ザ・コミュニスト

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鬼門としてのアフガニスタン

2021-07-11 | 時評

アフガニスタンで、米軍を主体とする外国駐留軍の完全撤退が完了に近づいている。これに合わせて、20年前に米軍主体の有志連合軍によって駆逐されたイスラーム過激勢力ターリバーンの攻勢が強まり、同勢力の全土再征服、親米政権の崩壊も視野に入ってきている。

このような展開には、既視感がある。約30年前、当時アフガニスタンの親ソ政権を支援していたソ連軍の完全撤退である。この時も、ほどなくして親ソ政権の崩壊、イスラーム連合政権の成立が続いた。ターリバーンは、この流れの終着点として、不安定なイスラーム連合政権を打倒して現れた新興勢力であった。

ソ連軍は1979年の軍事介入以来、10年越しの駐留も虚しく、多くの犠牲を払った末に、成果を上げずに撤退に追い込まれたが、米軍(有志連合軍だが、圧倒的中心の米軍で代表させる)は海外での戦争史上最長の20年に及ぶ駐留も虚しく、撤退することになる。ベトナム戦争以来のアメリカが事実上敗北した戦争となる。

もっとも、アメリカとしては、当初の侵攻の大義名分であったターリバーンと反米国際テロ組織のコネクションが断ち切られ、ターリバーンが反米的な国際テロと関わらず、アフガニスタン固有のローカル勢力にとどまるなら、よしとする打算なのだろうが、ターリバーンは今なお国際テロ組織アル・カーイダと連携しているとされており、今後、撤退方針の撤回ないしは再侵攻の余地も残されていよう。

それにしても、アフガニスタンは、歴史上時々の覇権大国にとっては鬼門と言える場所である。遡れば、19世紀、当時の帝国主義覇権大国だったイギリスは帝政ロシアと争っていた西アジアにおける覇権確保のため、アフガニスタンと三度も戦火を交えたが、完全に征服することはできなかった。

次いで、20世紀、米ソ冷戦下で東側盟主となっていたソ連は、中央アジア領土に接続するアフガニスタンに革命が勃発し親ソ社会主義政権が樹立されると、これを衛星国化すべく、政権の内紛に乗じて軍事介入した。その後、反政府蜂起したイスラーム武装勢力との内戦を支援するため、10年駐留を続けたが、勝利することはできず、この敗北はソ連自身の崩壊の間接要因ともなった。

さらに、冷戦終結・ソ連解体後の21世紀、「唯一の超大国」となったアメリカは、本土での同時多発テロ9.11事件の首謀集団と目されたアル‐カーイダを庇護していた当時のターリバーン政権を打倒すべく、軍事介入し、親米政権に立て替え、その後も20年駐留を続けたが、再び反政府武装勢力に戻ったターリバーンを壊滅させることはできなかった。

かくして、19・20・21世紀と、各世紀において最高レベルの軍事力を備えた覇権大国すべてがそろいもそろって征服に失敗した国は他に例がない。その要因として、アフガニスタン多数派民族であるパシュトゥン人の部族的紐帯に基づいた精神力と山岳ゲリラ戦に長けた戦闘能力を大国の側が見損なってきたことがある。

今後の展開は読みにくいが、勢いを増しているターリバーンは旧政権勢力当時よりは穏健色を見せてはいるものの、本質的には反近代主義の宗教反動勢力であることに変わりない。もしかれらが再び全土制圧し、政権勢力となれば、1970ー80年代の社会主義政権時代に大きく進展し、過去20年の世俗主義(または穏健イスラーム主義)政権時代に一定復活した近代化の成果面が反故にされる危険もある。

しかし、そうした流れを受容するのか、市民的抵抗や民衆革命その他の方法をもって対峙するのかはアフガニスタン国民が自主的に決めることであり、もはや大国が介入し、左右すべきではない。三つの歴史的な大国すべてがそろって失敗した今、大国も学んだことだろう。

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