科目として位置づけられることから、専任の教員が充てられる。同時に、交流体験も多く導入されることから、外部ゲストを招聘する機会も多い点が当科目の特質となる。

コメント

共産教育論(連載第24回)

2018-12-11 | 〆共産教育論

Ⅳ 基本七科各論 

(7)健康体育
 健康体育科目は、健康の維持・増進を目的とした運動について学ぶ科目である。個々の競技の実習を中心とした競技体育と対照された意味で「健康体育」と名づけられる。
 その点、伝統的な学校教育における体育科目は多種の競技を総花式に教える競技体育を中心としているが、これは個々の生徒の適性や関心を無視した競技の押し付けであるばかりか、個々の競技の技能も上達しない無駄の多い教育方法である。
 基礎教育課程では、各人の適性や関心に大きく依存する音楽や美術などの芸術系教科を基本七科から除外するのと同じ理由から、競技体育は除外し、課外教育体系や個人的な習い事に委ねる。そのほうが、各人が適性と関心を持つ競技に専念できる点でも、効率的である。
 そうした趣旨からしても、基礎教育課程における健康体育科目は、病気やけがを予防するための体操やトレーニングを中心とした「運動実技」と、その前提として基礎的な運動生理を理解する補助領域としての「運動生理」とから構成される。
 「運動実技」は基礎教育課程初等段階から、生徒の身体的な発達度に合わせて内容を変えつつ、全課程に配分される。また身体的な発達に関する科学的な男女差を考慮し、中等段階以降では男女別コースで実施される点、他の科目にない特徴となる。
 抽象性が高いため、基礎教育課程の中等段階後期終盤(ステップ8以降)以降に開始される「運動生理」はおおむね通信制で提供されるが、運動機能測定のような通学制で実施される実習を含む。「運動実技」はその名のとおり「実技」であるから、通学制で提供される。
 こうした当科目の性質に応じて、基礎教育センターにはトレーニングルームを備えた室内運動場のほか、「運動生理」の実習用として種々の機材をそろえた運動機能測定室も設置される。
 なお、当科目は生徒の障碍の有無や内容によっては全面免除したり、機能訓練を兼ねた特別なカリキュラムが用意される場合もあり、個別性の強い科目となる。

コメント

共産教育論(連載第23回)

2018-12-10 | 〆共産教育論

Ⅳ 基本七科各論

(6)生活技能
 生活技能科目は、日常生活における基本的な衣食住に関わる知識と技能を学ぶ科目である。共産主義社会では各人の生活体験に根ざす判断力が重視されるため、日常生活の基本技能を学ぶ生活技術教育は一般教科と同等の重要性を持つ。
 全般に、資本主義下でもたらした技術革新は利便性を偏重し、自分の手で何かを作ったり、直したりする体験を子どものうちから奪った結果、人間はその本来の創造性を失いつつあるように見える。一方で、利便性を促進する機械化・自動化の波を押し戻すことは、共産主義革命といえども無理であり、日常的に使用する機械を正しく安全に操作する訓練も重要である。
 そうした観点から、伝統技能と先端技術が複合された社会における生活人としての素養を涵養することが、当科目の目的と言える。その目的に沿って、当科目は衣食住に関する伝統的な技能を学ぶ「伝統技能分野」と情報機器の扱いに関する「情報技能分野」とに分けられる。
 前者の「伝統技能分野」では、衣食住に関わる日常的な生活技能全般を学ぶ。具体的には家事・育児・介助や簡単な日用大工仕事、さらに清掃などである。ここでは、男子=技術・女子=家庭といった性別役割論に基づくカリキュラムは採用されず、かつ将来家庭を持つ/持たないにかかわらず、およそ生活人としての基礎的な生活技能の習得が目指される。
 この分野は内容的には盛りだくさんであるが、基礎教育課程の初等段階では清掃や簡単な物作りなど子どもとしての生活技能から始め、中等段階以降、次第に家事・育児など独立した生活人としての生活技能へと発展させていく。
 一方、「情報技能分野」は社会道徳科で学ぶ情報倫理を除いた情報の技術的側面に関する総合分野であり、コンピューターの仕組みとその基本的な操作法など情報機器の機械的な技能及び情報ネットワークの安全かつ正当な利用に関する基本的な技能を学ぶ。 
 ちなみに、プログラミングの知識と技能も「情報技能分野」の対象範囲であるが、プログラミングに特化したカリキュラムを組むのではなく、それもコンピューターの仕組みに関する総合的な理解の一環としての位置づけとなる。
 基本七科中、最も実学的要素の強い当科目でも、基礎教育課程全般を貫く課題探求型の内発的教育が妥当し、生徒は一斉に同じ課題をこなすのではなく、自ら関心のある課題を発見し、自ら実習するという方法論が採られる。
 なお、当科目の実習に関しては、設備の必要上、一部は通学制で提供されるが、三次元動画を活用した通信教材を導入すれば、当科目もおおむね通信制で実習することができる。「情報技能分野」は生徒各自に支給される専用端末自体が教材である。

コメント

共産教育論(連載第22回)

2018-12-04 | 〆共産教育論

Ⅳ 基本七科各論

(5)歴史社会
 歴史社会科目は、歴史を踏まえつつ、現存社会の仕組みについて学ぶ科目である。伝統的な学校教育科目では「社会科」の一部を構成するが、前回見たとおり、地理と経済の各分野は「科学基礎」に包含されるため、その残余が当科目とも言える。
 基礎教育課程の基礎七科中では最もイデオロギーに関わる領域であるだけに、政治的な関心が高まる基礎教育課程終盤(ステップ10以降)で提供される科目である。当科目は「歴史分野」と「社会分野」とに大別されるが、まずは前提となる「歴史分野」が先行する。
 ここでは、伝統的な歴史教育のように国史(例えば日本史)と世界史を分離する教育が廃される。世界史から切り離された国史は各国でナショナリズム教育の最前線となってきたところ、国家が廃止され、世界共同体へと包摂される共産主義社会ではそもそも成立しないカテゴリーとなるからである。
 ただし、共産主義社会においても、旧主権国家をおおむねベースとして形成される個々の「領域圏の歴史」というものはなお残るのであり(例えば日本領域圏史)、これを世界史の中に統合的に位置づけながら教育することは続けられる。
 ただし、世界史も伝統的な科目のように、先史時代に始まって現代史までを総覧的に教えるのではなく、おおむね産業革命に始まる近現代史に特化する。それ以前の前近代史に関しても、近現代史の理解の必要に応じて及ぶが、基本的には生徒の自学に委ねられる。基礎教育センターの図書室やデジタルアーカイブにはそうした自学に有益な書籍・資料が常備されるであろう。
 そのうえ、方法論としても、細かな人名や年号を機械的に暗記させるのでなく、重要な歴史的出来事をめぐる様々な解釈を理解したうえ、自身の解釈を構築することが目指される。その点、「唯物史観」を教条的に仕込むようなまさしく教条主義的な教育は、当科目とは無関係である。
 他方、「社会分野」は、近現代史の理解を踏まえつつ、歴史的な到達点としての共産主義的な政治・法律の仕組みを総合的・客観的に理解させることに重点を置く。これは、民衆会議代議員という重要な市民的任務をこなすうえで必要な初歩的理解を身につけさせることに主眼がある。
 それに関連して、「社会分野」では生徒各自が居住する全土から各市町村に至る民衆会議の審議中継の動画視聴学習に加え、生徒自身が一定の議題をめぐり代議員になり代わって審議に参加する模擬民衆会議のような通学実習も実施する。

コメント

共産教育論(連載第21回)

2018-12-03 | 〆共産教育論

Ⅳ 基本七科各論

(4)科学基礎
 科学基礎科目は、諸科学の基礎を学ぶ科目である。ここで言う「科学」は最も狭義の自然科学に限らず、一部人文・社会科学にまたがる広義の「科学」を意味している。その点で、伝統的な学校教科としての「理科」より広範囲に及び、伝統教科の「社会科」に一部またがる領域を持つ。
 科学基礎科目は、ある程度以上の抽象的な思考力を要するため、基礎教育課程の中等段階(ステップ3以降)から開始される。また如上のように基本七科中で最も広範囲であるだけに、当科目は以下の三つの下位系統に区分され、担当教員も各系統ごとに専任される。

○自然・生命科学系
 これは伝統的な「理科」に最も近い系統である。本系統はさらに、生命体に関して学ぶ「生物分野」と物質に関して学ぶ「物質分野」とに分かれる。
 具体的な分かりやすさの点では、「生物分野」に優先性があるため、最初は「生物分野」、それも動植物の生態学的な理解から開始し、徐々によりミクロで抽象度の高い細胞生物学や遺伝学の基礎へと進む。最終段階では分子生物学の初歩までカバーする。また人体の解剖学的構造、さらに性倫理教育の科学的基礎ともなる生殖の科学的仕組みを含む生理学など、基礎医学の初歩にも及ぶ。
 「物質分野」は、おおむね伝統的な物理及び化学にまたがる分野であるが、より基礎的な物理を中核とした内容であり、応用性の高い化学に関しては、元素周期表中、身近で基本的な物質に絞って学ぶにとどめられる。
 また物理に関しては、ニュートン以来の古典力学は割愛し、はじめから最新の量子力学の体系に沿って教育される。古典力学は近似値的な説明理論としてはなお有効ではあるが、科学史上はすでに過去の学説であり、現代的な基礎教育の対象としては必須と言えないからである。
 なお、伝統的な理科教育で公式的に重視されてきた実験は、原則通信教育で提供される基礎教育課程では実施しない。実験は学術としての自然・生命科学の命題立証においては不可欠の方法ではあるが、市民的な科学教養を涵養する基礎教育課程の科学基礎科目においては必須と言えないからである。

○人文・社会科学系
 これは社会科学に属する分野のうち、「地理分野」と「経済分野」を取り出した系統である。伝統的な教科では「社会科」に包含されてきたが、この二つの分野は社会科学の中でも最も客観性が高いことから、科学基礎科目に含めて教育される。
 この系統は自然・生命科学に比べてもいっそう抽象度が高いため、基礎教育課程の中等段階後期(ステップ5以降)から、しかも分かりやすさの点で優先性の高い「地理分野」から開始される。ここでは世界の地理的な特質とそれぞれの地理的区分における生活様式の対応関係の理解が中心となるが、地理において欠かせない地図の読解や測量法といった技術的な理解にも及ぶ。
 「経済分野」は、抽象度が高度なため、基礎教育課程後半(ステップ7以降)からの開始となる。ここでは共産主義経済の基本的なメカニズムについて、歴史的な他の経済体制と比較しながら学ぶ。

○地球・環境科学系
 これは地学的な理解を踏まえ、地球環境を保全するための環境学的な理解にも及ぶ系統である。伝統的な教科では地学に近いが、それだけにとどまらず、環境経済学など社会科学的な分野にもまたがる文理総合系統である。
 その応用総合的な内容からしても、上掲二つの系統の集大成に近い領域であり、基礎教育課程の終盤(ステップ10以降)で提供される。
 本系統は総合領域のため、分野を厳密に分けることは難しいが、おおむね「地学分野」と「環境分野」とに分けられる。「地学分野」では地球物理学や気象学の基礎を学ぶ。なお、伝統的な「地学」には天文学も含まれるが、本系統ではあくまでも地球の科学的な理解に資する限度で、他の天体との比較に及ぶにとどめられる。
 「環境分野」は、文理総合的な環境学の基礎を学ぶ。これは最も応用性の高い分野であるだけに、基礎教育課程の最終盤(ステップ12以降)で提供されることになる。

コメント

共産教育論(連載第20回)

2018-11-28 | 〆共産教育論

Ⅳ 基本七科各論

(3)数的思考
 数的思考科目は、数という概念を理解し、その基礎と応用を学ぶ科目である。当科目も、言語表現科目と並び、基礎教育課程の基幹的科目であるので、基礎教育課程全13ステップで、発展的に割り振られる。
 当科目は、伝統的な学校教育上の教科で言えば数学(算数)に該当するが、内容上は相当な相違点がある。すなわち、伝統的な数学科目が数学上の計算式や公式を暗記し、正解値を求める「算術」に終始しがちなのに対し、数的思考科目は、まず数学の基層にある様々な「思考」そのものの理解からスタートする。
 その点では、数学そのものというより、いわゆる「数学の哲学」に近い内容を持つ。実際、数学とは数字という世界共通文字(ないし図形)を用いた一つの論理的な表現行為である。その意味で、数学は言語表現の一種であると同時に、科学的思考法の有力な手段ともなる。まさに数的「思考」であり、それは言語表現科目と科学基礎科目とをつなぐ科目とも言えるものである。
 もちろん、基礎教育の初等段階では加算・減算・乗算・除算の基礎的な四則演算法の習得も目指されるが、最終的な目標はそうした計算式を覚えて正解を出すことにあるのではなく、これらの演算がどのような意味を持っているのかの理解に到達することを目指す。
 従って、教材についても、機械的な計算ドリルのようなものではなく、むしろアニメーションなどを活用したビジュアルな通信教材を用いて、数の概念を視覚化したり、計算問題に関しても、数式の羅列ではなく、視覚化された図式を使用して考察させるなどの工夫がなされるだろう。―視覚障碍者向けには、点字版の提供などの配慮もされる。
 基礎教育課程のステップを進むにつれ、次第にいわゆる「高等数学」に属するより抽象性の高い微分積分・幾何代数・関数といった分野に進むが、こうした「高等数学」段階になると、従来の数学教育では数学嫌いの脱落者を出しがちであった。
 その点、数的思考科目で取り扱われる「高等数学」は、抽象的で複雑な計算問題を解くのではなく、「初等数学」段階と同様に、それぞれの数式命題や定理の基礎にある「思考」そのものを理解することが目指される。
 それと同時に、それら「高等数学」の実社会における応用例について学習し、自身でも簡単な活用が可能になることが目指される。その点では、「高等数学」というよりは、「応用数学」と言える内容である。それに関連して、基礎教育課程終盤では、統計学の基礎も重視される。
 当科目の方法論としては、上述したようにビジュアル教材が広く活用されるが、基礎教育課程のステップを進むにつれ、コンピューターを使った計算法も学習する反面、暗算のような特殊技能は除外される。現代の市民的素養として必要な数的思考としては、計算機による演算のほうが必要性が高いからである。
 また、基礎教育課程全般について妥当することであるが、与えられた問題の正解を導くのではなく、自ら問題を立て、探求するという方法が全ステップで貫かれる点は、当科目についても同様である。

コメント

共産教育論(連載第19回)

2018-11-27 | 〆共産教育論

Ⅳ 基本七科各論

(2)言語表現
 言語表現科目は、各領域圏ごとの公用語(複数ある場合はすべて)及び世界公用語による表現力を身につける科目である。当科目は基礎教育課程の中でも、最も基礎的かつ基幹的な科目として、標準13か年の13ステップすべてで、発展的に割り振られる。
 当科目の目的は、共産主義社会を担う市民として、領域圏公用語及び世界公用語での読み書きの基礎的な力量を前提に、世界公用語を含む二つ以上の言語で、一定の事柄に対する自己の見解を自由かつ論理的にまとめる能力の育成にある。
 伝統的な学校教育上の教科では、一般に各国の公用語を「国語」として教えつつ、英語が公用語でない場合は英語を「外国語」として「国語」とは別立てで教えるパターンが多い。一方で、エスぺラント語のような「世界語(国際語)」はほとんど教育対象とされない。
 しかし、共産教育における基礎教育課程では、こうした伝統を覆し、およそ言語による表現全般を統合的に教育する。その際、「国語」に相当する各領域圏ごとの公用語による表現が基本となることは当然であるが、ここで言う公用語は事実上の公用語(共通語)を含み、かつ公用語が複数存在する場合は、可能な限りそのすべてを習得することが目指される。
 これに加え、世界公用語語の習得とそれによる表現も必修化される。その点、共産主義的な世界共同体は暫定的な世界公用語としてエスペラント語を指定するので、とりあえずはエスペラント語が軸となるが、仮にエスペラント語以外の新たな世界公用語Xが開発されるのであれば、その言語Xが教育言語に採用されることになるだろう。―知的障碍生徒に対しては、その理解度・発達度に応じて世界公用語を免除することもあり得る。
 要するに、当科目は各領域圏の公用語と世界公用語によるバイリンガルまたは、それ以上のマルティリンガルな言語運用能力の養成を目指す科目と言える。そのため、担当教員も教育対象となる言語すべての知見及び教授技能を要することになる。
 科目の方法論的な特徴としては、読むことにとどまらず、それ以上に書くことに重点が置かれることがある。たしかに、まずは読むことが表現行為の基礎であり、読むことは基礎教育課程の初等段階では重視される。
 しかし、読むことは本質的に受身的な表現行為であり、言語能力の最終目標は、自身で一定のレベルを保った文章が書けるようになることに置かれる。そのため、中等段階以降では、実際に自分で設定した自由なテーマの下に文章を書く訓練を繰り返し行なう。
 また、当科目の教材・題材としては、文学的な文章ではなく、すべて説明的ないし論説的な文章が使用される。文学的な文章の読解・表現力は市民的な素養を養うことを目的とする基礎教育課程では優先的な地位を持たないからである。
 ちなみに、指定されたテーマで、かつ制限字数内で記述するといった各種試験でしばしば実施される統制的記述課題は採用されない。共産教育は外部強制的でなく、内発的な知的探求を軸とした「構想力‐独創性教育」を本質とするからである。
 それとも関連して、当科目はメディアやインターネット経由の情報の正確かつ批判的な読解力―情報リテラシー―を習得する教育を包含する。高度情報社会における表現行為は、膨大な情報の収集及び咀嚼という情報リテラシーを前提とするものだからである。
 ところで、言語能力には読み(読解)・書き(記述)に加えて、話し(弁論)も含まれるわけだが、弁論に関しては、基礎教育課程の終盤段階で、通学によって提供される。ただし、任意選択にとどまる。弁論教育は、弁論を必要とする職業を志望する者に特化すれば十分だからである。

コメント

共産教育論(連載第18回)

2018-11-26 | 〆共産教育論

Ⅳ 基本七科各論

(1)基本七科前説
 13か年一貫制の基礎教育課程における教科教育は、基本七科としてまとめられる。すなわち、①言語表現②数的思考③科学基礎④歴史社会⑤生活技能⑥健康体育⑦社会道徳の七科である。各科目の具体的内容に関しては次節以下で個別に見るとして、ここでは基本科目に含まれていないいくつかの想定科目について見ておく。
 まず一見してわかることは、音楽や美術(図工)に関わる科目が存在しないことである。現行の学校教育ではこれら芸術系科目も必修的(または選択必修的)に提供されるのが一般である。しかし、芸術系科目はあげて生徒の個人的な関心と資質―私見によれば、その両者の収斂的総合がいわゆる「才能」―に依存するのであり、たとえ選択制でも、全生徒必修とすべきではない。
 そこで、これら芸術系科目―演劇や舞踊も含め―は基本七科には含めない。芸術系科目のうち、音楽分野の吹奏楽のようなものは基礎教育課程の付随的な課外活動として提供することはあってよいが、芸術分野は原則的に生徒の自発的な習い事として外部の専門的な指導者に委ねられる。
 また、後に該当節でも再言するが、体育系科目が「健康体育」と規定されるのは、特定の競技スポーツを学習する「競技体育」が基本七科から除外されることを意味している。無数に存在し、現在進行的に増加している競技スポーツも、生徒の個人的な関心と資質に依存する点では芸術分野とパラレルな関係にあることから、これらも課外教育ないし個人的な習い事に委ねられる。
 さらに、高度情報社会を前提とする基礎教育課程であれば、「情報処理」のような情報特化科目も想定されるところであるが、基本七科にはそれが見えない。これは、情報教育を除外する趣旨ではない。実際、基礎教育課程は原則としてインターネットを介した通信教育で実施されるのであるから、その過程そのものが高度情報化されていると言ってよい。
 従って、6歳から開始される基礎教育課程の初年から情報機器の扱いができなくてはならない。その点では、基礎教育課程の全体が一個の情報教育だとも言えるので、「情報処理」と銘打った特殊科目を用意することはないのである。
 その代わり、「言語表現」科目の中に情報読解力(いわゆるリテラシー)の養成が含まれるほか、「生活技能」の中に情報機器の機械的な仕組みや安全な取扱全般に関する技術教育が包含され、さらに「社会道徳」にはインターネット利用に係る情報倫理教育が包含される、というように情報教育は各科で必要に応じて包含的に行なわれる。

コメント

共産教育論(連載第17回)

2018-11-20 | 〆共産教育論

Ⅲ 基礎教育課程

(6)統一教材の使用
 正規の教育課程では、科目ごとに教科書が使用されるのが通例である。自由主義的な教育論からは教科書を使用しない教育法も提唱・実践されているが、脱教科書主義教育は指導教員の資質や力量に大きく左右されるため、どの教員に付くかにより教育レベルの不合理なばらつきが避けられない。
 他方、複数の市販教科書の中から、指定教科書を地域ごとに選択するやり方も、出版社により内容の異なる市販教科書がどの地域に居住するかにより、一方的に選択・強制されるという不合理を避けられないから、そのような教科書選択主義も適切でない。
 共産教育における基礎教育課程は、全市民の平等な知的啓発を目指す観点からも、教材使用に係るいかなるばらつきも容認しない。そこで、およそ文字教材に関しては、基礎教育教材開発機構によって作成された統一教材が全土で使用される。
 しかも、全世界市民の平等な知的啓発を推進するため、使用教材の全世界的な統一を目指すべく、基礎教育開発機構の教材は、現ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)を継承する世界教育科学文化機関が作成した世界教育ガイドラインに沿った内容とする。
 このガイドラインは世界共同体に包摂される各領域圏に対して絶対的な拘束力を持たず、各領域圏教育行政の裁量を容認するが、ガイドラインから明らかに逸脱した教材が使用されている領域圏に対しては、世界教育科学文化機関を通じて是正の措置が採られる。
 基礎教育課程の教材は、もはや紙の教科書ではなく、オンライン教材として提供される。これは基礎教育課程がインターネットを使用した原則的な通信教育の形態で提供されることに相応したものであって、オンライン教材は、予め全生徒に配布されたタブレット型の専用端末にセットされた状態で提供される。
 その内容も、伝統的な学校教育で使用されてきた教科書とは異なり、事前知識として与える解説は必要最小限度に抑えたうえ、生徒が予め設定された「練習問題」の解答を考えるのではなく、逆に生徒自らが問いを立て、自らがその問いを探求するという形で進行していく。
 そのため、生徒の自主的探求を補助するために参照可能な優良ウェブサイトや電子書籍などにも、専用端末からアクセスすることができるようにセットされる。そうした生徒の自発的な探求をサポートするのが基礎教育課程教員の主要任務であることも、以前の回で記したところである。

コメント

共産教育論(連載第16回)

2018-11-19 | 〆共産教育論

Ⅲ 基礎教育課程

(5)基礎教育課程の科目編成
 通信教育を原則とする基礎教育課程に学年はなく、標準で1年を単位とする13か年一貫のステップがあるのみである。また自習を基本とするため、全員一律に適用されるカリキュラムも存在しない。ただし、基本となる七つの科目―基本七科―が存在する。
 基本七科の各内容については後に詳論するが、ここで項目のみ列挙すると、①言語表現②数的思考③科学基礎④歴史社会⑤生活技能⑥健康体育⑦社会道徳の七科目である。これら基本七科は、標準13か年にわたる基礎教育課程の中で、生徒の発達度に応じて段階的に割り振られていく。
 例えば、基礎教育課程の初等段階(おおむねステップ1乃至2)では、すべての知の基礎となる①言語表現と②数的思考が中心となる。③科学基礎は抽象的な思考力が発達し始める中等段階(おおむねステップ3以降)からスタートする。④歴史社会は社会的な関心が芽生える中等段階後期(おおむねステップ6以降)からスタートする。
 もちろん言語表現や数的思考は全課程を通じて、徐々にレベルアップさせながら通年的に提供されるし、⑤生活技能や⑥健康体育などの通学制で提供される実技科目や、通信制と通学制が組み合わされる⑦社会道徳についても同様である。
 なお、障碍者統合教育が実施される基礎教育課程では、障碍者にも基本七科が提供されるが、障碍の内容や発達度に応じて、適切に修正された内容となり、場合によっては、科学基礎や歴史社会のようなアカデミックな性格の強い基本科目が免除されることもある。
 他方、生活技能では、非障碍生徒も共通内容として障碍者の生活について学ぶが、実際の障碍者の生活設計にとって必要な補助具の使用法などについては、障碍者コースに特化した形で提供される。
 基礎教育課程には、以上のような教科科目のほかに、職業導入科目が組み込まれる。これは、教科科目とは全く別立てで、おおむね中等段階からはじめは職場見学の形でスタートし、高等段階に入ると、提携する指定職場でインターンとして実際に職業体験をする。
 職業導入科目は教科科目のような細分化された科目制を採らないが、工業、情報、事務、公務、農林、水産、研究といった代表的な職域ごとに、職業理解に関する通信教育と上述のような実地教育の組み合わせによって提供されることになる。

コメント

共産教育論(連載第15回)

2018-11-13 | 〆共産教育論

Ⅲ 基礎教育課程

(4)教員の役割及び養成
 前回見たように、基礎教育課程が原則的に通信教育として提供されると、教員の役割も既成の学校教員のそれとは大きく異なることになり、教壇に立って大勢の生徒に向かって説諭する御馴染みの教員の姿は見られなくなる。
 それに代わって、教員は基本的には生徒たちが自分のペースで標準13か年の各ステップを進んでいく上での学習アドバイザーという性格が強くなるだろう。実際、基礎教育課程の教員は、基礎教育センターに常駐して、生徒からの質問・相談に電子メールや遠隔チャット、または面談の方式で答えることが主要な役割となる。
 このような教員像は、個別学習塾の指導員に類似していると言える。実際、基礎教育課程の教員は、全員が科目ごとの専従制を採り、既成の小学校教員のように、単独で全科目を指導するという包括担当制を採らない。包括担当制は、通信制での個別学習の指導には適さないからである。
 一方で、基礎教育課程の教員は、学習塾の指導員とは異なり、あくまでも正式な義務教育課程の教員であるから、個別の教科指導にとどまらず、各生徒の適性や興味関心に応じた将来の進路も考慮した上での総合的な教育を使命とする。
 そのため、教員は担当する生徒と定期的に面談し、学習状況に加え、日常の生活状況も把握し、必要に応じて保護者とも面談する。また、保護者からの教育上の相談にも応じる場合もある。
 さらに、障碍者統合教育を実施する関係上、すべての教員は障碍児教育に関する知見も有し、障碍の内容や程度に応じた個別教育を行なう力量を要する。障碍生徒の状態によっては、家庭教師のような訪問指導も行なうこともある。
 このような教員像からすれば、その免許や養成のあり方も自ずと既存のものとは異なるものとならざるを得ない。まず、教員は基礎教育課の各科目ごとに専門教員免許が付与される一方、障碍者教育を包括した統合的免許として付与される。
 また、教員の質の均一化を図り、地域による教育レベルの格差が生じないよう、教員免許試験は全土一律なものとされる。ただし、採用に関しては各教育区ごとに行なわれるので、身分としては教育区の所在する地域圏(郡)の公務員である。
 こうした基礎教育課程の教員養成は、後に述べる高度専門職学院の一環である教育学院で一元的に実施される。すなわち、教員となるには、教育学院の基礎教育課程教員養成科を修了したうえ、上述の統一免許試験に合格する必要がある。

コメント

共産教育論(連載第14回)

2018-11-12 | 〆共産教育論

Ⅲ 基礎教育課程

(3)原則的通信教育
 共産教育における義務的な基礎教育課程は、既存の教育システムとは相当に異なるが、中でも最も大きな特色は原則的に通信制を採るということである。すなわち、通信制では提供できない一部科目を除いて、基本的には遠隔通信教材を用いて実施される。
 そのため、既存の教育システムにおける学校という形態を採らない。もっとも、13か年一貫制のシステム全体を機能的な意味で一つの「学校」とみなすことはできるが、校舎という物的な施設を伴う学校制度ではない。
 具体的に言えば、生徒は専用インターネットを通じて予め配信された通信教材を用いて、自宅または指定自習室を利用して、自分のペースで学んでいく。教材のあり方については後に述べるが、各科目ごとに既成の知識を満載した教科書ではなく、一定の基礎知識を前提に自ら内発的に問いと立てて探求する作業を繰り返していく方式である。
 もっとも、基礎教育課程の初等段階(既存義務教育制度のおおむね小学校1、2年相当)では、まだ自ら問いを立てることが困難であるため、言語や数を中心とした基礎的な知識の習得も実施されるが、それも自ら問いを立てるための前提知識の習得という意義を持つ。
 そのため、通信教育で提供される科目では、教師が一方的に開設する講義スタイルの受身的「授業」は一切排除される。ただし、基礎教育の初等段階では、アニメーションを活用した解説型の映像教材が多用されるが、13か年のステップを進むにつれ、解説型映像教材の割合は低下し、完全自習型の教材が中心を占めるようになっていく。
 通信教育に必要なインターネット回線及び端末は専用のものが無償かつ安全にすべての子どもに提供される。この専用インターネット回線は、基礎教育の教材開発を専門とする機構が直営する専用プロバイダーを通じて提供され、予めセットされた厳重なフィルター機能により教材及び教科関連の優良サイト以外へのアクセスは遮断される。
 また、前回見たように、基礎教育課程は障碍者統合教育を基本とするため、障碍を持つ生徒向けには、その障碍の特性に合わせた障碍者支援機能が備わった専用端末や専用教材が提供されることになる。
 こうした遠隔通信教育を有効に実施するため、基礎教育の提供主体となる地域圏の各地区―教育区―ごとに基礎教育センター(以下、「センター」と略す)が設置され、そこに教員を配し、指定自習室や図書室、通学で提供される一部科目用の教室や室内運動場も附置する。この施設は外見上は既存の校舎に類似するが、学校というよりは教育サポート施設である。
 生徒は、自身の趣向や家庭事情に応じて、自宅学習か指定自習室での学習かを随時選択できる。教員への質問や相談は随時電子メールや遠隔チャットで受け付けるほか、事前予約すれば、センターで教員と面談し、個別に質問や相談をすることもできる。
 なお、通信制では提供できない科目として、健康体育や生活技術といった実技科目のほか、職場見学やインターン方式を採る職業導入教育、反差別教育の一環としての障碍者コースとの交流教室などがあるが、これらについては各該当項目で改めて触れる。

コメント