「ベルリンの壁」崩壊から25周年となる9日を前に、東西冷戦中に「壁」を越えようとして旧東独当局に射殺されるなどして死亡した市民を追悼する十字架が壁跡地から無断で持ち去られるという「事件」があった。犯人はドイツに本拠を置き、「積極的人道主義」を掲げる人道団体「政治的美のためのセンター」。
同団体によると、「欧州連合(EU)国境には中東・アフリカからの難民を阻むより大きな壁があり、ベルリンより大勢の人が命を落としていることを考えてほしい」という動機から、9日当日にEU国境で十字架を掲げ、国境の鉄条網を壊すパフォーマンスを展開するために行なった一つの政治的直接行動という。
「ベルリンの壁」崩壊から四半世紀を経て、資本(カネ)にとっての観念的な国境は撤廃されつつある一方で、人間にとっての物理的な国境はかえって強化され、EUという統合の試みも、EU域内の移動の自由化という成果にとどまっている。
ただ、現存国際秩序の構成単位である主権国家は国境と国籍を基本要素とするため、国境という概念とは切り離せない。EU自体は主権国家ではないが、究極的には国家統合―ヨーロッパ合衆国―を目指す準主権団体であるから、国境の概念を否定するものではない。
国境という究極の壁をなくすには、国家という政治単位そのものをなくすほかない。鉄条網の政治的な醜さは、大地に境界を設けて囲い込むことの狭量さの象徴である。
EUは国民国家という狭い観念を超えた統合を目指す理想を秘めているが、所詮それも「ヨーロッパの統合」という限定された視野を出ないため、中東・アフリカからの移民に対しては拒否的となる。それは必ずしも排外主義的な意図だけではなく、ネイティブ国民が労働を奪われることへの不安のなせるわざでもある。
そもそも出身国で安全かつ安定的に暮らしていければ、難民は生じない。難民送出国の均衡ある発展を支援することが、難民防止の当面の合理的な策である。不法移民の厳格な取り締まりはそうした支援策と結合していなければ、有無を言わさず越境者を撃ち殺した「ベルリンの壁」と同然である。
しかし究極的には、富裕国と貧困国の経済格差が存在する限り、いかに不法移民を取り締まろうと、命がけでも「壁」を越えようとする人々は跡を絶たないだろう。不法移民は国際資本主義が生み出す必然的な人流現象である。