6月17日

2007-06-17 07:10:20 | Weblog

    (苔の花と日の斑)


   涼しさや日の斑のあそぶ苔の上


いろいろ生意気な事を書きつつ、まだまだ迷いがある
のは修行の足らないところだろう。
ここのところの吟行でも木洩れ日と日の斑の詠み込み
方を考えていた。自分の解釈では、相反するもので
斑は影、木洩れ日は日当たり、つまり陰と陽の関係で
日の斑を詠むことで日当たりを暗喩し、木洩れ日を詠む
ことで影を暗喩する。表現したものの裏側を作為を見せず
読み手に伝えることが詩情ではないかと考えていたから。
先日参加した句会でこの両方を一句にしたためた高点句
があった。互選に加わり予選では頂いたものの本選では
頂かなかった。その辺りにまだ拘りがあるからだろう。


私にとって句会は高点を得るためのものでなく
自分の鑑賞力、観察力、感性を他の連衆と比較して
実感するところ。つまり他人の目を通して自分を見つめる
ところ、修行の場だと思っている。
高点を得た句を残すのではなく、高点を得た心の昂揚を
積み重ねてゆく事こそが大切な修行でもある。
句会の選評にも少し付け加えたが、吟行句会では秀拙を
問わず挨拶句を必ず詠むことをお薦めします。
挨拶句は俳句の基礎、発句になるもので、自然に大きな景
を詠めてしまうものです。そんなことが少し気になりました。


      滝壷へ砕け散ったる日の欠けら


  


    

コメント
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