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近代革命の社会力学(連載補遺5)

2020-11-26 | 〆近代革命の社会力学

二十四 第一次ボリビア社会主義革命

(1)概観
 南米において世界恐慌が革命を惹起した例として、1932年のチリ社会主義革命に次ぐのが1936年5月のボリビア社会主義革命である。ボリビアでは、第二次大戦後の1952年にも、再度の社会主義革命が勃発しているので、36年革命を第一次社会主義革命と呼ぶこととする。
 ボリビアは19世紀における南米独立運動の英雄シモン・ボリバルの名を冠した南米の高原国家として1825年に独立した後、銀の産出国として銀の輸出を経済の軸に発展していったところ、19世紀末以降、欧米の金本位制の採用に伴う銀価格の下落から、銀に代わり錫が輸出の軸となっていった。
 こうした錫基軸のボリビア経済は20世紀初頭に全盛期を迎えるが、1929年に始まる世界大恐慌の影響から錫の輸出が急激に低迷したことは、ボリビア経済に打撃を加え、深刻な不況を招来した。
 このことが革命の動因となる点では、同時期、銅輸出の低迷が革命の動因となったチリと類似するところであるが、チリと異なったのは、恐慌が革命に直結せず、時間差をもって発現したことである。
 というのも、ボリビアでは恐慌からの打開策として、時のダニエル・サラマンカ大統領が1932年、隣国パラグアイとの国境線未確定の半砂漠地帯グランチャコにおける独占的油田開発を目論み、パラグアイに戦争を仕掛けたからである。
 このいわゆるチャコ戦争は当初のボリビア優位の想定を外れ、1935年まで継続した末、実質的にボリビアの敗北に終わり、目的のグランチャコの領有権はパラグアイに渡ったうえに、当時人口300万人ほどのボリビア側に6万人の戦死者を出す悲惨な結果となった。
 このチャコ戦争の失敗が、1936年5月の第一次社会主義革命を惹起したのであった。この革命の特徴は、チャコ戦争で活躍した青年将校が主体となったことである。その意味では、軍事クーデターに近いものであるが、下剋上的なクーデターであったこと、下支えとして全国に及んだゼネストの波があったことから、革命としての実質を持つに至った。
 革命主体が軍人であったことから「軍事社会主義」とも呼ばれる特異な社会主義革命でもあったが、通常は保守思想に染まりやすい職業軍人が社会主義化したのも、チャコ戦争体験のなせるわざだったかもしれない。
 実際のところ、革命後の体制は1932年チリ革命と同様に軍人と文民による軍民連合政権の枠組みであったが、100日天下に終わったチリの早まった革命とは異なり、ボリビアの社会主義革命は39年までの約3年間で外資企業の国有化や錫山銀行の設立など社会主義的な政策を推進した。
 しかし、権力闘争や革命政権の二代目大統領となったヘルマン・ブッシュの独裁化と突然の自殺といった不穏な展開が続き、革命は短期で挫折することとなった。
 とはいえ、この戦前の革命体験は、戦後1952年の第二次革命の前哨となったことは間違いなく、第一次革命とは対照的に、1960年代前半まで十数年のスパンで継続される「長い革命」となった第二次革命では、第一次革命での未完の革命事業がより広汎に推進されることになる。


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