ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

暴民政化するアメリカ

2021-01-07 | 時評

新年早々に世界を驚愕させたアメリカの連邦議事堂集団乱入事件。昨年の大統領選挙の結果が「盗まれた」というトランプ大統領の主張を支持する者たちによって実行されたものであるが、こうした出来事を見ると、アメリカの政治が民主政から暴民政に変容しつつあることが看取される。

民主政は市民が理性的に思考し、行動できることを前提に成り立つものであるが、乱入に参加した暴徒たちは、選挙当局が発表した選挙結果を信ぜず、トランプ大統領の主張だけをひたすらに信じるという思考法を採っているがゆえに、あのような暴挙に出たのである。

こうした暴民の多くは、トランプ大統領とは対照的な中産階級もしくはそれ以下の階級に属していながら、富豪のトランプに心酔し、無条件に従うという奇妙なねじれを示している。このような傾向は、現代アメリカにおいて、反動的な扇動政治家に惹かれる思想的な根無し草の層がかなり厚くなっていることを示唆する。

そうした根無し草階層を扇動して熱狂的・盲目的な支持基盤とするのがすべてのファシズムに共通する特徴であり、現代アメリカでは、さしあたりトランプがアメリカン・ファシズム運動の象徴となっているのである。

それにしても、アメリカの根無し草階層は、アメリカ民主政の殿堂と言ってもよい連邦議事堂に乱入するだけのエネルギーを持ち合わせていることだけはわかった。しかし、残念ながら、かれらはエネルギーの使いどころを誤っている。

かれらのあり余るエネルギーを正しい方向に向け変えるためには、再びワシントンの学歴エリート層を呼び戻すことでは全くの逆効果である。2016年にトランプを当選させたのは、そうした学歴エリートによる支配に対するアメリカ国民の幻滅と反感だったからである。

このような学歴を主要な基準とする階級社会は、アメリカに限らず、現代のほぼすべての諸国で発現してきている現代的な階級社会のありようであるが、高等教育制度が世界で最も充実しているアメリカでは、トップエリートの大学院卒から中間の大学卒、そして高校卒以下という学歴階級制が明瞭に表れやすい。

近年のアメリカ社会を表すキーワードとなっている「分断」とは、単に共和党vs民主党とか、トランプ派vs反トランプ派といったメディアが掲げたがる形式的な図式ではなく、如上の学歴階級制による日常の思考法や行動原理にまで至るアメリカ国民の分裂状況を示している。

特に白人の(相対的な)低学歴層は、有色人種の社会進出が進み、白人より上位に浮上する有色人種も少なくない―その究極は初の有色人種大統領オバマ―現代アメリカ社会における人種間逆転に脅威やある種の嫉妬に基づく反感を募らせ、かれらをして反オバマを旗印に登場したトランプの熱狂的支持に向かわせているようである。

その点、公式の選挙結果によれば次の大統領となることが確実なバイデンの政権が、ワシントン学歴エリートのカムバック政権となるならば、政権がいくら美辞麗句として「分断」の修復を謳っても、問題の解決にはつながらないだろう。

現代のアメリカにおいて、正しくエネルギー転換を実行する根本的な方法は、我田引水を恐れず言えば、筆者が年来、提唱してきたような「民衆会議」の結成をおいてほかにないと考える。言わば、アメリカン・ファシズムへの流れをアメリカン・コミュニズムへと向け変えることである。

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選挙政治の終わりの始まり

2020-12-06 | 時評

2020年アメリカ大統領選挙は、投票日から一か月を過ぎてもいまだに勝者が正式に確定せず、事実上敗北したとみなされているトランプ現職大統領側は「不正投票」の存在を指摘して、自身を勝者と主張している。コロナウィルスによる全米の死者が30万人に迫ろうとする中、来月の政権交代が円滑に実施されるのか、何らかの手段でトランプ現職が居座るのか、予断を許さない混沌とした状況になっている。

一体全体アメリカはどうなったのか、と問いたいところだが、このような混乱は、一般投票→選挙人投票と二段階を踏む間接選挙というアメリカ大統領選挙に特有の古典的な方式に固有の技術的な弊害とみなすこともできる。現時点では最終的に勝者を決する選挙人投票が未了であるので、勝者は法的に確定していないとも言えるからである。

トランプ大統領は、先月末、選挙人投票の結果、バイデン氏が勝利すれば退任すると表明したものの、彼は選挙人投票の前提となる一般投票上の「不正」を強く主張しているため、選挙人投票の結果いかんにかかわらず、最後まで敗北そのものは認めないだろうとも言われる。

「退任はするが、敗北は認めない」―。何やら禅問答のような話であるが、選挙における投開票と集計の正確性をめぐるこのような混乱は必ずしもアメリカ大統領選挙に特有のことではなく、本来、投票による選挙という制度全般につきものである。

選挙では通常、当局が集計し、投票結果を正式に発表すればすべての候補者がそれを信じ、従うことが言わば暗黙の了解事項となっている。ところが、今回、トランプ大統領は根拠を示すことなく「不正」を繰り返し高調することによる宣伝効果を通じて、選挙制度の信頼性を揺るがすという巧妙な戦術に出ている。

実際、秘密投票という原則からしても、投票→開票→集計の全過程を完全に透明化し、その正確性を確証する手段はない以上、候補者自身も一般大衆も、一連の過程は正確に遂行されたものと「信じる」しかないのが、選挙が本質的に持つ弱点である。その弱点を突いたトランプ大統領の悪知恵の鋭さも相当なものである。

これはアメリカにとどまらず、世界にとって重要な悪しき先例となるだろう。アメリカは政治職のみか、裁判官、検察官、保安官といった司法・警察職に至るまで、あらゆる公職を選挙する「選挙王国」。中でも、大統領選挙は一年余りもかけて、予備選挙・本選挙を通じて勝者を厳選する―二党支配政という狭い枠組み内ではあるが―世界でも例を見ない方式であり、世界における選挙の範例とみなされてきた。

そのようなアメリカが誇る最大の公職選挙において、選挙制度の信頼失墜戦術が先例となれば、これからは世界中の選挙で、敗者側が「不正投票」を主張して敗北を認めないということが普及する可能性がある。場合によっては、敗北した現職執政者が戒厳令の発動などの非常措置で「不正」な選挙結果を覆す強硬策に出ることも頻発するかもしれない。―トランプ自身がそうした強硬策に出る可能性も否定できない。

以前の時評『21世紀独裁者は選挙がお好き』でも論じたように、かつて民主主義のシンボルでもあった選挙というものが、今や独裁者の正当性獲得手段となってきている。トランプ大統領もまた、選挙における真の勝者であることを主張することで、自身のワンマン統治を正当化し、二期目を確保しようとしているわけである。

選挙王国アメリカで選挙制度の信頼性が損なわれたことは、選挙政治全般の終わりの始まりを画するものと言えるだろう。民主主義の方法として選挙が唯一絶対のものであるという前提は崩れようとしている。ただし、選挙政治の終わりの始まりは、民主主義の終わりを意味しない。むしろ、世界は、民主主義の方法として、選挙に代わる新しい方法を発見すべき時代の始まりに直面しているのである。

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ワクチンの計画的分配―資本主義の試金石

2020-11-29 | 時評

先般、サウジアラビアで開催されたG20首脳会議における共同声明の中で、国際製薬資本による新薬完成が間近と取り沙汰される新型コロナウィルス・COVID‐19のワクチンに関して、「全ての人々が手頃な価格で公平に利用できるよう、努力を惜しまない」という文言が盛り込まれた。

この文言が単なる政治的なリップサービスではなく、真に世界的規模で、全世界の津々浦々にワクチンを供給するプランの表明だとしたら、直ちに疑問となるのは、今日ではG20すべてが前提とする資本主義世界市場において、いかにして、薬剤の計画的かつ全世界的な公平分配という人類史上前例のないプランを実現させ得るかということである。そのような壮大なプランは、二つの点で市場経済原理と衝突する。

一つは、そもそも、ありとあらゆるモノを商品として貨幣と交換で生産・流通させる資本主義経済においては薬剤といえども一個の商品であるから、市場価格で購入できる者だけが早い者勝ちで取得できることが原則であり、特定の商品を統制価格で全員一律に購入させることは資本主義的ではない。中でも厳重な特許権にガードされた薬剤の場合、開発企業の市場支配力は強大である。

仮に、その点は今回限りの“人道的な”例外として公平な価格統制を認めるとしても、一国のみならず、全世界的規模で、津々浦々のすべての人に「手頃な価格」で届くように、特定の薬剤を生産・供給するという施策は、通常の市場経済ルートでは不可能なことである。実際、そのような生産と供給がどのように行われるのか、イメージできない。

文字通りにそのようなプランを実行するには、全世界的な規模での計画経済システムを一時的にでも構築しなければならないはずであるが、一国内においてすら計画経済システムを忘却し、そもそもそれを発想することすらやめてしまった世界において、グローバルな規模での計画経済システムの構築などできるのであろうか。

さらに付け加えれば、今般のワクチンは異例の超短期的な治験による見切り発車的な供給となるため、全世界的なレベルでの精密かつ中立的な薬剤の認可制度と、供給後の不測の事態に備えて、ワクチンの作用/副作用に関する継続的かつ中立的な監視システムとが必要であるところ、現存国際社会はそのようなグローバルな規模での適確な規制や監督を可能にするほど、統合されてはいない。

いずれにせよ、今般のワクチン供給問題は、資本主義にとっての歴史的な試金石として、見ものとなるだろう。もし、G20首脳会議の共同声明どおりに全世界への公平分配が見事達成されれば、コミュニストながら、資本主義をいくらかは見直さなければならないかもしれない。

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2020年米大統領選は「国民投票」

2020-11-01 | 時評

アメリカには全米レベルでの国民投票の制度はないが、投票日が今月3日に迫った2020年アメリカ大統領選挙は、たった二つの政党の候補者のどちらが大統領にふさわしいかという単純な選択を問うものではない。もしそうなら、74歳と77歳の爺様対決ほど退屈なものはないだろう。

しかし、今般大統領選は単純な選挙を超えて、アメリカの今後の体制を選択する事実上の国民投票に近い様相を呈してきている。すなわち、トランプ大統領によるアメリカン・ファシズムへの移行か、それとも初代ワシントン大統領以来の古典的な三権分立に基づく共和政を維持するのかどうかの選択である。

過去四年間、トランプは170年近い伝統を持つ共和党(Republican Party)をほぼ乗っ取り、事実上のトランプ党(Trumpian Party)に変えることに成功し、ホワイトハウス内では親族やイエスマン/ウーマンだけを集め、専制的にふるまってきた。

しかし、三権分立テーゼに立ち、大統領の権限・任期ともに制約する合衆国憲法には手を付けられず、事実上の御用メディアと化したFoxニュース以外の批判的な報道機関を統制することもできず、完全な独裁者にはなり切れていない。

もしトランプが勝利・再選すれば、改憲ならぬ“壊憲”に踏み込むかもしれない。例えば、「解釈改憲」による大統領任期制限の撤廃(事実上の終身大統領制)、大統領の下院解散権の付与、反政府的言論の禁止などである。あるいは、大勝すれば、その勢いで正面から憲法修正に挑み、如上の修正条項を創設する道も開けるかもしれない。

現時点の世論調査では、民主党のバイデン候補がリードしているとされるが、世論調査は調査者の願望が投影された“世論操作”の道具であるから、当てにならない。前回2016年大統領選でも事前の世論調査結果を裏切り、トランプが当選を果たしている。

その点、筆者は政治分析とは別に、差別問題の視点に立ち、トランプの口から連日のように繰り出される差別的言説がマス・メディアで報じられることの宣言効果により、彼の当選を後押ししてしまう危険を指摘し、5年前の共和党内予備選挙の前から、彼の大統領当選を半ば予見していたのであるが(拙稿:トランプ差別発話への対処法)、同じことは今般選挙にも妥当する。

それに加え、今回は現職の強みを生かして、トランプ陣営とその協力者の州知事、裁判官らが合法的な形で投票妨害を画策することによって―トランプ親衛隊のような民間武装組織による非合法な妨害行動も懸念されている―、民主党支持者に投票させないようにしたり、投票を無効化するといった術策を駆使しようとしているため、これが功を奏すれば、前回と同様に、劣勢予測を覆して勝利する可能性は残されていよう。

いずれにせよ、「国民投票」は前向きのものではない。かつて世界大戦ではアメリカがその打倒のために犠牲を払ったはずのファシズムの亡霊をアメリカで蘇生させるのか、それとも古典的な三権分立を護持するのかという後ろ向きの問いが問われているにすぎない。ここに、18世紀の生きた化石のようなアメリカ合衆国の限界が見て取れる。

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戦犯亡霊政権の約8年

2020-08-30 | 時評

史上最長記録を更新した安倍政権が、―とりあえず―終了する運びとなった。思えば、政権が塗り替えた前の最長記録保持者は、安倍氏の大叔父に当たる1964年‐72年の佐藤栄作首相であったが、佐藤政権と言えば、その時代に進展した「高度経済成長」と「沖縄返還」がキーワードである。

では、新記録達成の安倍政権のキーワードは? 政権が悲願としていた改憲は未実現であったし、その余の具体的な実績もすぐには浮かんでこない。そのため、安倍政権は長いだけで何も成果がないという辛辣評価も見られる。しかし、この政権の歴史的な意義は、成果よりもまさに長さにあったと言える。

周知のとおり、安倍氏はかつて第二次大戦のA級戦犯容疑者(不起訴)だった岸信介の孫に当たる。岸は公職復帰した戦後、第56代及び57代首相として、日米安保条約改定を断行して現行の従米保守体制の基礎を築き、“昭和の妖怪”の異名を取った人物である。同時に、侵略戦争を擁護し、東京裁判の意義を否定していた岸は当然にも改憲に熱心で、逆走の戦後史を象徴する人物でもあった。

大戦の戦犯容疑者が戦後、首相に登るということも、諸国に例を見ない異常事だったが、そのような人物を敬愛し、遺志を継ぐ孫が国民の安定的な支持を得て史上最長期政権の主となったということも、心ある者にとってはある種の衝撃である。安倍政権は、その長さによって、戦後の復古主義の一時代を作ったと言えるのである。戦犯の亡霊が徘徊した約8年━。 

それにしても、歴代短命政権が多い日本で、何故にかくも長く安倍政権が持続したのかという問題は、それ自体相応の頁数を要する考察に値するだろうが、仮説的要因としては、自民党が結党以来初めて総選挙で惨敗、下野した後の奪回政権であったこと、また如上のような復古主義政権ゆえに、ある種のカルト的支持基盤を持つ政権であったことなどが考えられる。

政権応援団の復古主義者らにとっては、夢の8年だったろう。数か月前までは永遠に続くかの勢いだったのに、外から持ち込まれたウイルス禍のせいで心労から首相の健康状態が悪化したとして、突然終了したのは、さぞ無念に相違ない。しかも、約8年をもってしても、宿願の改憲は未着手、いわゆる北方領土や拉致といった外交懸案も未解決、花道のはずだった東京五輪はパンデミックで延期・・・と散々である。

にもかかわらず、安倍政権の約8年が、逆走の戦後史を確定させたことは確実である。今や、逆走に明確に反対する勢力も個人も風前の灯火、いずれ絶滅するだろう。見えない圧力によるメディア統制も常態化し、無難な話題ばかりを追い、政権の外交基軸でもある「制韓」政策に沿う情報満載のニュース報道・論説は、検閲された国営メディアのそれと大差ない。

次期政権が外観上復古色を薄めたとしても、復古主義の基本線は変わらないだろう。それどころか、長期政権の後に短命政権が続くという古今東西の政治的経験則からすると、後継政権が短命に終わり、体調を回復した安倍氏が来年以降、首相に再度復帰することもあり得るだろう。

近い将来の「第三回安倍政権」の可能性を想定すれば、戦犯亡霊政権は終焉したのではなく、復活待機状態に入ったにすぎないと受け止めなければなるまい。この国の逆走は、悲願の改憲が成るまで続くだろう。そのためにも、改憲派野党に近い人物が暫定的な後継者となるに違いない。


[付記]
本稿の論旨から外れるため、本文での詳論は避けたが、祖父(岸)、大叔父(佐藤)、孫(安倍)の同族三者がそろって首相経験者などという“民主主義”が何処にあろう。このような貴族政に近い同族門閥政治の風習は、日本人の多くが信じている民主主義が包装だけのものに過ぎないことを裏書きする。

[追記]
安倍後継菅内閣の防衛大臣に、安倍氏実弟の岸信夫氏(衆議院議員)の就任が決まった。同族政治極まれりである。

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為政者と健康情報

2020-08-29 | 時評

権力政治における為政者は様々な秘密を抱えているが、中でも最も秘匿したいのは健康情報である。もちろん、壮健さではなく、病気に関わる情報である。とりわけ、生命に関わる病気をひた隠すことが多いのは、そうした情報が発覚すれば、直ちに政敵や対立勢力が蠕動を始めるからである。

そのため、権力政治家にとっての健康情報は単なる個人情報を越えて、事実上の国家機密とみなされる。為政者が病気で執務不能となったり、果ては死亡しても、その事実を秘匿して代行権者が代理したり、影武者を使って健在を偽装するという古典的手法もある。

しかし、こうした健康情報の秘匿は、権力政治の術策ではあっても、民主的とは言い難い。反面、為政者の健康情報がどの程度開示されるかは、民主主義のバロメーターの一つに数えてよいかもしれない。その点、先日、辞意を表明した安倍首相は、かねてより自身が難病を抱えていることを公表してきた限りでは評価できる部分がなくはない。

とはいえ、この人の場合、十数年前の第一回政権当時から、政権継続の意を表明/示唆した直後に突然辞意表明するというやり方を繰り返している。これは意図的な戦術なのか、それとも突然気が変わるのか、あるいは本人には留任の意思がありながら、第三者の介入で辞意表明させられているのか、外部からは窺い知れない。

戦術とすれば、いったんは留任すると思わせて突然辞任すれば、次期党首の座を狙う党内ライバルや政権奪回を目指す野党にとっては不意打ちとなり、選挙対策等が準備不足となることから、自身の「意中」の後継者を立てやすくなるというメリットを得られる。

安倍氏がそのような戦術として自身の難病情報を利用しているとすれば、かなりの策士ということになるだろう。本来なら政治的弱点となるはずのマイナス情報を逆手利用して、権力政治を有利に乗り切ろうとしていることになるからである。

ここでは憶測による断定は避けるが、為政者の健康情報というものは、秘匿するにせよ、逆手利用するにせよ、これを権力政治の道具とすることは非民主的であり、為政者の健康情報が適正な形で開示されることは民主主義の要諦である。

その点、アメリカには大統領医務官(Physician to the President)という公式の役職がある。大統領医務官は、大統領府医務室(White House Medical Unit)の長でもあり、大統領の健康管理全般を担い、大統領の健康状態について適宜に会見をし、公表する役割も担っている。

もちろん、大統領医務官も私的な主治医ではなく、大統領府の一員であるからには政治性を免れず、すべての情報を正確に開示するとは限らないが、公式の医務職であるから、彼/彼女が正当に職務を果たす限り、大統領の健康情報が透明化される意義は大きいであろう。

君主に近い国家元首であるがゆえに宮廷侍医に匹敵する専属医務官を擁するアメリカ大統領と、政府首班ではあれ、天皇に任命される行政府の長にすぎない日本の内閣総理大臣では立場が異なるだろうが、最高位為政者の健康情報の透明化という点では、参照に値する制度と思われる。

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終戦75周年に寄せて

2020-08-15 | 時評

終戦75周年という歳月を「まだ」と見るか、「もう」と見るか、微妙な歳月である。75周年と言えば、「もう」三つの四半世紀をまたいだことになる。終戦時20歳の若者も御年95歳。しかし、「まだ」一世紀=100年は経過していない。

「まだ」と見るなら、世界大戦は完全に過去のものとなっておらず、いつでも再発の恐れがあるから、大戦の惨禍を語り継ぎ、銘記しなければならないことになる。実際、兵士として第二次大戦に参加した人も少ないながら世界中に存命しているから、「まだ」という面は否定できない。

一方で、「もう」という面も年々強くなっている。実際、大国同士が国力を総動員して総力戦を展開する世界大戦の危険性は、この75年でゼロとはいかないまでも、かなり低下している。

その秘訣として、現在の国際連合を中心とする国際秩序がまさに国連という第二次世界大戦の戦勝国主導で作られた戦争抑止機構によって支えられており、この枠組みが次第に脆弱化、外交儀礼化しながらも持続しているおかげで、世界大戦を抑止し得ていることは否定できない。

とはいえ、こちらも75周年を迎える国連は、旧連合国時代に共闘し、核兵器保有特権を持つ米英仏露中の五大国が、米英‐仏vs中‐露に大きく二分しつつ、核で威嚇牽制し合うことで大戦を抑止している状態である。その点、「現実主義者」が常套句としている「核の抑止力」も、あながち虚構ではない。

もう一つの「もう」として、戦争の仕方が大きく変容したことである。徴兵された兵士が地上で撃ち合って戦うという戦法はもはや過去のものであり、現代の戦争の中心はミサイル攻撃や無人標的攻撃を含む空中戦である。徴兵制を持つ諸国はまだ少なくないが、空中戦では大量の素人兵は必要なく、訓練された精鋭の職業的兵士で足りる。

その結果、戦争を徴兵される立場で我が事として実感することが困難になり、他人事となりつつある。戦争が、兵士として参加するものから視聴者として観覧するものへと変化しているのである。加えて、遊興の戦闘ゲームの影響からか、戦後世代の間では、戦争をゲーム感覚でとらえるような見方もなくはない。

あと四半世紀進めば、戦後100周年。その時まで国際連合がいくらかなりとも実効性ある形で維持されているかどうかは予測できない。100周年には、第二次大戦参加者も死に絶えているだろう。

その暁には、大戦の記憶はすっかり風化し、再び大戦が勃発するのか。それとも、全く新しい恒久平和の機構が出現しているだろうか。後者を待望するが、楽観はしていない。一つ確実なことは、戦後100周年には筆者も当ブログも存在していないだろうということだけである。

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人種概念の「廃棄」か、「終焉」か

2020-06-28 | 時評

アメリカでの人種暴動・抗議デモを契機とする反人種差別抗議行動が世界に広がる中、ドイツで、差別を禁じる憲法条文中にある「人種」という表現を削除するか、他の文言に置き換えるべきだとの議論が与野党で広がっているという。人種という概念自体が差別を助長するとの問題意識が背景にあるとも指摘される(時事通信記事:リンク切れ)

提唱者の標語を借りれば、「人種はない。あるのは人間だけだ」ということになる。

たしかに、現生人類は生物としては一つの種であり、これを主として肌の色を基準に「人種」に分けるという発想は非科学的である。特に、遺伝学が大きく進展した現在では、遺伝系譜を無視した肌色分類はナンセンスである。

特に「白人」という概念ほどばかげたものはない。なぜなら、文字通りに肌色が白い「白人」など存在しないからである。もし、文字どおりに肌が白なら、それは先天疾患のいわゆるアルビノであろう。*アルビノは、「人種」に関わりなく、しばしばいじめや差別、迫害を受けてきた。

とはいえ、人類をY染色体ハプログループやミトコンドリアDNAハプログループの型に基づく遺伝系譜によって分類することは可能であり、遺伝系譜上の「人種」という概念は、必ずしも非科学的ではないかもしれない。

従って、憲法から「人種」の用語を削除しても、それだけで人種差別という事象が廃絶されるわけではない。むしろ、別の用語による言い換えや禁止語による差別が依然して横行するという可能性は排除できない。

問題は人種という用語自体よりも、人種分類という習慣を終わらせることである。その結果、白人、黒人、有色人種・・・・といった人種分類用語は慣用されなくなり、死語となるだろう。

その点で、反人種差別の抗議運動が「Black Lives Matter」を標語化していることには―黒人差別こそ人種差別の中核という歴史的かつ現在的な理由があるにせよ―、複雑な感想を持たざるを得ない。

むしろ「Each Life Matters」であるべきではないか。ちなみに、All Lives ではなく、Each Lifeと単数個別形にするのは、人々をallでひとくくりにするのでなく、一人一人として把握するためである。このような視座から、表題の問いに答えるなら、人種概念の「廃棄」ではなく、「終焉」である。

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アメリカ人種暴動の深層構造

2020-06-01 | 時評

アメリカが目下、COVID-19パンデミックの世界最大中心地となる中、ミシガン州ミネアポリスで非武装のアフリカ系市民(黒人)が職務執行中の白人警官に窒息死させられた事件をきっかけに、全米規模のデモが暴動に展開したことは、改めてアメリカという国の不幸な成り立ちに思いを巡らす機会となった。

アメリカは、元来、先住民を排除し、黒人奴隷制を利用する白人によって建国され、開拓された国である。200年の時を経ても、多数派を占める白人にとって、先住民や黒人は同胞国民ではなく、不穏な異人か、せいぜい憐みをもって接するべき他者にすぎない。

実際、全人口の10パーセント内外の黒人や、同1パーセント未満で多くは居留地に閉じ込められている先住民を伴侶や親友に持つ白人はほとんどいないという状況では、白人が黒人や先住民を同胞と認知することは困難である。

その点、日本ではアメリカの正式国名United States of Americaをどういうわけか、「アメリカ合国」とする訳が定着しているが、直訳はむしろ「アメリカ合国」である。アメリカはの連合体ではあっても、汎人種的なの連合体ではないのだ。

もっとも、自由平等を理念とする独立革命で成立したアメリカは、19世紀に奴隷制廃止、20世紀に新連邦公民権法の制定という画期点を迎え、少なくとも、制度的な人種差別を克服する歴史的な努力は重ねてきたが、白人の意識に巣食う非制度的な人種差別までは一掃できていない。このような言わば心の差別が、ほとんど故意に黒人を死に至らしめるような白人警官の人種差別的な法執行を横行させている。

こうした非制度的人種差別慣習を法的に除去することは簡単でない。当面の対策として、連邦公民権法に再び改正を加えて、人種差別的法執行を明確に連邦犯罪とし、全件を連邦裁判所で審理することや、州裁判所の陪審評決に人種差別の疑いがあれば、連邦裁判所への破棄申し立てと再審理を認めるなど、司法分野での公民権確立を進めることは有益かもしれない。

しかし、まさしく州の連合体として、各州が自治的に享有する州の司法権を制約するこのような連邦法の大改正には大きな反発が予想されるし、まして白人優越主義者を支持基盤に持つトランプ政権と共和党が推進することはないだろう。

より根本的には、人種差別と骨絡みである「アメリカ合州国」=United States of Americaを汎人種的な「アメリカ合衆国」=United Peoples of Americaへと作り直すことである。そのためには、現存のアメリカはいったん解体する必要がある。目下、全米規模で広がる抗議活動は―単なるデモや暴動に終始しなければ―そうしたアメリカ解体の第一歩となるかもしれない。

とはいえ、United Peoples of Americaというものは、もはや国家ではなく、国家なる狭い枠組みを乗り超えた、まさに民衆の連合体ではないだろうか。その点、主権国家を止揚した領域圏という筆者が年来提唱する概念に近いものとなるのかもしれないが、この件については保留としておきたい。

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マスク2枚と10万円

2020-04-16 | 時評

絶句中につき、本文なし。

[付記]
真に必要なこと、それは非常時生産制度を創設して、必要な医療・衛生用品や育児・介護用品の増産を企業に義務付けること、休業する零細事業者従業員への公的な賃金保障制度、事業者への休業補償制度を確立することである。

[追記]
マスク2枚と10万円申請用紙がようやく手元に届いたところで、少しばかり発語を回復しつつあるが、この子供騙しの「対策」のために投入された/される公費及び国内外における労働力の大きさを考えると、改めて絶句しかける次第。

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民衆保健学への展望

2020-04-05 | 時評

各種の感染症パンデミックに際して、前面に出てくる知的体系が公衆衛生学である。この学問は、広い意味では医学の系列だが、患者個人の治療法を研究し、実践する臨床医学とは異なり、公衆を対象とした保健衛生政策とその実施に関わる学術とされる。

そうした学術内容からして、公衆衛生学は政治行政との結びつきが強い。患者よりも為政者に向けた学術と言える。そのため、公衆衛生学は生命科学の一分野でありながら、科学より統治の学の色彩が強い。その結果、公衆衛生学は為政者に利用されやすい性格を否めない。

その歴史的な最悪の例が、ナチスの障碍者大量殺戮計画T4作戦である。これは、優生学という公衆衛生学の応用的亜種とも言えるもう一つの知的体系が前面に出て、劣等的遺伝子を根絶し強靭な遺伝子のみを残して健康的な国民を育成するという趣意から実行された犯罪的政策であった。

これは極端な例であるが、今回のCOVID-19対策に関しても、公衆衛生学は為政者の望みをかなえている。多くの国では、ウイルス封じ込めを理由とした外出禁止、移動制限、都市封鎖といった強権措置を発動したい為政者の望みに答え、それを有効な策として提言している。

他方、日本では五輪開催に最後まで執着し、業界利益を擁護する為政者の意志を忖度してか、経済活動に打撃を与える非常措置は回避しつつ、検査数を抑制し、統計上感染者数を低く保ち、「持ちこたえている」ように見せることに公衆衛生学が助力してきたのであるが、五輪延期決定を境に反転し、そうした統計操作自体が持ちこたえられなくなっている。

どちらが正しいかは問題ではない。強権措置をとって短期的な「封じ込め」に成功したとしても、完全にウイルスを撲滅できるわけではなく、新規患者数の減少というある種の統計操作による暫定的な解決をもたらすだけである。そこへ行きつくまでの外出制限の長期化は生産活動・社会活動の停止による窮乏を招き、その状態で何か月も持ちこたえられるはずはない。

他方、日本式寡少統計操作は、国民の油断を招き、不用意な対人接触による感染者を急増させている。ありがたくも温情ある政府がマスク二枚を国民に下賜しても、もはや事態の悪化にマスクは被せられない。

いずれにせよ、民衆は置き去りである。これを機に、公衆衛生学に代えて、為政者でなく、民衆に寄与する民衆保健学のような知的体系の台頭が要請される。民衆保健学は、臨床医学と同様に、科学的根拠を重視し、人々の暮らしを守りつつ、疾病の予防策を提示する学問であるべきである。

パンデミックに際しても、基本的な生産活動・社会活動を維持しながら、ウイルスに対して最も脆弱な人々を守るために有効な策を提示することである。現下の問題で言えば、リスクが高いとされる高齢者や基礎疾患の有病者、乳幼児を守るために有効な策の提示である。同時に、治療の最前線にいて、自身が感染しやすい病院スタッフの安全策も忘れてはならない。

公衆衛生学の歴史の長さとそれが持つ権威の壁を破ることは容易でないだろうが、今回の手ごわいCOVID-19パンデミックが民衆保健学の創出に向けた陣痛となることを願うものである。

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「世界コロナ恐慌」の可能性如何

2020-03-08 | 時評

平常時には万能に見える資本主義市場経済が非常時に弱いことは証明済みであるが、今般のコロナウイルス禍でまたも脆弱さを露呈している。何と言っても、今や「世界の工場」にして、世界の観光産業の最大顧客ともなっていた中国を直撃したことが最大の要因である。

マスクのように医療機関にとっては必需品、家庭にとっても必需に近い有益品まで生産を中国に依存するというある種の国際分業体制が急激に停止すれば、グローバル資本主義はたちまち立ち往生してしまう。他方、現代資本主義において枢要な第三次産業となっている観光業の総不振も、それだけで打撃として十分過ぎるほどである。

さらに、中国に続き、アメリカでも急速に全米規模で感染が拡大しており、後発的な感染爆発に進展する兆しが見える。そうなれば、資本家大統領トランプの下でここ数年好調だったアメリカ経済に打撃となるばかりか、アメリカから「逆輸入」の形で、国境を越えた第二波のウイルス拡散現象が発生する恐れもある。

それでも、主として北半球だけの感染爆発に終わればまだ救いはあるが、南半球はこれから冬の季節を迎える。コロナウイルスが冬季に流行しやすい性質を持つとすれば、北半球で終息しても、続いて南半球が感染爆発期を迎えるかもしれない。そうなれば、まさに十数年前の金融危機に端を発する世界大不況と同程度か、より深刻な世界恐慌に進展する恐れを否定できまい。

いずれにせよ、21世紀のグローバル資本主義は自然災害危機の連続である。新型ウイルスの発生も一つの自然現象であるが、国際的な人流が極限的な規模に達していることが、ウイルスの急速なグローバル拡散を可能にし、人類の心理的特性でもある不合理なパニック行動を通じて、自らの経済システムに打撃を与えてしまう。

そうした危機のつど、資本主義はなりふり構わずびほう的な「緊急対策」で表面的には危機を乗り越えていけるように見えても、何度も繰り返し重傷を負った人体と同じように、その機能は度重なる荒療治により長期的に低下していくことを免れないだろう。

今般の経済危機に対しても、すでに世界の資本主義支配層はびほう策を準備しているから、ウイルスによって資本主義が完全に崩壊することは回避されるのだろうが、金融危機と違って、相手は目に見えない敵である。しかも、その正体をまだ誰も精確には知らない未知の病原体であるから、「封じ込め」など、政治的な演説以上の意味を持たない。

個人的・良心的にはウイルス禍の早期終息を願うが、コミュニストとしては、この禍がグローバル資本絶対主義に対する自然界からの最大級のしっぺ返しとなることを期待している。それにより、平常時は地味だが、非常時に強味を発揮する共産主義計画経済の利点に少なからぬ人々が開眼してくれるなら、望外である。

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公衆衛生とプライバシー配慮

2020-03-08 | 時評

日本国内での新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、感染者の出た自治体がそのつど慌ただしく会見やウェブサイトを通じて感染者の詳しい発症経緯や行動記録を公表することが慣例化している。

しかし、患者カルテの一部公開に近いこうした情報開示は果たして必要なことなのだろうか。筆者の知る限り、同様に全米規模で感染が広がっているアメリカでは、感染者の出た地域ないし施設と人数が公表されるだけで、患者の詳しい情報は公表されていないようである。その他の国でも対応は同様で、日本だけの特異な対応に見える(同種対応の国があるとしても、正当化する理由にはならない)。

公衆衛生上有益な情報は市民の知る権利の対象であるが、その範囲はプライバシー保護のために限局されるべきである。市民としてとりあえず知る必要があるのは、感染者の居住地及び勤務地の情報であろう。自分の主要な行動圏が感染者の行動圏と重なるかどうかは、感染予防策のレベルを自己決定するうえで重要な情報だからである。

それを越えて、患者の発症経緯や詳しい行動経路の情報までは必要ない。また患者間の続柄情報も不要である。感染予防策のレベルを自己決定するうえで、患者同士が親族であるかどうかは関係ないからである。同様に、職業の情報も不要である。

ただし、特定施設等(交通機関も含む)で集団感染が発生したか、発生する蓋然性が高いと認める理由があるときは、当該施設等で感染者と接触した可能性のある人に念のため検査を呼びかけるため、当該施設等の名称を公表すべき場合がある。その場合でも、接触者の氏名が判明している限りは、個別に連絡すれば足り、施設名の公表も不要である。

細かなプライバシー配慮を施すことなく、不要な個人情報まで公開するのは、公衆衛生上の利益という公共の福祉を名目にしたプライバシー侵害である。なぜ、まるで犯罪容疑者の犯行に至る経緯を公表するかのように、感染者の行動履歴を詳しく公表するような特異的な対応をするのか、不可解である。

思うに、これは感染者をあたかも犯罪者のように見立てて、見せしめ、差別する意図からのこと・・・・ではなくて、ただ単に、公衆衛生とプライバシーの線引きを細かく思考する社会的習慣がないことの反映なのであろう。

しかし、そういう思考放棄の習慣は現代にあっては後進的である。先進国を称するからには、公衆衛生とプライバシーの線引きを精密に規準化するべきであろう。そうしなければ、自治体側に悪意はなくとも、結果として感染者が社会的に差別される状況を生み出してしまう。

個人の治療戦略学である臨床医学と異なり、公衆全体の疾病予防を目的とする公衆衛生学は実際、公共の福祉を名目とした病者に対する社会的差別と隣り合わせの微妙な近代学術であり、ハンセン病のように、実際、何十年にもわたる患者差別状況に加担した負の歴史も持っている。

そういう苦い歴史を繰り返さないためにも、改めて、今般のウイルス禍が公衆衛生とプライバシーの線引きを細かく思考する新たな社会的習慣を確立する機会となることを切望するものである。

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「貴賤結婚」の果て

2020-03-01 | 時評

平民のアメリカ人女性と結婚した英国のヘンリー王子が、今月末をもって王室を事実上離脱することとなっている。英国では、エドワード8世がやはり平民のアメリカ人女性と結婚するために国王を退位した先例すらあるので、さほどの衝撃ではなさそうである。

王または王族と平民が婚姻する「貴賤結婚」は、20世紀に入って、欧州各国王室のほか、日本皇室でも主流化している。19世紀以前の社会常識では「貴賤結婚」はタブー破りであったが、20世紀以降、今日では、王室・皇室(以下、「王室」で代表させる)のような制度を残しつつも、「貴賤結婚」のタブーを解消することが次第に常識化しつつあるようである。

このような「貴賤結婚」の慣習化は階級平等思想の表れなのだろうか、それとも、王族に自分の好きな平民を配偶者に選ぶ権利を与える新たな特権なのだろうか。

素朴に見るなら、前者が妥当のように思えるが、果たしてどうか。「法の下の平等」を憲法原則とするなら、本来的に王室の制度自体が容認されないはずであるが、ある種の政治的妥協の結果、「法の下の平等」の例外中の例外として王室の存在を認めるなら、特権を享受する王族にはそれなりの制約が課せられなければならず、一般市民と全く同等というわけにはいかない。

そうした制約の一つは、「貴賤結婚」の禁止である。つまり王族が配偶者を選択する場合は、海外王室を含む同等の王族または貴族、貴族制度が廃止されている場合は、旧貴族の一員から選択しなければならないということになる。

とはいえ、人としての愛情まで制約することはできないから、王や王族がどうしても平民と婚姻したいと切望するならば、王室を離脱し、自身も平民となることである。その点、国王を退位したエドワード8世の決断は基本的に正しい(ただし、エドワード8世は退位後、降格の形で公爵となり、ヘンリー王子も公爵位は保持される)。

その点、日本の現行皇室制度には、女性皇族に限り、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れるという規定があるため、「貴賤結婚」を認めつつ、皇籍は奪うという形で、ある種の制裁が科せられる。女性皇族にだけ科せられる点で女性差別的という問題もあるが、男性皇族にも同じ制裁を科す改正を施す限りでは、正当な規定である。

ちなみに、日本でも女性皇族の婚約者の素性や経済問題等をめぐり、世間がざわめいているが、婚姻により平民となる人が誰を相手に選択しようと個人の自由であり、周辺がとやかく干渉すべきことではない。

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世界共同体と伝染病対策

2020-02-16 | 時評

ウイルスは独立の生物ではないため、自力で生きられず、人間やその他の生物にとりついて自己複製する。従って、人間にとりついたウイルスが人間と共に国境を越えて移動拡散するときは、国境線が対策上の障壁となる。このところ、伝染病の国際的流行事態のつど、そのことが課題となっている。

その点、国境線という概念も物理的な装置も取り払ってしまう世界共同体の下で、伝染病対策はどうなるのか、想定してみると━

まず、そもそもウイルスが大量的な観光客の人流に伴ってグローバルに拡散するということが、起きなくなるかもしれない。というのも、観光業という20世紀以後の資本主義における典型的な第三次産業が成り立たなくなるだろうからである。

貨幣経済が廃される世界共同体の域内では、ホテルなどの宿泊施設を含め、観光客目当ての金儲けはできなくなる。となると、いったい誰が無償で他人の団体旅行をセットしたり、宿泊施設に泊めて接客などするだろうか。結果として、海外旅行は個人/家族単位でセットし、現地でも一部の公共宿泊施設を利用する形態が主流化するだろう。

世界共同体域内に国境線に相当するものはないので、原則として、域内の移動は完全に自由であるにもかかわらず、団体旅行が減少すること、宿泊施設が限られることで、海外旅行者数も激減するに違いない。

とはいえ、種々の海外業務のために人が移動することは避けられず、世界共同体の下でも伝染病のグローバルな流行は起こり得る。そうした場合、当然グローバルな緊急対策が必要になるが、世界保健機関のような民際機関は主権の観念に邪魔されることなく、全世界共通の効果的な対策を勧告し、世界共同体を通じて迅速に実施することができるようになる。

それに加えて、世界共同体の大陸的地域区分としての汎域圏のレベルでも、共同運営の医療保健ネットワークが稼働し、感染症医療センターのような医療機関も直営できるから、感染者の隔離的治療態勢は高度に整備されるだろう。

さらに、世界共同体を構成する領域圏における計画経済体制の中では、非常時に備えた余剰生産と物資備蓄が行われるので、現在すでに発生しているマスクの欠品状態や自宅待機者向けの糧食の欠乏といった事態など、需要の突発的急増や物流の停止により必需物資が欠如するような市場経済の最弱点は解消されるだろう。

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