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戦後日本史(連載第21回)

2013-09-11 | 〆戦後日本史―「逆走」の70年―

第4章 「逆走」の加速化:1993‐98

〔四〕独占資本解禁と「内務省」復活

 「55年体制」の終焉を画した村山政権は96年1月に退陣した。代わって自民党から3年ぶりに出た橋本龍太郎を首班とする新たな連立政権には引き続き社会党から党名変更した社会民主党も参加し(第二次内閣からは閣外協力)、自社連立の枠組みは維持される。とはいえ、橋本内閣の成立は、自民党政権の名実ともに完全な復活を意味した。
 橋本新政権が当面した課題は、90年代初頭のバブル経済崩壊後、深刻さを増しつつ遷延していた不況に対処することであった。当時はバブル期に不良債権を抱え込んだ銀行による貸しはがしや貸し渋りのために資金繰りに行き詰った企業のリストラ解雇や倒産が始まっていた。
 こうした中で、橋本政権は総選挙を経た第二次内閣下の97年に独占禁止法を改正し、47年の同法制定以来、財閥解体・経済民主化の柱として半世紀にわたって禁止されてきた純粋持株会社の解禁に踏み切り、大資本主導の企業再編を促す政策に転換した。この大転換はまた、金融不況対策として金融行政の規制緩和と金融持株会社の解禁に象徴されるいわゆる「金融ビッグバン」の一環でもあり、これにより大金融資本としてのメガバンクの再編も実現した。
 こうした施策の結果、法的にも独占資本が半世紀ぶりに復活することとなるが、これは経済政策面での一足早い「逆走」の到達点でもあった。
 橋本政権はまた行財政改革にも着手し、財政再建のため、消費税率の引き上げも断行した。さらに行政改革の一環として、中央省庁の全般的な再編にも乗り出す。特に97年に続々と表面化した金融機関の破綻に関してその監督官庁としての責任が鋭く問われた大蔵省が主要なターゲットとなる。
 戦後の大蔵省は戦前の旧内務省が解体された後は、国家財政から金融行政まで司る総合官庁として絶大な影響力を誇り、4人ものOB首相を輩出してきたが、橋本改革では金融行政の権限を大部分剥奪され、新設の金融監督庁(現金融庁)へ移管されることとなり、名称も財務省に変更された。
 一方で、自治省・郵政省の合併を軸とするメガ官庁として総務省が新設された。英語公式名ではMinistry of Internal Affairs and Communications(内務通信省)と訳され、「行政組織、公務員制度、地方行財政、選挙、消防防災、情報通信、郵政事業など、国家の基本的仕組みに関わる諸制度、国民の経済・社会活動を支える基本的システムを所管し、国民生活の基盤に広く関わる行政機能を担う省」と自己紹介される同省は実質上旧内務省の部分的な復刻版であって、将来ここに戦後内務省から分離された警察庁が外局として加われば、まさしく戦後版内務省となるだろう。
 結局、従前の1府22省庁を1府12省庁へ統廃合した橋本行革は、旧総理府を拡充して首相権限の強化を図った内閣府を筆頭に、総じて巨大な許認可権が集中するメガ官庁を多数出現させることになったが、これも戦前の同種行政制度への「逆走」にほかならなかった。
 以上のような「逆走」の大仕事が、自社連立・連携の翼賛的な枠組みを通じて合作的に断行されたことの歴史的な意味は大きい。

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