第1章 絶滅した先覚者たち
絶滅人類と現生人類
現生人類は思い上がってわれわれ現生人類を人類の最高頂点とみなしたがる。たしかに、現生人類はホモ属の中で唯一生き残り、多くの進歩を成し遂げた。だが、その前には多くの先覚者たちがいたことも事実である。
それ自体現生人類の知的な成果である人類自身についての学問・人類学では、現生人類以前の人類を猿人→原人→旧人と分けて進化論的に説明してきた。このような進化段階論は現生人類を頂点とする進歩史観に見合うため、いまだに広く普及している。
こうした進化段階論の科学的根拠は近年ようやく疑われるようになったが、それにしても現生人類以前の人類に「猿」「原」「旧」などの否定的な形容を与えるのは、これら過去の人類を遅れたもの、劣ったものとみなす侮蔑的な態度の現れである。こうした過去の人類は今日すべて絶滅しているが、いずれも現生人類の先覚者たちであり、現生人類の成果の基礎を築いた者たちである。
そうしたことは今日の人類学では必ずしも否定されているわけではないが、用語には反映されておらず、相変わらず上記のような否定的な言辞が残されている。
だが、このあたりでそうした先覚者たちへの敬意を表す意味でも、そうした否定的な言辞は整理して、既に存在しない過去の人類を「絶滅人類」と呼ぶことにしたい。「絶滅人類」には何らかの限界があり、進化の途上で消えていったのではあるが、それでも現生人類につながる足跡を人類史上に残したのである。
道具から用具へ
絶滅人類の最大の成果は、用具の発明である。この点、しばしば教科書的には「道具の発明」という言い方がされる。だが、単なる道具と用具とは区別すべきである。道具は特定の目的のための手段として用いられる器具のことである。従って、自然にある物をそのまま道具として使用することもできる。例えばラッコが石を貝殻を割る手段として用いるとき、かれらは道具を使用していることになる。
これに対して、用具とは特定の目的のための最適手段として生産された道具である。単なる道具との最大の差異は、生産されるものかどうかである。従って、上記のラッコの例のように、単に自然の石を貝殻を割る手段として使用する場合、石は道具であっても用具ではない。これに対して、人類が貝殻を割るために石を加工した器具を生産した場合、それは単なる道具を超えた用具となる。
この点で、チンバンジーが木の枝を加工して巣穴から昆虫をかき出したりする場合、この加工された枝は道具か用具かが問題となるが、一応特定の目的のための道具を意識的に作り出している以上は、用具と言える。ただし、最適手段としての加工程度が最小限である限り、本格的な用具とは区別された幼稚用具ということになる。
絶滅人類は、こうした幼稚用具にとどまらない本格用具を発明した先覚者たちである。用具の生産は道具を様々な目的に合わせて最適化していくだけの知性の芽生えを前提とする。そうした本格用具の最初例は周知のとおり、石を加工した石器であった。石は最もありふれた加工しやすい鉱物であるから、原初の用具の原材料が石であったことは自然である。
最初の石器製作者は、アフリカはタンザニアのオルドヴァイ遺跡などに足跡を残す最初のホモ属ホモ・ハビリスであったと考えられている。かれらが残した代表的な石器である礫石器はチンパンジー的な幼稚用具から本格用具への過渡的なものにすぎないが、人類史の出発点に石器という用具の発明があったことは間違いない。
[追記]
2015年1月、英国ケント大学の研究チームは、約300万年前に生息した初期の絶滅人類アウストラロピテクスの手骨の構造パターンの解析から、同種が何らかの用具を使用していた可能性の痕跡を発見したと発表した。これはホモ・ハビリスが最初の用具使用者だったとする従来説より50万年ほど遡る。ただ、使用された用具の種類や形状は確認されていない。