第5章 「逆走」の急進化:1999‐2009
〔一〕画期の1999年
橋本政権は「行政改革」「財政構造改革」「経済構造改革」「金融システム改革」「社会保障構造改革」「教育改革」という六大改革を掲げ、「逆走」の完成へ向けた長期政権を目指す構えを見せたものの、消費増税が響いて1998年7月の参議院選挙で自民党が敗北した責任を取り、退陣した。
後任には竹下登の後継者と目された同じ派閥の領袖・小渕恵三が就いた。連続して竹下系の首相が続いたことは、まさに80年代末の竹下内閣以来、過去10年にわたって自民党の竹下派支配が続いていた事実を物語るものであった。
小渕内閣の課題はさしあたり橋本がやり残した「六大改革」を継承することであったが、「逆走」という観点から見れば、同内閣がその短い命脈の間に行ったことは、それ以上であった。1999年が一つの大きな節目である。この年、小渕内閣下で軍事・治安・国家象徴という根幹的分野に関わる三つの極めて問題含みの法律が一挙に制定されたのである。
一つは周辺事態法である。これは日米安保条約のガイドラインが97年に改訂されたことを受け、「周辺事態」に際して従来より踏み込んで日米共同の軍事行動を可能とする根拠法であり、2000年代初頭に矢継ぎ早に「整備」されたいわゆる有事法制への突破口となるとともに、将来の集団的自衛権の解禁をも暗黙の射程に収めた布石であった。
もう一つは治安分野で、史上初めて盗聴の権限を正面から捜査機関に与えた通信傍受法である。これはさしあたりオウム真理教による一連の凶悪組織犯罪や暴力団犯罪を念頭に置きつつ「組織犯罪対策」を名目としているとはいえ、通信の秘密や適正手続を保障する憲法上の疑義を排して導入された違憲性の強い治安立法であった。
三つめは日章旗を国旗、君が代を国歌と明記する国旗国歌法である。従来90年代に入り、学校式典で国旗掲揚・国歌斉唱を義務づける動きが強まっていたことに対する思想良心の自由を根拠とした教職員の抵抗を排除する統制法規として、国旗国歌法が取り急ぎ制定されたのである。
このことは同じ年、平成天皇在位10周年奉祝式典が民間団体と関係議員連盟主宰の形式を取りつつ盛大に挙行されたことと合わせ、国家主義的風潮を蘇生させる重要な出来事として銘記される。
以上三本の法律はいずれも憲法上重大な疑義を持たれながら、小渕内閣は小沢一郎が新たに結成した自由党、続いて公明党と連立を組むことで、さしたる抵抗も受けずに粛々と制定することができたのである。
小渕内閣はまた、「経済戦略会議」及び「司法制度改革審議会」という二つの大がかりな諮問機関を設置し、経済政策及び司法政策の面で2000年代以降強力に現れる新自由主義的な国策のイデオロギー的礎石を置いた。
すなわち前者は市場主義的な競争社会を強力にエンドースする経済イデオロギーを打ち出し、後者は前者の経済イデオロギーとも連動しつつ、弁護士大増員を軸としたビジネス支援型司法を推進する方向性を打ち出し、いずれも間もなく小泉政権下で具体化ないし実行されていく新自由主義的施策の土台を作ったのである。
結局のところ1999年は、加速化していた「逆走」が2000年代へ向けていっそうギアアップされ、急進化していく最初のステップの年であったと総括できるであろう。