ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

近代革命の社会力学(連載第220回)

2021-04-09 | 〆近代革命の社会力学

中間総括Ⅱ:第二次世界大戦と革命

 第二次世界大戦は現時点においても人類史上最大規模の国際戦争であり、それを契機に世界地図が塗り変えられた近代史の重要な転換点でもあったが、こと革命という視点からみると、意外なほど「不作」であった。
 その点、19世紀から20世紀への転換点に勃発した第一次世界大戦は、それを動因として、戦争の両陣営にまたがる形で、欧州やその周辺地域において多数の革命が続発し、革命にとっての「豊作」となったのとは大きな違いがある(中間総括Ⅰ参照)。
 そうした対照性の理由として、第二次大戦当時、欧州地域ではすでに革命の波が一段落しており、戦争がさらなる革命的変動を呼び起こすことはなかったということがある。敗戦国となった枢軸陣営のドイツやイタリアも連合国の占領下で旧体制の解体が行われ、革命に発展することはなかった。
 もっとも、イタリアのファシスト政権の独裁者ムッソリーニは逃亡中、パルチザン部隊に拘束された後、略式処刑されたうえに遺体を市中にさらされるという革命的な最期を遂げたが、これはファシスト・イタリアがすでに敗戦・降伏し、体制崩壊した後のことであり、直接的な革命の結果ではない。
 第二次大戦を動因とする革命としては、バルカン半島や中国大陸、ベトナムなどで、枢軸国の侵略に抵抗したレジスタンス勢力が実行した革命が局地的に見られた程度である。その所産の中では、バルカン半島のユーゴスラヴィア、中国大陸の中華人民共和国はいずれも共産党主体の新しい社会主義国家として、戦後秩序の中で独自の地位を占めるに至った。
 わけても、共産党を広大な中国の支配政党に押し上げた中国大陸革命は第一次大戦時のロシア革命に匹敵する大革命事象であり、ロシアから極東に至るユーラシア大陸をまたいだ社会主義の拡大という新たな世界地図を作出した。
 もう一つ、第二次大戦後の大きな地政学的変動として、東欧・中欧でも親ソ連の社会主義国家が続々と誕生したことがあるが、これらの諸国はいずれも枢軸側の占領ないし傀儡統治から解放された後、ソ連の占領下でソ連の直接間接の干渉の下に成立した衛星国家群であり、そこに革命の要素を見出すことはできない。
 一方、アジアにおける枢軸側代表国であった日本でも、敗戦後、連合国(≒アメリカ)の約7年に及ぶ長期の占領下に政治・経済・社会の多方面にわたる抜本的改革が断行され、その実質的な内容は民主化革命に匹敵するものであったが、これも占領統治という言わば横槍の所産であって、真の意味での革命ではなかった。
 こうした革命的不作状況の中にあって、連合国側に与したオランダに挑戦し、勝利した希少なインドネシア独立革命は、当時いまだ連合国側の植民地支配下または属国状態に置かれていたアフリカ・中東方面にも長期波動的な衝撃波を及ぼしたと言える。
 その結果、おおむね1950年代から1980年代半ば頃にかけての30年余り、革命の波はアフリカ・中東地域やアジア、ラテンアメリカなどの「第三世界」へ遷移していき、この比較的短い歳月の間に数多くの革命が群発することになる。
 しかも、その群発革命はこの間の新たな対立軸となった米ソ両超大国の主導による東西冷戦構造と無関係ではなく、諸革命も冷戦構造の中で、社会主義を掲げ、反米/反西側の立場から展開されることが多くなる。


コメント    この記事についてブログを書く
« 近代革命の社会力学(連載第... | トップ | 比較:影の警察国家(連載第... »

コメントを投稿