ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

共産教育論(連載第13回)

2018-11-06 | 〆共産教育論

Ⅲ 基礎教育課程

(2)健障統合教育
 共産教育における基礎教育課程は、既存教育制度とは異なり、健常者教育と障碍者教育とを分離しない統合教育を基本とする。共産主義社会は、障碍の有無で人の社会的立場を分けることのない対等な社会参加を軸とするものだからである。
 従って、満6歳から満18歳までの13か年一貫制教育という基本構造は、障碍者教育でも共通である。とりわけ、視聴覚の感覚障碍や知的障碍を伴わない単一的身体障碍児の場合は非障碍児と完全に同等の扱いとなる。
 こうした高度な統合教育は、基礎教育課程が通信制を原則とすること、また13か年を標準年限としつつも、学年制を採らず、それ以上の期間をかけて自分のペースで学べるという柔軟構造によって担保される。
 柔軟な統合教育を効果的に実施するためにも、基礎教育課程就学前に、すべての就学予定児を対象に、その時点での心身の状態に関する総合判定を実施、各自にどのような教育的対応が適するかを検査し、確定する。このような判定検査は、必要に応じて、就学後も随時実施する。
 その結果、感覚障碍児や知的障碍児、さらには複合的障碍児の場合は、それぞれの障碍を克服するべく、治療を兼ねた特別教育―療育―を必要とするので、非障碍児とは別途、特別な療育科目が用意される。これは個別性が強いので、少人数の集合教育及び訪問教育の双方を通じて、専門的な免許と技能を備えた教員によって提供される。
 また知的障碍児の場合は、基礎教育課程で提供される科目の多くを知力向上のための療育科目に置き換える必要があり、この限りでは、統合教育に特例を認めることになるが、特別支援学校のような形で完全に普通教育から分離してしまうわけではなく、あくまでも基礎教育課程の中の特例コースとして用意されるものである。
 従って、療育の結果、知力が通常レベルにまで発達し得た場合には、その時点で通常科目の学習へ切り替えるなどの柔軟な対応も可能となる。また、非障碍児と障碍児が相互の理解と尊重を深めるために、基礎教育課程の早い段階から、反差別教育の一環として、交流授業が必修的に取り入れられる。

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共産教育論(連載第12回)

2018-11-05 | 〆共産教育論

Ⅲ 基礎教育課程

(1)基礎教育課程の概要
 義務保育課程を修了すると、満6歳から基礎教育課程へ就学する。両課程間には入学試験その他による選抜プロセスは一切介在せず、全員一律の自動的な就学である。しかし、満6歳到達時を待って就学するため、一律一斉の入学とはならない。
 基礎教育課程はいわゆる義務教育に相当するもので、公教育の主軸を成すが、伝統的な義務教育が通常、数年程度に限定されているのとは異なり、満6歳から満18歳まで通算13か年に及ぶ点で長期にわたる。これも貨幣経済が廃される共産主義社会では、義無教育サービスに要する金銭コストを考慮する必要がないからである。
 反面、私立の基礎教育課程は認められず、すべて公立である。具体的には、市町村より一段広域の地域圏(郡)が一括して提供する公教育サービスとなる。私立学校は公教育の不備を補充する歴史的役割を負ってきたが、公教育が充実する共産主義社会ではそうした役割を終了するからである。
 共産教育における基礎教育課程の最大の特色は、通信制原則である。すなわち、体育など通信制では提供できない一部科目を除き、インターネットを活用した通信教材を用いて、自宅または指定自習室で学ぶ方式となる。
 こうした自由な方式を採る結果として、基礎教育課程には明確な学年や学級も存在しない。ただし、全13か年は一学齢ごとに区切られた13段階のステップで構成されるが、13か年はあくまでも標準修了年限であって、13年以上かけて修了することもできる柔軟な構成である。
 ただし、各ステップには、各科目ごとに定められた回数の義務的課題提出があり、これをすべて提出しない限り後続ステップには進めないが、所要点数による落第処分はなく、提出し、担当教員の審査を受けることが即進級条件となる。そのようにして全13ステップを修了すると、基礎教育課程修了認定証が発行される。 
 その他、共産教育における基礎教育課程の内容的な特色として、その中期以降に職業教育が必修で導入されることがある。この点で、普通校と職業校とを分離し、早期に人生経路を分けてしまう学歴階級制的な教育システムとは大きく異なる。

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共産教育論(連載第11回)

2018-10-30 | 〆共産教育論

Ⅱ 義務保育制度

(4)保育師の役割及び養成
 保育の専門家は日本語では「保育士」と呼ばれ、公式資格化されてきた。資格呼称において接尾辞「師」と「士」を微妙に使い分けるのは日本の資格制度特有の慣例であるが、ここで「師」でなく、「士」が使われるのは、保育職が教育より福祉の領域に位置づけられている証左である。
 しかし、保育が義務化され、義務教育の前段階として位置づけられる共産教育における保育専門職は教育専門職の一環として位置づけられるべきであるので、「士」ではなく、「師」を用いて「保育師」と称されるのが適切である。
 この変化は単なる呼称の形式的な変更にとどまらず、その役割の変容をも反映する。すなわち、保育師は子どものケアのみならず、前回述べた三つの段階に応じて、それぞれにカリキュラム化された教育も実施する教師としての任務を負うことになる。
 加えて、保育師は保護者の育児に関する相談業務にも応ずる育児カウンセラー的な役割をも担う。前章で見たように、共産主義社会の教育では「社会が子どもを育てる」原則に従いつつ、保護者は社会の委託に基づき、一定の養育義務を負うため、公的な保育と家庭での養育とが分離されることなく、保育師は担当児の家庭内養育に関しても支援的に関与するのである。
 さらに、前回も触れたように、義務保育課程では障碍児・非障碍児の統合保育を行なうため、保育師は障碍児の療育に関する知識と技能をも持ち合わている必要がある。この場合、保育師が家庭訪問して保育する訪問保育も一部導入される。
 このように保育師が教師+カウンセラーとしての広範な役割を負うとなれば、その専門性は保育士よりも高いものが要求されることになるため、養成も教員に準じて正規の教員養成機関で行なわれなければならない。保育師の養成機関に関しては、次章で教員養成機関について述べる箇所にて改めて触れることにする。
 もっとも、義務保育制度となれば、対象児が多数にのぼることを考慮し、保育師の監督下にその業務を補助し、保護者との連絡業務なども担う保育助手のような補助職の配置も必要となろう。保育助手は専門資格の保育師とは異なり、一定の講習の受講だけで取得できる認定資格である。

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共産教育論(連載第10回)

2018-10-29 | 〆共産教育論

Ⅱ 義務保育制度

(3)義務保育課程の内容
 共産教育における義務保育課程は、義務教育としての基礎教育課程の準備段階として位置づけられるわけだが、前回述べたように、その対象年齢層としては生後6か月から満6歳までとなる。通算すれば、約6年というかなり長い年月にわたる。
 ただし、基礎教育課程のように1年ごとの標準学年制は採らず、0歳児から1歳児までを対象とする乳児課程、2歳児から3歳児までを対象とする早幼児課程、4歳児から5歳児までを対象とする幼児課程の年齢別三課程で構成される。
 このうち、乳児課程は対象者がまさに乳児であることからして、個別的な託児ケアの要素が強いことは否めないものの、共産教育における保育は教育的要素が軸であるため、乳児心理学や乳児教育学の知見を生かした第一言語(母語)の習得に重点を置いたプログラムが実施される。
 これに続く早幼児課程は、第一言語習得を本格的に展開するとともに、社会性を育てるための社会性教育が開始される義務保育の中間段階である。そのため、乳児課程に引き続き個別性を保ちながらも、徐々にグループ学習のような手法のウェートが増やされる。
 とはいえ、共産教育における社会性とは多様な他者の受容にあるから、強制的な集団同調ではなく、他者との対等かつ寛容な関わり方の体得に重点が置かれた教育となる。
 義務保育課程最終段階の幼児課程は、基礎教育課程へつなぐ橋渡しの課程であるから、継続的な社会性教育とともに、一定程度教科学習の予備的な内容も導入される。特に初歩の数理的な理解である。といっても形式的な計算力に重点を置く「算数」に偏らず、数という概念を根本的に理解させるための学習である。
 ところで、共産教育では、反差別の観点からも障碍児と非障碍児との統合教育が目指されながらも、障碍児の特性に配慮した特別教育も実施されるが、義務保育段階では障碍児と非障碍児を区別せず、完全な混合保育が行なわれる。これによって、事物弁別能力が未発達な乳幼児の段階から、障碍者に対する自然な受容的態度を涵養することが可能となる。
 ただし、障碍の原因となっている疾患に応じて常時医療的ケアを必要とする障碍児に対しても、障碍児専用保育所が用意されるのではなく、訪問看護師・ヘルパーなどが通常の保育所に付き添うサービスが提供される形で、統合保育が保障される。

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共産教育論(連載第9回)

2018-10-23 | 〆共産教育論

Ⅱ 義務保育制度

(2)義務保育制度の概要
 義務保育課程は、義務教育課程としての基礎教育課程の前段階として位置づけられるものであるが、制度としては基礎教育課程とは区別される。すなわち、基礎教育課程は市町村よりも広域的な地域圏を主体として提供されるが、義務保育課程は基礎自治体としての市町村を主体として提供される。
 義務保育は基礎教育課程の前段階とはいえ、対象者が乳児を含む非自立的・要保護的な幼児であり、そこには自ずと福祉的なケアの要素が不可欠であるため、福祉を含む生活行政全般を担う市町村の任務として割り当てたほうが適切だからである。
 保育は保育所を通じて提供される通所型サービスであるうえに、全員の義務となれば、極めて多数の保育所施設を要することになるが、その点、貨幣経済が廃される共産主義社会においては、各市町村が保育対象者全員を通所させ得るだけの保育所施設を確保することは可能であるので、保育所不足問題は解消される。
 ちなみに、私立の保育所は認められない。義務化された保育課程は、基礎教育課程と同様、全面的に公共的サービスとして、公的な責任体制の下に提供されるものとなるからである。
 義務保育の対象年齢は、生後6月から基礎教育年齢に達する6歳までである。すなわち、この年代の幼児は、保護者側の事情いかんにかかわらず、保育所に通所する義務があるということになる。ただし、義務的な保育時間は原則として午前または午後の半日である(半日保育制)。
 従って、例えば保護者が就労しておらず、終日子どもの世話が可能な環境にあるとしても、原則半日は子どもを保育所に通所させる義務があることになる。このようなサービスは一見不要不急にも見えるが、保護者にとっても半日の育児休息(レスパイト)としての意義が認められるであろう。
 なお、緊急的な場合を含めて保護者側の事情により半日を越えて託児する必要がある場合は、任意的な保育として時間延長することも認められる。同様に、保護者側の事情により託児の必要性が認められる場合は、生後6月未満の乳児であっても、任意保育として受け入れられるが、この場合は必要性に関する事前審査を要する。

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共産教育論(連載第8回)

2018-10-22 | 〆共産教育論

Ⅱ 義務保育制度

(1)共産主義と保育
 「保育」という日本語は、保護と教育とを合成した微妙なニュアンスを含む用語である。つまり、「保育」とは語義上、福祉と教育の混合された営為である。しかし、英語ではchildcareと福祉ケアの側面が強調されることになり、教育的営為のニュアンスが表面に現れない。
 実際、保育の語を用いる日本の場合も、保育は教育課程の一環としては位置づけられておらず、幼児教育は基本的に幼稚園の役割となっているが、幼稚園教育は義務化されず、任意的である。このように幼稚園を義務教育から外し、保育から区別する政策は多くの資本主義諸国で採用されている。
 その結果として、子どもを幼稚園へ通わせる経済的・時間的余裕のある階層と、共働きもしくは片親(特に母子)家庭のため、子どもを保育所へ託さざるを得ない階層との格差が乳幼児期から発生し、この格差は子どもの人生設計にも少なからぬ影響を及ぼす結果となる。
 その点、共産主義社会における保育の概念は、資本主義社会のそれとは相違し、明確に教育の準備段階として位置づけられる。すなわち、それは義務教育に相当する基礎教育課程の前段階としての幼児教育課程であって、基礎教育課程と同様に義務的である。
 このような義務保育制度は、Ⅰでも見たとおり、子どもの第一次的な教育責任を親ではなく、社会が負う共産主義社会の原則から導かれるものである。とはいえ、保育を基礎教育の前段階として位置づけるにしても、義務化までする必要があるかどうかについて疑問もあり得よう。
 しかし、「鉄は熱いうちにうて」のたとえどおり、早幼児期の保育は共産主義社会を担う社会的な人間の育成という点で重要性を持っている。そこで、基礎教育課程教育のみならず、保育課程に関しても義務化する必要性は高い。
 あるいは、義務化するならば、むしろ幼稚園教育を義務化するほうがより教育的ではないかという疑問もあり得るが、共産主義的保育においても、福祉的な託児ケアの要素が完全に除去されるわけではないこと、また共産主義的保育はいわゆる「英才教育」の場ではないことから、幼稚園教育という形態を採らないのである。
 その一方で、幼稚園教育に相当するものは保育の中に内包される形で、止揚的に統合される。すなわち、保育の概念が教育的に拡張される結果として、保育の中に幼児教育の要素が組み込まれることになるのであるが、その具体的な内容については節を改めて述べることにする。

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