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晩期資本論(連載第11回)

2014-11-05 | 〆晩期資本論

二 貨幣と資本(5)

 剰余価値の理論は、マルクスにとって決して哲学的な抽象命題ではなく、商品流通を軸とする資本蓄積の過程を労働経済学的に説明するうえでの道具概念となるものであった。それは、まず次のような矛盾点を解決することからスタートする。

もし交換価値の等しい商品どうしが、または商品と貨幣とが、つまり等価物と等価物とが交換されるとすれば、明らかにだれも自分が流通に投ずるよりも多くの価値を流通から引き出しはしない。そうだとすれば、剰余価値の形成は行なわれない。

 100ポンドで買った綿花を110ポンドで売ったという前の設例で言えば、剰余価値とされた10ポンド分は等価交換理論では説明がつかない。この場合、売り手Xが実際の価値よりも10ポンド高い値で売ったと仮定しても、今度は別の売り手Yからやはり実際より10ポンド高く買わされれば、Xとしてはプラスマイナスゼロである。つまり、この場合も10ポンド高い値で等価交換がなされたのと同様である。
 「要するに、剰余価値の形成、したがってまた貨幣の資本への転化は、売り手が商品をその価値よりも高く売るということによっても、また、買い手が商品をその価値よりも安く買うということによっても、説明することはできないのである」。結局のところ―

流通または商品交換は価値を創造しないのである。

 それでは、剰余価値はどこから発生するのか。マルクスは長靴の例を挙げて、説明する。すなわち、長靴がその素材である革より価値が高いのは、製靴という労働により新たな価値を付加したからであるが、そうした付加価値を実現し、価値増殖するには、製品としての長靴を交換に供して販売しなければならない。つまり「商品生産者が、流通部面の外で、他の商品所持者と接触することなしに、価値を増殖し、したがって貨幣または商品を資本に転化させるということは、不可能なのである」。結局のところ―

資本は流通から発生することはできないし、また流通から発生しないわけにもゆかない。

 もう少し詳しく言えば、「貨幣の資本への転化は、商品交換に内在する諸法則にもとづいて展開されるべきであり、したがって等価物どうしの交換が当然出発点とみなされる。いまのところまだ資本家の幼虫でしかないわれわれの貨幣所持者は、商品をその価値どおりに買い、価値どおりに売り、しかも過程の終わりには、自分が投げ入れたよりも多くの価値を引き出さなければならない」。
 このような二律背反的なアポリアをいかに解くか。これが次の課題であると同時に、『資本論』の基盤となる基礎理論につながるところである。

われわれの貨幣所持者は、価値の源泉であるという独特な性質をその使用価値そのものがもっているような一商品を、つまりその現実の消費そのものが労働の対象化であり、したがって価値創造であるような一商品を、運よく流通部面のなかで、市場で、見つけ出さなければならないであろう。そして、貨幣所持者は市場でこのような独自な商品に出会うのである―労働能力または労働力に。

 ここでマルクスが剰余価値の源泉として持ち出したのは、労働力という一個の無形商品であった。これはマルクスが論敵の古典派と共有する労働価値説をベースとするものである。それにしても、これは帽子の中から鳩を取り出すような手品の印象も否めないが、この労働力=商品論こそが、『資本論』を貫く基礎理論となる。

資本は、生産手段や生活手段の所持者が市場で自分の労働力の売り手としての自由な労働者に出会うときにはじめて発生するのであり、そして、この一つの歴史的な条件が一つの世界史を包括しているのである。それだから、資本は、はじめから社会的生産過程の一時代を告げ知らせているのである。

 マルクスは、「自然が、一方の側に貨幣または商品の所持者を生みだし、他方の側にただ自分の労働力だけの所持者を生みだすのではない。この関係は、自然史的な関係ではないし、また、歴史上のあらゆる時代に共通な社会的な関係でもない。」とも指摘し、労働力商品を基軸とする資本主義の成立を「先行の歴史的発展の結果なのであり、多くの経済的変革の産物、たくさんの過去の社会的生産構成体の没落の産物」と規定する。
 資本主義経済体制が歴史的な産物であること―従って、それも決して永遠不滅のものではないこと―が強調されるわけであるが、では実際に労働力の売買がどのように仕組まれて剰余価値に実現されるのかという点については、続く第三篇の内容の前提として、次回に回すことにしたい。

☆小括☆
以上、「二 貨幣と資本」では、『資本論』第一巻第三章「貨幣または商品流通」と第四章「貨幣の資本への転化」に相当する部分を参照しながら、『資本論』の核心概念である剰余価値と基礎理論となる労働力商品論を序説的に検討したが、第四章最終節「労働力の売買」で論じられている内容は、続く第五章「労働過程と価値増殖過程」の内容と密接に関連するので、稿を改めて検討し直す。

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