三 搾取の構造(2)
労働力の生産は彼自身の再生産または維持である。自分を維持するためには、この生きている個人はいくらかの量の生活手段を必要とする。だから、労働力の生産に必要な労働時間は、この生活手段の生産に必要な労働時間に帰着する。言い換えれば、労働力の価値は、労働力の所持者の維持のために必要な生活手段の価値である。
労働市場における労働力売買の対象となる労働力商品に関する一般規定である。ここでマルクスは労働力を他の商品一般とパラレルに説明しようとするあまりに、ここでも持論のベースとなる労働価値説を当てはめようとしているが、これは労働力という無形的商品の特殊性を踏まえない形式論理である。もっとも、最後の「労働力の価値=生活手段価値」という一般規定自体は、労働力商品の特殊性を踏まえた定義となっている。
・・・労働力の価値規定は、他の商品の場合と違って、ある歴史的・精神的な要素を含んでいる。とはいえ、一定の国については、また一定の時代には、必要生活手段の平均範囲は与えられている。
逆に言えば、労働力の価値を決定する生活手段価値は、国と時代により異なるということになる。このことは国際的な経済格差が顕在化しているきている晩期資本主義にはいっそう明瞭になっている。そして、こうした労働力の国際格差を利用して、生活手段価値の高い先進資本主義国では生活手段価値の低い途上国からの外国人労働力の買い叩きが行なわれているわけである。
労働力の生産に必要な生活手段の総額は、補充人員すなわち労働者の子供の生活手段を含んでいるのであり、こうしてこの独特な商品所持者の種族が商品市場で永久化されるのである。
「労働力の所有者は、死を免れない」。よって労働力が世代を超えて安定的に供給されるためには、「労働力の売り手は、・・・・・・生殖によって永久化されなければならない」。そのため、賃金は労働者の出産・育児に必要な生活手段の価値を含むべきはずであるが、近年拡大する非正規雇用への転換政策は、賃金にそうした生殖費を含む余裕もなくしている。結果として少子化を促進しており、先進資本主義諸国では生殖費を公的に補給するなど「少子化対策」に奔走するゆえんとなっている。
一般的な人間の天性を変化させて、一定の労働部門で技能と熟練とを体得して発達した独自な労働力になるようにするためには、一定の養成または教育が必要であり、これにはまた大なり小なりの額の商品等価物が費やされる。
こうした広い意味での教育費も生活手段の価値に含まれる。マルクスは、「労働力がどの程度に媒介された性質のものであるかによって、その養成費も違ってくる。」と正当に指摘しているが、晩期資本主義社会においては労働の専門分業化が進み、「媒介された性質」の労働が増加しているため、教育費も高額化する傾向にあるにもかかわらず、賃金はこうした教育費を十分にカバーし切れず、ここでも公費補給の必要性が高まっている。しかし、そこには、先の生殖費補給の問題とともに、国家財政の限界が立ちふさがる。
労働力の最後の限界または最低限をなすものは、その毎日の供給なしには労働力の担い手である人間が自分の生活過程を更新することができないような商品量の価値、つまり、肉体的に欠くことのできないような生活手段の価値である。
要するに最低限度の生活を維持するに必要な生活手段の額であり、これが最低賃金額を成す。「もし労働力の価値がこの最低額まで下がれば、それは労働力の価値よりも低く下がることになる。なぜならば、それでは労働力は萎縮した形でしか維持されることも発揮されることもできないからである」。
すなわち、最低賃金とは資本家の通念とは異なり、労働力の最低評価ではなく、労働力を萎縮させる過小評価であるという指摘は重要である。