得意な分野は人により異なる。得手、不得手ともいう。短距離走は早くても、長距離は苦手とか、歌は音痴でもギターを弾かせると上手とか、技術系より体力系のスポーツが得意、向き、不向きがある。一生を通じて自分の特性が判ってくる。幼少期ではわからないが、中高年の年代になって獲得された技術、経験から開化した特性もある。案外一生をささげた分野がその人の特性に合っていたかと言えば異なることも多いのではなかろうか。天才は凡人とは異なる業績を上げる。評価される業績が生まれる。誰もが知っている業績、教科書に出てくる人物。その人物が日の目を見ない分野で一生を送っていたら教科書に載る業績も上げられず、人類の歴史上の記録に残ることはなかったろう。周囲の力、環境が大切だ。才能を見つけ、開花させる指導者、環境整備、健康も関係してくる。ノーベルも莫大な資産を賞を設けることをしなかったならば、ただの資産家、爆発物の発明家で終わっただろう。ヘレンケラーも周囲の人の助けが無ければその努力を知られることはなかった。アインシュタインも天才と言われたその頭脳を理解できる周囲の天才がいたから評価された。理解者が存在してこそ、業績は陽の目を見る。それなりの評価を得ている周囲の理解者・支持者があってこそ業績は陽の目を見るのだ。「才能教育」「才能発掘」幼少期の時期にだけの適正を判断する仕組みは大きな損失を産む。生涯を通した適正検査、チャレンジ選考。あってしかるべきだ。東大を出たから世の為になる業績を残せた。そうとも言えない。天才の何倍も努力する能力があって、人望を得るカリスマ性があって、指導者として歴史上名を遺す人が多数存在した。分野により得て増えたはあるのだ。エジソン、ベートーベン、ダリ、得意な分野で評価されるがそれ以外はただの変人だった。評価してくれる有力者を多く抱えること。そのことが、力を発揮できる基礎となる。環境整備に力を注ぐ。適材適所、得手不得手の判断、協力者への適正な評価。それが大切と思う。