2003年に逝去した孤高の政治思想史家・藤田省三が残した印象的なキーフレーズに“「安楽」への全体主義”がある。
藤田によれば、それは「私たちにとって少しでも不愉快な感情を起こさせたり苦痛の感覚を与えたりするものは全て一掃して了いたいとする絶えざる心の動き」である。藤田は、こうした集合的心性を、戦後の高度成長期以降の日本社会を覆う時代精神として指摘した。
このような心性がマイナスに作用した破局的事象が、原発震災であったろう。
ここでは、原発震災を懸念する一部科学者の指摘を黙殺する形で、原発震災という「私たちにとって不愉快な感情を起こさせたり苦痛の感覚を与えたりするもの」を想定することが、集団的に回避されてきた。要するに、日々電気が届けられるという「安楽」を優先して、恐るべき最悪事態の想定を意図的に避けていたのである。
藤田は、前記フレーズを「不愉快な社会や事柄と対面することを怖れ、それと相互交渉を行うことを恐れ、その恐れを自ら認めることを忌避して、高慢な風貌の奥へ恐怖を隠し込もうとする心性」とも言い換えるが、まさに原発震災への恐怖は、「技術大国」の自惚れの中へ隠し込まれていたのだ。
その結果が、前例のない―おそらく世界史上も―原発震災の現実化となって顕現したのだ。
こうした「安楽」への全体主義は、原発震災という破局経験にもかかわらず、3・11後も別の事象の形をとって続いている。その典型例が、震災がれきの処理問題である。今度は、原発震災の結果発生した放射能汚染への恐怖を口実に、各地でがれきの受け入れを拒否する動きとして現れている。
ここでは、汚染されているかもしれないがれきが、「私たちにとって不愉快な感情を起こさせたり苦痛の感覚を与えたりするもの」として忌避の対象とされているのである。「安楽」への全体主義のために、がれきの処理という震災後の基本的な後始末さえも事実上解決不能な状態に置かれているのだ。
こうして、「世界が震災の苦難に耐える日本人を称賛」などといったナルシシスティックなプロパガンダとは裏腹に、「苦難」を避け、「安楽」を追求しようとするとうてい称賛に値しないことが現実に起きているのである。
藤田は、こうした「安楽」への全体主義を社会的なレベルでの「生活様式の全体主義」と規定し、政治的全体主義とはさしあたり区別したのだが、3・11以降の日本では、「維新」を掲げ、不愉快な異論を封殺しようとするファッショ勢力への急速な集合的傾斜という形で、政治的な全体主義への転形が起きかけている。
この点では、あたかも関東大震災の後、「昭和維新」を呼号するファッショ勢力が台頭し、全体主義的な戦時体制へ邁進していった戦前史と重なるところがある。
いささか飛躍かもしれないが、国内で受け入れ先の見つからない大量のがれきを海外で処理させる狙いから、再び海外侵略を高調するような議論が起きないか懸念なしとしない。
こうした「安楽」への全体主義が一掃されるためには、遠くない将来のスケジュールに入っているいくつもの大震災を重ねて経験する必要があるのだろうか。 あるいは、それによっていっそう全体主義が助長されていくのだろうか。筆者としては、後者の予測が杞憂に終わることを望む。
[追記]
震災がれきの処理に関しては、当初の試算が過大であったことが判明し、広域処理の必要性は大幅に減じた。こうした過大試算の背景として、ゼネコンを中心とした利権の影が指摘されている。そうした問題はあるにせよ、当初のがれき拒否運動は、決して試算をめぐる冷静な議論に基づくものとは言えないもので、やはり不快なものへの拒絶反応の性質の強い事象であったことに変わりない。