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良心的裁判役拒否(連載第13回)

2011-12-03 | 〆良心的裁判役拒否

実践編:略

第7章 良心的拒否の基礎(続き)

(2)良心的拒否の法的根拠
 ソローの時代には、まだアメリカでも良心的拒否という実践は認知されていなかったため、「脱税」をした彼は逮捕されました。しかし、その後、国民国家の整備・強化に伴い、国家が国民に課す義務と個人の信条とが衝突する場面は増えていきます。兵役制度はその代表的なものでした。そこで、良心的拒否を法的に認知しようという動きも生じてきます。今日、徴兵制度を残す民主的な諸国の多くで導入されている良心的兵役拒否条項はその表われです。
 この点、徴兵制度を持つドイツでは、憲法で「何人も、その良心に反して、武器をもってする戦争服務を強制されない。」(4条3項)と定め、良心的兵役拒否を憲法上の基本権として保障するに至っています。
 こうした限りで、良心的拒否はれっきとした法的根拠を持つようになってきたわけですが、良心的拒否のより一般的な法的根拠は思想良心の自由を保障する憲法条項です。
 ドイツ憲法上、その良心的兵役拒否を保障するのと同じ条文の第1項に「信仰、良心の自由・・・・は、これを侵してはならない。」と定められているのは、そのことを端的に示しています。徴兵制度が廃止されたため、良心的兵役拒否が問題とならない日本でも、憲法19条に「思想及び良心は、これを侵してはならない。」という簡明な規定が置かれています。これは兵役の義務を定めていた明治憲法には全く見られなかった、戦後憲法の最大成果の一つです。
 ただ、これだけの規定では法律上の義務の遂行を拒否するという実践の直接的な根拠としては弱く、ただ単に権力側からする攻撃的な思想弾圧のようなものを受けないことの保障にすぎないという矮小的な解釈も成り立ってしまう恐れもあります。
 そこで、こうした場合に登場願うのが、国際人権規約です。正式には「市民的及び政治的権利に関する国際規約」と題する国際条約の第18条は、その第1項で「すべての者は、思想、良心及び宗教の自由についての権利を有する。」と定めるのに続き、第2項で「何人も、自ら選択する宗教又は信念を受け入れ又は有する自由を侵害するおそれのある強制を受けない。」と定めています。
 この規定は兵役など特定の役務に限らず、また法律上の強制に限らず、事実上の強制をも含むと解し得る広い文言の下に、自己の信条に明確に反するばかりか、反するおそれのある一切の強制に従わない権利を保障するもので、まさに良心的拒否の一般的な根拠にふさわしい条項となっています。
 日本はこの条項を含む人権規約を1979年に批准しており、しかも人権規約は国内法なくして直接に国内でも適用されるため、私どもは人権規約条項を日本国内の裁判所でも活用していくことができる立場にあるわけです。
 こうして、一見して心もとない良心的拒否にも、れっきとした法的根拠があることに自信を持つことができる時代に私どもは生きているのです。
 ところで、良心的拒否が正面から認められる場合に、制度上いわゆる代替的義務が課せられることがあります。例えば、良心的兵役拒否者に対して、福祉施設等での社会奉仕活動を義務づけるようなものが典型的です。
 これは良心的拒否が一定の思想・信仰を持つ者に対する特権となってしまうことを防ぐためのバランス措置としての意味を持ち、ドイツ憲法ではこれについても明文の限定を置く周到ぶりです。
 こうした代替的義務の制度は公平性を確保するための方策として一定の合理性が認められるものの、そうした方策を必ず導入しなけければならないというものではなく、あくまでも政策的な問題です。そして、代替的義務を導入する場合も、その義務の内容がまたしても各自の思想良心の自由を侵害する不正なものであってはならないことはもちろん、拒否の対象となる義務と実質上同種のものであってもなりません。
 この点、ドイツ憲法はこうした代替的義務についても「・・・良心の決定の自由を侵してはならず、かつ軍及び連邦国境警察の部隊と何ら関わらない代役の可能性を与えなければならない。」(12a条2項)と丁寧に定めています。
 この点、良心的裁判役拒否の場合はそもそも代替的義務の制度を導入すべきではないでしょう。なぜなら、このような課役は第1章で見たとおり、それ自体違憲の疑いが強いのであり、百歩譲って合憲だとしても、兵役制度ほど集団的に徴用される制度ではないため、公平性確保の必要性はそう高くないと考えられるからです。

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