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比較:影の警察国家(連載第63回)

2022-07-10 | 〆比較:影の警察国家

Ⅴ 日本―折衷的集権型警察国家

1‐2‐1:公安調査庁の再活性化

 公安調査庁は法務省(当時は法務府)の外局として1952年に設置された国内保安機関であり、暴力主義的破壊活動団体の強制解散を軸とする破壊活動防止法(破防法)を主要な所管法とする法執行機関としての性格も持つ。比較対象の類似例としては、イギリスの保安庁(MI5)やドイツの憲法擁護庁がある。
 もっとも、内務省系統の機関であるMI5やDGSIとは異なり、日本の公安調査庁は政府の組織上法務省系統の公安機関であるが、発足当初は旧内務省系の元特別高等警察要員の参加が多く、現在でも庁内主要部署の長に警察からの出向ポストがあり、警察庁とも一定の人事交流の慣例が見られる。 
 破壊活動防止法は、戦前の思想弾圧法として猛威を振るった治安維持法とは異なり、思想そのものではなく、いかなる思想であるかを問わず、政治上の主義や施策を推進・支持し、またはこれに反対する目的をもってする暴力主義的破壊活動を取り締まる治安立法であるが、その一見中立的な立法趣旨にもかかわらず、冷戦時代には圧倒的に共産党その他のいわゆる左翼組織の無力化工作に偏重していたことは否定できない。
 そうした点では、警察の枠を超えて国内諜報機関としても機能する公安警察とその業務の相当部分が重なるが、公安調査庁の業務はその名の通り「調査」(≒諜報)にとどまり、警察として強制捜査を実施することができない点で、法的な意味での警察機関ではなく、機能的な政治警察である。
 ただ、都道府県警察の担当部署の寄せ集めである公安警察とは異なり、公安調査庁は純粋な国家機関であり、全国に出先機関を持つ集権的な組織構制であるが、人員は全体でも警視庁公安部要員より少なく、マンパワーが不足しており、能力的な面でも公安警察に及ばないとされ、廃止論も取り沙汰される劣勢の立場にあった。
 そうした中、1994年(松本)と95年(東京)に連続して起きた新興宗教団体・オウム真理教による神経ガス・サリンによる化学テロ事件という前代未聞の大事件が公安調査庁の再活性化の契機となった。
 このような事案の発生は、信教の自由を保障する戦後憲法の下で、新興宗教団体という言わば公安調査活動の死角を突かれたもので、公安調査庁にとっては(公安警察にとっても)その組織的失敗と言うべき事態であり、公安調査庁は組織をかけて制定後初となる破防法に基づく団体解散の請求に踏み切った。
 しかし、請求を受けた公安審査委員会はこれを棄却し、公安調査庁は「敗訴」した。ところが、1999年、政府は破防法の要件を緩和した「無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律」(大量殺人団体規制法)なる新法を制定し、その所管を公安調査庁に委ねた。
 この法律はその一般的な名称にもかかわらず、事実上は専らオウム真理教及びその分裂後継団体に適用される処分的法律であるため、公安調査庁は今日まで継続的にオウム後継団体の監視を主要任務として存続している。
 こうして、公安調査庁は旧オウム真理教後継団体の監視という新任務を得て再活性化されたわけであるが、大量殺人団体規制法はその要件が曖昧であるため、拡大適用も可能である点、今後の情勢次第では、公安調査庁の監視対象の拡張につながる恐れもあり、公安警察の拡大とともに影の警察国家化を進展させる要因となり得る。


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