ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

解散無法状態

2014-11-19 | 時評

第二回安倍政権で最初の解散総選挙が行なわれる。「大義なき解散」との批判も多いが、解散総選挙に必要なのは「大義」ではなく、この時期に選挙を執行するに値する「争点」である。今般解散総選挙の争点は、正しく設定するならば、ある。

一つは、過去2年間続けてきた「アベノミクス」の継続の是非に加え、集団的自衛権の解禁や国家秘密保護法制の是非、原発再稼動の是非、さらには直前の沖縄県知事選で示された米軍普天間基地の辺野古移設見直しも加わった。

安倍政権は、このうち「アベノミクス」については消費再増税延期と絡めて形だけ争点化しようとしているが、その余の問題は争点から外そうとしている。そのため、自己都合での解散を疑われる。実際、この時期の解散総選挙で勝利しておくことには、利点がある。

自民党政権では党総裁=総理大臣(いわゆる総理総裁)の慣例があるから、2012年9月に任期3年(連続2期まで)の党総裁に就任した安倍氏は今般選挙で勝利すれば15年9月に再選され、18年9月まで総理総裁を続けることができ、12年12月の総理就任から6年近く政権を維持できる計算となる。日本では5年以上は十分に「長期政権」である。

このような政治的打算が働いて解散の判断となったとみなされても不思議はないほど、日本の衆議院解散権は唯一の例外を除いて、憲法にも法律にも規定のない「無法」状態となっている。

唯一の例外とは、憲法69条で定められた内閣不信任案の可決(または内閣信任案の否決)の場合に、総辞職と選択的に認められるものである。それ以外の解散は、「首相の専権」として慣例上行なわれてきたにすぎない。

もっとも、天皇の国事行為としての解散の宣言について定めた憲法7条を形式的な根拠にすることが慣例となっているが、この規定は先の内閣不信任の場合の解散にも当てはまるまさに形式的な規定であるから、「首相の専権」の根拠となるはずがない。政権の成否という政治の根幹に関わる解散について明文規定を欠いたままで、果たして法治国家と呼べるのか―。

元来、政府、それも政府の長が一方的に議会を解散するのは非民主的であり、ただ議会から内閣不信任を突きつけられた場合の刺し違え的な対抗措置として例外的に許される―その場合でも、総辞職をまず考えるべきであるが―のがせいぜいであり、政府に一切解散権を認めない国も少なくない。

厳密には違憲の疑いのある解散を慣例で行なうというなら、初めにも述べたとおり、本来の任期切れ前に一種の中間選挙を執行するに値する複数の争点―9年前の郵政民営化解散の時のように、単一争点では事実上の国民投票となり、「選挙」としては許されない―が存在していなければならない。

今般の解散は、先に公表されたGDP速報値がマイナスであったため、来年10月期予定の消費再増税を延期すると決定したことが理由とされているが、再増税の是非は来年の経済情勢によって判断されるべきことであり、この時期の解散の理由とはならない。

巷間取り沙汰されているように、予定どおり消費再増税を断行した場合に生じ得る政権支持率下落→解散、敗北という事態を回避し、早めの解散総選挙に打って出て、長期政権を確保しておこうという狙いの伏在を否定することは難しいだろう。

コメント