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戦後日本史(連載第29回)

2013-11-18 | 〆戦後日本史―「逆走」の70年―

終章 「逆走」の行方:2009‐

〔三〕ファシズムの予兆

 民主党政権の3年3か月間で「逆走」の流れは中断こそしなかったものの中だるみを来たす中、底流では「逆走」のマグマが鬱積していた。
 自民党はかつての革新系社会党に代わって中道保守系民主党がライバルに浮上して以来、従来よりもいっそう右に軸足を移し、右派政党としての性格を強めてきたが、2009年総選挙での大敗は、この傾向を決定的にした。
 実際、大敗の中でも「生き残り」を果たした議員の多くは党内右派の有力者たちであったから、大敗・下野による党のダウンサイジングは、かえって自民党を右派政党として再構築する機会となった。
 とはいえ、大敗・下野の影響は大きく、09年総選挙の前後には相当数の脱党者を出した。そうした面々の受け皿となった派生政党の中には、「みんなの党」のように明白に新自由主義を志向する小泉「改革」の忠実な継承勢力のようなものも見られた一方で、自民党よりもさらに右に出る極右政党も現れた。
 その一つは、元来自民党内最右派に属した石原慎太郎東京都知事(当時)を精神的指導者とする「太陽の党(旧称・たちあがれ日本)」であり、ここには石原をはじめとする国家主義・国粋主義的傾向のベテランらが結集した。
 他方において、当初は自民・公明両党の支持を背景に大阪府知事に当選したタレント弁護士の橋下徹を中心に、大阪を地盤とする地域政党としてスタートした「日本維新の会」(以下、「維新の会」と略す)のような新しいタイプの極右政党も出現した。
 維新の会は経済的には新自由主義傾向を、政治的には国家主義傾向を示す―その限りでは小泉政権をいっそう極端化したような性格を持つ―混合的な要素から明確な性格付けの難しい政党であるが、地方政治の面ではいわゆる道州制・「大阪都」構想を掲げ、知事に教育分野にも踏み込む強大な権限を付与してトップダウンの権威主義的な執行権独裁を志向する点や大衆扇動的な政治宣伝を駆使する点で、ファシズムの傾向を濃厚に持つ。 
 同党はまず大阪で旋風を巻き起こし、瞬く間に大阪府/市の地方政治を掌握し、民主党政権が行き詰まりの度を深める中、全国的にも「第三極」としての期待を集めるようになった。
 しかし維新の会は民主党政権が揺らぐ中で近づく総選挙をにらみ、自前の全国組織化ではなく、前出太陽の党と合併する道を選択したが、これは同党が来たる総選挙で伸び悩む要因となる党略上の失敗であった。
 たしかに両党の橋下・石原両指導者は国家主義的な価値観と権威主義的な政治手法を共有していたが、世代的には親子ほども離れ、橋下が新自由主義的な国家の再構築に傾斜するのに対し、石原は旧来の国粋主義に近いというイデオロギー的な齟齬が当初から認められた。
 結局、この合併は維新の会を手っ取り早く全国政党化するには役立ったが、同党の「新しさ」のイメージを損なう結果ともなったのだった。
 ともあれ、こうした極右政党の台頭とそれにも触発された自民党の右派純化路線は、政党全体の座標軸を大きく右へ動かし、ファシズムの到来を予期させるような状況を作り出した。
 ここで予期される新時代のファシズム―ネオ・ファシズム―とは、戦前の旧ファシズムとは異なり、議会政治に適応化しつつ市場経済原理を取り込み、新自由主義とも親和的であるが、本質的には旧ファシズムの系譜を引く差別・淘汰思想を蔵した国家主義的・国粋主義的な潮流である。
 維新の会はそうしたネオ・ファシスト政党の先取り的な存在であり、日本政治の今後の動向次第では本格的なネオ・ファシスト政党として改めて躍進する可能性も―分裂の可能性とともに―残されている。
 あるいはまた、民主党が外国人地方参政権の解禁に積極であることに対する反発から顕在化してきた在日韓国人排撃運動のような外国人・少数民族排斥を精神的な基盤とする別筋のネオ・ファシスト政党の出現なども可能性として想定できるような情勢が作り出されているのである。

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